6話 攫われた子供
「イコルネさん! 起きてください!!」
ハリエルは叫びながら扉を開ける。
薄暗い部屋の中、ベッドに潜ったままのイコルネが、小さく身動ぎするのが見えた。
揺すって起こすのは躊躇われ、とりあえずカーテンを開けてみる。
だが、白み始めたばかりの空では大して明るくもならず、仕方なく大きな声で再び叫ぶ。
「大変なんです! イコルネさん! 起きて!!」
「……うるさい」
低い声で言われ、反射的にビクリと体が跳ねる。
けれど、そんなことで怯んではいられない。
もう一度声を張り上げようとした時、イコルネがのそりと体を起こした。
目を擦り、大きな欠伸をした彼は、何も言うことなくベッド脇の刀に手を伸ばす。
まさか寝ぼけて斬られるのかと身構えたハリエルをよそに、イコルネはそのままベッドを下りると、ブーツに足を突っ込んで部屋を出ていった。
慌てて後を追えば、階段を降りてすぐの食堂に宿屋の女主人と《ただ前へ》のメンバーが集まっている。
「起きてきたな、イコ」
「……なんかあったの」
煙草に火をつけながら近づいていくイコルネに、タイラーが当たり前のように挨拶をする。
ハリエルからすれば、イコルネはとても不機嫌そうに見えるのだが、彼らの絆があれば、これくらいは平気なのかもしれない。
そんなことに一人感心していると、耳を刺す高い泣き声が聞こえてくる。
視線を落とせば、床にしゃがみこんだ女主人の腕の中でナットが泣きじゃくっていた。
「ごめ、ごめんなさい……ニックが……だって、あんなすぐ……わぁぁああ」
要領を得ない途切れ途切れの言葉に、隣のイコルネが首を捻っている。
この状況を説明できるのは自分しかいない――そう悟ったハリエルは、図々しいとは思いつつ口を開いた。
「えっとですね! この子、ナットの話によれば、夜中にこっそり村を抜け出したところ、山の入口付近で弟のニックが朱猿に攫われてしまったらしいのです」
「攫われた……?」
「はい。襲われたというより、そのまま連れ去られたような感じらしいです。現にナットは、無傷のままこうして戻ってきていますし」
「なんで片方だけ……?」
眉をひそめたイコルネに、ナットが涙でぐしゃぐしゃの顔を向ける。
「……たぶん、ニックが、お薬もってた、から」
「薬ってなに……」
「パワーが出る、お薬」
それを聞くなり、女主人の顔が青ざめる。
「あんたたち、あれを持って山に入ろうとしたのかい!?」
「ご、ごめんなさい!!」
「なんて馬鹿なことを……!」
「なぁ、その薬ってのはなんだよ?」
動揺を露わにする彼女へ、タイラーが鋭い声で聞く。
女主人は泣きながら謝る我が子をきつく抱きしめ、顔を上げながら言った。
「農作物用の栄養剤です。植物が強く育つよう、少しだけ魔力が含まれてるとかで。百倍程度に希釈して畑に撒けば、日照時間の少ないこの村でも元気な野菜が採れるんです。うちでは、食堂に出す野菜に使ってたんですけど……魔力があるものは危ないからって、あれほど言い聞かせていたのに……」
「だ、だって、魔力がいっぱいになれば、かっこよくなれるって、ニックが……」
「それでなんで村から持ち出すんだよ」
タイラーの声に肩を跳ねさせたナットは、母親の胸に再び顔を埋める。
「前に、山で、魔赫草を見つけたんだ……魔瓶の材料だって、本で、見たから……いっぱい育てれば、魔力がたくさんになるかもって……」
「はぁ? 魔赫草……? あんなん、ちゃんとした抽出設備でもねぇと、ただの雑草と変わんねぇだろ……」
呆れ顔のタイラーに代わり、ハリエルはナットに尋ねる。
「そのお薬を持ってたのが、ニックなの?」
「……うん」
「魔力を帯びた薬に反応して、朱猿が攫いに来たってことですかね……? でも、それじゃあなんで村の中は襲われてないんでしょう?」
ハリエルが呟きながら眉を寄せると、静かに聞いていたトーカが口を開く。
「多分、『魔物避け』のおかげかな」
「魔物避け?」
