6話 ただ前へ
店を出たときには既に昼時を知らせる鐘が鳴っていた。
流石に時間を喰いすぎたと反省しつつ、イコルネは細い裏路地を抜けて大通りへと戻る。
通りを真っ直ぐ進み、遠目に南門が見え始めた頃。
立ち並ぶ店々はほとんどが飲食店へと変わり、客寄せに店前で肉や魚を焼く香ばしい匂いが、通り全体に立ち込めていた。
ここ数日、ろくに食べていないイコルネは、誘惑を振り払うように早足で人の間を抜けていく。
空腹の限界で腹が盛大に鳴り始めた時、よろけたつもりはなかったのだが、横から追い抜こうとした人と肩がぶつかった。
咄嗟に「わるいっ」と声をかける。
見上げる形となった相手は、イコルネより頭半分ほど背が高く、スタイルの良い細身の男だった。
金の混じる白金髪を丁寧に切りそろえ、こちらを見下ろす瞳はどこか見覚えのある紅茶色。動きやすそうな革のベストと、羽織る黒いローブは、剣士とも魔法士とも取れる装いだ。
「こちらこそすみません」と返された声に、イコルネは思わず声が出る。
「……トーカ?」
「久しぶりだね、イコ君」
目を細めながら微笑む彼は《ただ前へ》のリーダーであり、マリアテールの五つ上の兄、トーカ・ロットだった。
「今朝マリちゃんに会ったんだって? 僕との約束をすっぽかしてどっか行っちゃうんだもん、妬けるなぁ。……ま、とりあえず、おかえり」
トーカはそう言って笑みを浮かべる。
四年前と変わらずスタイルがよく、少し伸びた前髪以外は、当時と何ら変わらない。
物腰柔らかな落ち着いた声も、笑顔の奥に秘めたどこか人を見透かしているような視線も、妹をマリちゃんと呼ぶシスコンぶりも、何もかもが懐かしい。
イコルネは「ただいま」と応えながら、今朝マリアテールから聞いた話を思い出す。
「そういえば、俺が辞めてからパーティで活動してなかったんだって?」
「あぁ、そうだよ。あの当時はマリちゃんもタイラーもモチベーションが下がっちゃって、積極的に依頼を受けなくなってたからね。僕は個人の指名依頼もあったし、自然とバラバラに活動するようになったって感じだけど」
「そう、なのか……魔窟潰しも行ってないのか?」
「全然だね。そもそも、あんなハイペースでやってたのはイコ君に合わせてたからだよ」
「え……俺?」
予想外の言葉に思わず声がうわずった。
『魔窟潰し』は冒険者業の中でも花形の仕事だ。
魔力を溜め込んだ魔物を核にして形成される『魔窟』――それを、文字通り潰す依頼であり、膨大な魔力から生み出される大量の魔物を倒しつつ、魔窟へ入って核の魔物を討伐する必要がある。
普通の討伐依頼とは比べ物にならないほど危険であるが故に、報酬は桁が違うほど跳ね上がり、血の気の多い冒険者たちには人気の依頼なのだ。
かく言う《ただ前へ》も魔窟潰しを得意とするパーティで、当時は手当たり次第にこの依頼を受けていた。
しかしそれは、血気盛んなマリアテールやタイラーたちが、次々と依頼を持ってくるからだとばかり思っていたイコルネとしては、原因が自分だと言われたのは、かなり予想外だった。
思い返してみれば確かに、魔窟潰しの依頼書を見つける度、剥がしに行ってはいた記憶はなくもないが。
「ふふ、自覚なしなところがイコ君らしいね。まぁでも、すぐ飛び出して行っちゃうふたりの手綱を、僕一人で握るのは無理があったし、何かあったら僕は迷わずマリちゃんを優先させるから、なるようになったんだよ」
トーカは相変わらずシスコン全開だ。
「マリちゃんのことだから、多分一番乗りで待ってるでしょ。急いだ方が良さそうだね」
