12話 魔瓶と煙草
街道沿いの街灯が石畳に柔らかな光を落とす。
陽の沈みきった王都の西門には、入門審査の列が静かに伸びていた。
二十組ほどが連なるそこへ馬車とともに並んだ一行は、顔にわずかな疲れを滲ませながら、口数少なく順番を待っていた。
タイラーは列の先へと視線を向ける。
比較的進みが早く、この調子なら一時間もかからず王都へ入れるだろう。
手持ち無沙汰に煙草を咥え、火を点けようとした時、マッチを切らしていたことに気づいて舌打ちを漏らす。
前を歩くハリエルがびくりと肩を震わせ、おそるおそる振り返るが、タイラーは視線を返すこともなく、馬車の後方へと向かった。
街灯に照らされた荷台は、幌布が少しめくれている。
その隙間から覗くのは、大量の木箱と朱い毛皮の山。
そして、二本の刀へ寄りかかるように片膝を立てて座るイコルネの姿だった。
ギシリと音を鳴らして荷台へ上がる。
近づいた自分に全く反応を示さないイコルネは、目を固く閉じたまま、酷く血の気のない顔色をしていた。
「……イコ、生きてっか?」
目の前にしゃがみこみ、頬をぺちぺちと叩く。
頬の温もりに安堵しつつもう一度声をかければ、わずかに瞼を開けたイコルネは、掠れた声で「なに……」と呟いた。
「もう審査所だ、そろそろ起きとけ」
彼は返事をせずにのそりと動き、腰鞄から取り出した煙草へ、右手だけで器用に火をつける。
マッチを振り消して荷台の外へ煙を吐く横顔は、暖かな街灯の光に照らされてなお青白い。
気だるげに投げ出した左手はほとんど動いておらず、目の下にはうっすらと隈も浮いていた。
タイラーは、そんなイコルネの様子に思わず眉を寄せる。
魔窟で左腕を失くした時、彼は平然とそれを治していた。
だが普通に考えて、自在に動く腕をまるまる一本作り出せば、相当な魔力を消費したはずだ。
動かしているのも魔力だと言っていたし、魔窟から脱出した後も嬉々として刀を振るっていた。
なんなら、最後の一匹を倒し切るまで、魔眼も使い続けていた。
それなりに魔力操作の上手いイコルネでも、そんなことをしていれば限界が来て当たり前だ。
実際、目の前で項垂れる彼は、明らかに魔力枯渇を起こしていた。
タイラーは腰鞄から赤い液体の入った丸みのある小瓶を取り出す。
「飲んどけ」
差し出したそれは、魔赫草から作られた、魔力を増やせる魔瓶。
わずかに眉をひそめたイコルネはしばらく瓶を見つめ、ちらりとこちらへ視線を向けてから素直に受け取った。
片手で栓を抜き、一気に煽る。
口の端から一筋垂れた鮮やかな赤が、青白い肌に浮いてやけに目を引くが、その色に誘われるように顔の血の気が戻っていく。
そこそこ値段のした質の良い魔瓶なだけあって、効果はそれなりにあるようだ。
雑に口を拭ったイコルネが、左腕をゆっくりと握り込む。
確認するように開いては閉じる動きに違和感はなく、表情からも先程までの憔悴は消えている。
タイラーが無意識に詰めていた息を吐き出すと、視線を上げたイコルネが小さく苦笑した。
「なんて顔してんの」
「……いや」
「魔力切れなんてダサいとこ、ハリエルに見られたくなかっただけだから」
そう言ったイコルネは、ふらつくこともなく立ち上がる。
荷台から軽やかに飛び降り、自分の相棒を腰に差し直す姿は、いつも通りの彼だった。
「そんな心配しなくても大丈夫だって」
「……」
「ほんと相変わらずなのな。まぁでも、助かった」
「ありがとな」と口にしながらマッチを放り投げてきたイコルネは、そのまま馬車の前方へと歩いていった。
荷台に一人残されたタイラーは、手の中に視線を落とす。
宿の売店で売られている小鳥の絵柄が入ったマッチ箱――そこには、イコルネの吸う煙草の甘い香りが染みついている。
どこかで嗅いだことのあるそれに気づいたのは、数週間前。
たまたま訪れた救護院の一室だった。
* * *
王都から二日ほどの小さな漁村は、沖合に現れた全長四メートルを超える大蟹のせいで、船が出せずに困り果てていた。
ソロで討伐依頼を受けたタイラーは、殻が硬いことで有名なその魔物を一時間もかからずに叩き潰し、潮の流れも変わらぬうちに村へと戻った。
大きさが大きさなので魔核だけ回収してきたのだが、沖に残った蟹の身を食べに魚が集まってきているらしく、村人たちからはたいそう感謝された上、豊漁の宴まで開かれてしまった。
あまりの喜びように断りきれず、そのまま一晩滞在することになったタイラーへ用意されたのが、村で一番大きな建物だという救護院の一室だった。
初老の院長に連れられて部屋へ入ると、ふわりと甘い香りが鼻をかすめる。
花のようなその匂いに友の顔を思い出し、タイラーは何気なく尋ねた。