「ほら、村の周りに生垣があったでしょ。あの植物は、魔物が潜在的に嫌がる臭いを出してるんだよ。おかげで、村の中は比較的襲われにくかった……けど、この子たちはわざわざ寄せ餌を持って外に出たから、すぐ狙われたんだろうね」
淡々としたトーカの口調に、ナットと母親の顔が絶望に染まっていく。
だが、話し終わった彼は二人を気にする素振りもなく、そのまま食堂のテーブルへ寄りかかった。
それどころか、ハリエルの目の前に揃っている《ただ前へ》のメンバーは、誰一人として動く素振りを見せない。
普通なら、一刻も早く助けに行くべき状況なのにだ。
「あの! 今すぐニックを助けに行きましょう!」
痺れを切らして声を上げると、宿屋の親子が勢いよく顔を上げる。
こちらを見つめる視線は、縋るような色が濃い。
この二人の様子を見れば、ニックという少年が家族から大切にされていることはよく分かるし、安否すら分からない今の状況が、彼らにとってどれだけ不安なことかも痛いほど伝わる。
それでも、目の前にいる憧れのBランクパーティは、一切動く気配がなかった。
「……ど、どうして、何もしないんですか?」
「どうして何かしなきゃいけないの?」
ハリエルの質問にマリアテールが質問を重ねる。
彼女の言っている意味がわからず、思わず声が大きくなった。
「どうしてって、ニックが危険な目にあってるんですよ? 助けに行かないと!」
「だから、なんで私たちが行かなきゃいけないのよ」
「は!?」
まさかの答えに声が裏がえる。
目の前で子供が攫われているのに、助けない理由などないだろう。
「ニックが死ぬかもしれないんですよ!?」
「だからなに」
「なにって……!」
「ハリエル君、僕らは慈善事業じゃないんだよ」
足を組んでこちらを見るトーカが目を細める。
「依頼があって、それに応えて報酬を得る。そういう仕事をしてるんだ。今回僕らが受けた依頼は『人工林をできるだけ傷つけずに、朱猿の殲滅をすること』それだけだ。人命救助なんてリスクの高い仕事は受けていない」
「で、でも!」
「でもじゃないよ。冒険者っていうのはそういう仕事」
落ち着き払ったトーカの声が無性に癇に障る。
冒険者がどんな仕事かは理解しているが、目の前で子供の命が危険に晒されているなら、助けに行くのは当然だろう。
そこに発生する金銭だの報酬だのは、命が助かってから考えればいいことじゃないのか。
今この瞬間にも、助けられるはずの命があるかもしれないのに。
「じゃあ、僕だけで行きます! 報酬はいりません!! それなら文句ないでしょう!」
そう声高らかに宣言した時、食堂の扉を蹴破るように男が転がり込んでくる。
見れば、泥に汚れて傷だらけのその男は、少し前、ニックの話を聞くなり飛び出して行った父親だった。
彼は、息を整える間もなく駆け寄ってくると、真っ青な顔で言う。
「ま、魔窟だ……! 朱猿の群れが、魔窟になった……! 息子を、息子をどうか助けてくれ!!」
その言葉に全員が動きを止める。
――魔物の魔窟化。
それは偶然の産物であり、最悪の事態だ。
ただの魔物の群れなら殲滅してしまえば終わるが、魔窟となると話が全く変わる。
魔力に引き寄せられる魔物、魔窟から生み出される魔物、そして、力を急速につけて成長していく魔物。
それらすべてを相手にしながら、核の魔物を倒すまで終わらない。
ハリエルも他パーティに混じって、何度か魔窟潰しの依頼をやったことはあるが、CやDランク用の小規模な魔窟でさえ、もう二度とやりたくないと思えるほど大変な仕事だった。
そんな魔窟で子供の救助をするなど、到底できるとは思えない。
青ざめて辺りを見回したハリエルは、目に飛び込んできたものに再び動きを止める。
それは――
嬉しそうに笑うマリアテールの姿。
「良かったね」と微笑むトーカの姿。
準備体操でもするかのように伸びをするタイラーの姿。
そして、右目を赤紫に染め、口の端をわずかに上げているイコルネの姿だった。
「話が変わった」