店で不貞腐れながら待つマリアテールの姿が容易に想像できたイコルネは「そうだな」と笑うと、トーカと共に早足で店へ向かった。
* * *
しばらく二人で歩くと目的の店が見えてきた。
色褪せたレンガの平屋建て。左右を似たような造りの建物に隙間なく挟まれたそこは、開け放たれた間口に《モグラの横穴亭》と書かれた木の看板がぶら下がっている。
通りからは小さく見える店だが、奥行は想像以上に広く長い。
カウンターやテーブル席のある入口付近から、奥へ真っ直ぐに伸びる廊下の先には、左右に連なる個室がずらりと並んでいる。
低い天井から転々と吊るされたランタンが店内をほんのり橙に染め、明るすぎない雰囲気は小動物の巣穴を連想させた。
開放的な空間が好まれる王都で、戸の閉まる完全個室がある店は珍しく、作戦会議や内緒話をするのに丁度いいとトーカが見つけてきた店だ。
秘密基地的な雰囲気が気に入り、それ以来《ただ前へ》で集まるといえばこの店となっている。
実は店主と友人だったトーカが、客を紹介する代わりに自分だけ呑み代を払っていなかった、なんて思い出もあり――あの時は全力で抗議した後、全員分の呑み代と飯代を奢らせたのだった。
ちょうど昼食時のため、店内はそれなりに混雑していた。
八割ほどが埋まったカウンターの横を通り過ぎ、慣れた足取りで奥の廊下へと進む。
手前から三番目、左奥の個室。
そこはパーティで活動していた頃、依頼達成の打ち上げやランク昇級の祝いなど、何かと理由をつけては年中飲み明かした定番の部屋だ。
ノックもせずに個室の引き戸を開ける。
すると、視界に広がる見慣れた光景に、イコルネは思わず懐かしさが込み上げた。
両サイドの壁を背もたれとするように置かれた、二人掛けの長椅子。その間に置かれた長方形のテーブルには、向かい合うように男女が座っていた。
一人は、自分を問答無用でこの店へ呼び出したマリアテール。
そしてもう一人は、短い黒髪を立たせ、強気がちな濃灰色の瞳でこちらを見つめる――かつてのパーティメンバー、大剣使いのタイラー・シルベリートだった。
背は低く小柄だが、筋肉質な体つきで、無骨なベルトと革鎧の肩甲が、羽織った黒いローブの隙間から覗く。
椅子の横に立てかけられた大剣も相まって、如何にも冒険者らしい出で立ちだ。
「ははっ! ほんとに帰ってきたんだなイコ!!」
歯を見せて豪快に笑ったタイラーはそのまま立ち上がると、殴り掛かるような勢いでイコルネに向かって腕を振りかぶる。
反射的にこちらも腕を伸ばし、互いの拳がゴツンと音を立てる。
肘まで響く鈍い痛み。その懐かしい挨拶を思い出し、笑いながら痺れる手を下ろした。
ベルトから刀を外しイコルネが席に着くと、タイミングを見計らっていたかのように店員が酒を運んでくる。
テーブルに並んだのは四種類の酒瓶と異なる形のグラス。そして氷の入ったバケツだ。
見慣れた銘柄は四年前から変わらない、乾杯の酒。
四人はそれぞれに瓶を取り、グラスに注いでいく。
香りの強いラム酒をリキュールグラスへなみなみと注ぐのは、マリアテール。
カランと音を立てて度数の高い蒸留酒を氷の入ったロックグラスへ注ぐのは、トーカ。
トールグラスに少量注いだ果実酒を倍以上の炭酸水で溢れんばかりに割っているのは、タイラー。
そして、辛めのエールを器用に泡立たせながらジョッキに注ぐ、イコルネ。
酒の好みも飲み方もバラバラなのは、時が経っても変わらない。
四人の酒が揃うと、トーカがグラスを軽く持ち上げて言う。
「それじゃあ、イコ君の復帰と再会に、乾杯」
「「「乾杯」」」
全員でカチリとグラスを合わせ、イコルネはジョッキを一気に飲み干した。




