10話 魔種
「偽物……?」
イコルネの言葉に、タイラーが困惑の表情を浮かべる。
こちらを見つめるマリアテールとハリエルも、理解できないといった顔で目を瞬かせていた。
「出血がないのは、そのせいかい?」
唯一、取り乱した様子のないトーカが、観察するような視線を向けてくる。
「まぁ……そう。義手って言った方がわかりやすいか」
「え……義手? でもイコルネさんの手、普通に動いてましたよね!?」
ハリエルが、抱えた赤黒い腕とイコルネを交互に見る。
「その、ちょっと特殊っていうか……。『魔種』って植物が元になってて、正確には義手とは違うんだけど……まぁ、魔力である程度動かせる、便利な義手って感じ」
軽い口調でそう言うと、イコルネは深く息を吸い込んで左肩へ魔力を流し込んだ。
すると、袖口から溢れ出る魔力を伝って、赤黒い糸のようなものが無数に垂れ下がっていく。
腰ほどの長さまで伸びた糸は、ゆるゆると絡み合い、太さを増しながら徐々に腕の形へと撚り集まっていった。
やがて五本の指先まで揃い、イコルネはゆっくりとそれを持ち上げる。
赤黒い腕は見た目こそ少々不気味だが、通わせた魔力に合わせて、普通の腕と遜色なく動いた。
何度か手を握って感触を確かめると、おもむろに右耳のピアスを人差し指で弾く。
爪先に当たった石がキンッと高い音を立て、みるみる色の薄れていく左腕は、あっという間になんの違和感もない肌色へと変わった。
「まぁ、こんな感じだよ」
「……、はぁ!?」
「なにそれ!?」
驚愕に目を見開くタイラーとマリアテールが、同時に声を上げる。
「義手とかってレベルじゃねぇだろそれ!?」
「腕が、治ったの……!?」
「ってか、ちょっと待て! そもそも腕がねぇってどういうことだよ!」
二人いっぺんに詰め寄られ、イコルネは苦笑混じりに頭を搔く。
「前にちょっとしくじって、失くしたんだよ。刀振るのには支障ないし、千切れても魔力さえあれば治るから」
「……ッ! お前、そういうことじゃねぇだろ!」
イコルネの胸ぐらをタイラーが掴む。
力任せに引き寄せた彼は、先程ハリエルへ掴みかかろうとした時よりも、怒りをあらわにしていた。
「なんで言わねぇんだよッ!」
「……別に、聞かれれば答えたよ。自分から言うほどのことでもなかったってだけで」
「言うほどのことでもないって……! お前、マジで言ってんのか?」
「腕の一本くらい、なくしてる冒険者なんて珍しくもないだろ……」
イコルネは視線を逸らしてため息をつく。
その様子に顔を歪めたタイラーは、「そうかよ……」とだけ呟いて手を離した。
伸びた襟元をなおし、膝に手をついて立ち上がる。
赤紫に染めた瞳で辺りを見渡せば、魔窟はいまだ形を保ったまま、次々と生まれる朱い光が、入口の穴へと向かっていた。
イコルネは落ちている乙女ノ炎舞を拾いに行き、朱猿の巨体から手際よく魔核を取り出すトーカに声をかける。
「ここ、狭い割に消滅が遅い。まだ猿が出ていってるし、早めに村へ戻った方がいい」
「それが良さそうだね。外に出たやつは後処理もしないといけないし、木を傷つけるなって面倒なお願いもされちゃってるしね」
いつも通り微笑んだトーカは、空気を変えるように手を打ち鳴らす。
「ほらほら、みんな立って。さっさと終わらせて、夜には王都へ帰ろう!」
「夜ってお前、外に何匹出たと思ってんだよ!」
明るく言う彼に、押し黙っていたタイラーがいつもの調子で噛み付く。
「ざっと二百くらいじゃないかな? まだ朝だし、一人四十匹なら昼過ぎには終わるでしょ」
「え!? ぼ、僕も頭数に入ってるんですか!?」
素っ頓狂な声を上げるハリエルの頭をタイラーが叩く。
「足引っ張ったんだからそれぐらい働け!」
「ヒィッ!」
「できないなら私が倍もらうわ! あんたは子供のお守りだけしてなさい!」
勢いよく立ち上がったマリアテールが「お先!」と言い残して、魔窟の入口へ走っていく。
タイラーが声を張り上げながらその背を追い、苦笑したトーカも歩き出す。
騒がしくも見慣れた光景を眺め、イコルネは小さく笑って三人の後に続いた。
* * *
「ねぇイコ君、これどう思う?」
向かい合って座るトーカが尋ねてくる。
宿屋の食堂にはイコルネとトーカ以外に人影はなく、暖かな午後の日差しが窓から差し込んでいた。
「なにが?」と視線を向ければ、トーカがテーブルに細長い小瓶を置く。