「ここって、煙草吸う奴が使ってた部屋すか?」
「煙草、ですか? ……この部屋は病室も兼ねていますので、喫煙はご遠慮いただければと……」
「あーいや、俺が吸いたいとかじゃなくて……。なんか、甘い匂いがしたんで」
「匂い……あぁ、碧芥子の香りですね」
「ポピーって、あの道端に咲いてる?」
「えぇ。でもこれは、花ではなく葉を煎じた薬茶の匂いです。前にこの部屋を使っていた方が、最後まで飲んでいらしたので」
そう言って微笑んだ院長はどこか寂しげで、最後という言葉がやけに重く感じられる。
「その碧芥子って、薬草すか?」
「そうですね。即効性の高い、痛み止めのようなものです」
「痛み止め……」
「ですが、今では使用禁止になってしまった薬草です。……重度の依存性があるため、国内では販売も使用も、全面的に規制されてしまいました」
「禁止されてんのに、ここでは使ってんすか?」
「……仕方が、ないのです。碧芥子は道端で摘めるほど簡単に手に入りますから、この村のように物資の乏しい地域では、長らく治療の要として使用してきました。ですが、規制とともに出回った代替品は、ひと匙で銀貨五枚もする高価な正製薬ばかり……。手に入れるのも容易ではなく、寄付と奉仕で成り立つ地方の救護院では、とても患者全員へなど使ってやれません……」
俯いた院長は、組んだ両手を悔しげに握りしめる。
「私に《治癒》の才があれば良かったのですが……院長など名ばかりで、応急的な処置をすることしかできません。……ただでさえ医療の乏しいこの村では、怪我や病気で苦しむ方へ、碧芥子を煎じて飲ませるくらいしか苦痛を減らしてやる手段がないのです……」
「そう、すか……」
「ですが、今回はあなたのおかげで怪我人もほとんどなく事が解決しました。碧芥子も使わずに済んだのですから、大変感謝しております」
深々と頭を下げる院長に狼狽えつつ、タイラーは一番気になっていたことを尋ねる。
「あの、実は……俺の知り合いが、これと同じ匂いの煙草を吸ってんすよ。ただ似てるってだけかもなんすけど……そういう使い方も、あるんすかね?」
「煙草ですか。あまり一般的ではありませんが、戦時中などは、より強い効果を求めて、似た使い方をしていたと聞いたことがあります。……しかし、もしその方が碧芥子を日常的に服用しているというのであれば、あまりお勧めはできませんね」
院長は言葉を選びながら静かに続ける。
「この薬草の鎮痛作用は耐性ができやすく、その上、効果が切れた時の反動が大きいのです。使えば使うほど効きづらくなり、反動の痛みは増していく。それから逃れるため、さらに強い効果を求める。そうして、どんどん依存が進んでしまうのです。……酷い場合は、ほかの鎮痛薬では抑えられないほどの痛みを味わうことになります」
そう言った彼は、床へ視線を落として顔を歪ませる。
「昔……この救護院に居た方で、碧芥子の生葉にまで手を出して亡くなられた方がいます。生葉は、煎じたものより鎮痛効果が高い代わりに、毒性も強く、亡くなる直前は廃人のようになってしまわれていました……。あなたのお知り合いの方は、王都にお住まいですか?」
「そうすけど……」
「もし、金銭的な余裕があるのでしたら、一刻も早く正規の鎮痛薬へ切り替えるよう、助言なさってください。あの方のように、手遅れになる前に」
院長の言葉を一つ一つ噛み砕くたび、タイラーは自分の指先が冷たくなっていくのを感じる。
部屋に漂う匂いは、間違いなくイコルネの煙草と同じだ。
適当な銘柄のものをたまに吸うだけの自分とは違い、彼は吸っていない時の方が珍しいほど、いつも手製の煙草を咥えている。
あれが碧芥子なのだとしたら、ともに過ごしていたこの数ヶ月――手馴れた様子からすれば、おそらく冒険者復帰よりずっと前から、服用を続けていることになる。
だが、そこまでして痛みを抑えなければいけないほどの怪我や病気をしていれば、自分も仲間たちも気が付かないはずがない。
戦闘の中で、多少昔と動きが違うと思ったことはあったが、動作や行動はごく自然で、今の彼にそこまでの違和感は感じなかった。
それならば、なぜこんなものを使っているのか――。
理由がまったく分からない。
じわじわと広がる不安に、タイラーは拳を握りしめる。
碧芥子が危ないものだと伝えても、きっとイコルネは使うことを辞めないだろう。
無理やり取り上げたとしても、簡単に手に入ってしまうのでは、なんの意味もない。
大切な友人が取り返しのつかないことになるかもしれないのに、自分には止める手立てがない。
それでも、このままイコルネを放っておくことなど、できるはずがなかった。