手のひらほどの瓶には黒々とした液体が揺れ、そっと栓を抜いた口から、黒い魔力が薄く溢れ出した。
テーブルの上を這い広がるそれは、そばに置かれたトーカの手へ触れた途端、まるで意思を持つかのように絡みついていく。
異様に禍々しく、それでいてどこか見覚えがある気のする黒さに、イコルネは思わず顔をしかめた。
「……閉めて」
「やっぱり、なにか出てるんだね」
目を細めたトーカが、小瓶にしっかりと栓をする。
漂っていた魔力はたちまち薄まり、そのまま霧散するように跡形もなく消えた。
「なんかそれ、気持ち悪いな……」
「触れれば僕でも分かるくらい、独特な魔力だよ。村では希釈して畑に撒いてるって話だけど、ただの栄養剤って感じじゃないよね」
そう言った彼はおもむろに懐をまさぐり、赤黒く汚れた布の包みを取り出す。
テーブルの上へ丁寧に平げると、砕けたガラス片とともに拳大の透き通った朱い石が入っていた。
「朱猿の魔核?」
「そう。魔窟の核にしては小さめだけど、魔力の量はかなりあるんじゃないかな」
指先でつつかれた魔核は、その小ささに似つかわしくない濃密な魔力を立ち上らせ、いまだ生きているかのように鮮やかな朱色を揺らしていた。
「瓶の方は、朱猿の胃の中にあったよ。多分、溢れてた魔力に惹かれて、丸ごと食べちゃったんだろうね。……それから、これは僕の推論なんだけど」
そこで言葉を切ったトーカは、細く長い指を隣の小瓶へと滑らせる。
「朱猿が魔窟化したのは、この薬剤が原因なんじゃないかと思う」
「え……」
「これ、ただ魔力が含まれてるってだけじゃなさそうでしょ。触ってみた感じ、こっちの魔力に入り込んで、強制的に膨張させようとしてる気がするんだ」
「膨張……?」
「うん。君みたいに見えてるわけじゃないから、感覚的な話になっちゃうんだけど……風船に空気を入れるみたいに、魔力を内側から膨らませてる感じかな。増幅って言い方のがわかりやすいね」
イコルネはテーブルに並んだ小瓶と魔核へ改めて視線を落とす。
「魔力が増える薬ってことは……魔瓶か?」
「原理としては近いかな。けどこれは、増やせる量が魔瓶の比じゃない。きちんと試してないから正確なことは言えないけど、おそらくは五倍……下手すれば十倍くらいにはなるかもね」
「十倍って……」
思わずこぼした声にトーカが薄く微笑む。
「人より遥かに魔力量の多い魔物が、爆発的に魔力を増して魔窟化した……今回の流れとも辻褄は合うでしょ。こんな小瓶一つが魔窟の原因になるんだとしたら、意図的に作るなんてこともできるかもしれない」
イコルネは目を見開く。
あくまで自然発生しかしないはずの魔窟を『作れる』――それは、国を揺るがしかねない話だ。
街や村の近くに魔窟が発生すれば、小規模なものでも数十人の死者が出る。
冒険者や騎士団がいればまだしも、常に人手の足りない郊外では、大量の魔物に呑み込まれて地図から消えた村が少なくない。
――イコルネの故郷も、その内の一つだった。
存在そのものが脅威である魔窟。
それを引き起こしてしまう薬剤が、あたかも農薬かのように日常の中で使われている。
何も知らない村人たちは、身を守る術すら持たないまま、自らを危険に晒し続けているのと同じだ。
「これ、まずいよな……?」
「そうだね。流石に見過ごすわけにはいかないかな」
その時、食堂の扉が音を立てて開く。
ばたばたと慌ただしく入ってきた人影は、額に汗を浮かべたシダナ村の村長だった。
「あぁ、冒険者様方。こちらにいらしたのですね」
足早にやってきた村長は、昨日よりも随分やつれ、目の下には隈が浮いている。
「……お二人だけですか?」
「他のみんなは、村の方々と一緒に後処理へ行っていますよ」
「あぁ、そうなのですね。大きな朱猿は我々だけでは運ぶのもままならないので、助かります」
「いえいえ。素材の回収も冒険者の仕事のうちですから」
にこやかに返事をするトーカは、自然な動作でテーブルの上の魔核をしまう。
「僕らを探していたようですが、なにか御用ですか?」
「え、えぇ。まずは朱猿の群れを倒していただいたことに、お礼をと思いまして」
そう言って頭を下げた村長は、俯いたまま視線を泳がせる。
「それから……報酬についての、お話を……」
「ちょうど良かった。僕らもその話をしに伺おうと思っていたところなんです」
「さぁ座ってください」と、トーカが椅子を引く。
優しげな声で着席を促すその顔には、薄ら寒いほど綺麗な笑みが貼り付いていた。




