5話 宿屋
「宿屋なんて言っても、滅多に外の人なんて来ないですからね。ほとんどただの飯屋なんですよ」
木目鮮やかな階段をのぼりながら、恰幅の良い女性がハキハキと言う。
「あなたたちもお腹が空いたら、一階の食堂へ食べに来てくださいね。うちの主人が腕によりをかけて振る舞いますから」
一つに括った黒髪を揺らし、人好きのする笑顔で話しかけてくる彼女は、イコルネたちへ紹介された宿屋の女主人だった。
依頼の説明を聞き終わり、村長の家を出た時には、村の景色が夕焼けに染まっていた。
朱猿は夜行性のため、討伐は明日からにするよう強く勧められ、そのまま案内されたのがこの宿屋だ。
そこそこ大きな木造二階建ての建物は、一階が食堂、二階が客室となっている。
村に一軒しかない飯屋らしく、日没間近のこの時間から、夕食を食べに村人が集まり始めていた。
女主人はイコルネたちを連れて二階へ上がると、階段脇にある部屋の扉を開く。
中は、木製のベッドが左右に一つずつと、間に小さなサイドテーブルがあるだけの質素な部屋。
しかし、床と壁には艶のある美しい木目が浮き出し、窓から差し込む夕日に照らされて部屋全体が暖かな色に包まれている。
ベッドにかけられたシーツもシミひとつない純白で、丁寧に整えられた部屋であることが見て取れた。
「二人部屋が二つと一人部屋が一つしかないから……女の子は奥の一人部屋がいいかしらね。南向きで陽当たりが良いんですよ」
彼女は廊下を進みながら扉を開けていく。
最後に、一番奥の部屋を開けようとした時、中からガタリと音がした。
勢いよく扉が開き、十歳ほどの男の子が二人飛び出してくる。
「やっべ! かーちゃんだ!」
「逃げろ!!」
「ッ!? ……コラァ! あんたら、こんなとこでなにしてんの!!」
バタバタと廊下を走る二人は女主人の息子らしい。
よく似た短い黒髪を揺らしながら、イコルネたちの脇をすり抜け、子供たちはあっという間に階段を駆け下りていった。
「息子たちが、ごめんなさいね! やんちゃ盛りで手が付けられなくって……。部屋はすぐ整え直すので、少し下で待っていて……」
「私こっちがいい」
申し訳なさそうな女主人に、マリアテールが言葉を被せる。
彼女の視線の先にあるのは、階段脇の二人部屋だった。
マリアテールはくるりと振り向き、そのまま部屋へと入っていってしまう。
そんな妹の姿を笑顔で見つめていたトーカが、イコルネたちへ視線を移して、小さく頷く。
「マリちゃんの部屋は僕が入るね。ハリエル君、奥の部屋は君が使わせてもらいな」
「え!? ぼ、僕が一人部屋ですか?」
急に名を呼ばれたハリエルが、素っ頓狂な声を上げる。
「曲がりなりにも貴族のご子息でしょ。安全面を考えても、この部屋割りが妥当かなと思ったんだけど……いやだった?」
「あ、いや……その……嫌というわけではないんですが……」
「あぁ、イコ君と一緒が良かったのか」
「……は、はい」
おそるおそるこちらを見るハリエルへ、イコルネはため息混じりに「なんでもいい……」と答える。
それを聞くなり、ハリエルは万遍の笑みを浮かべ、小さくガッツポーズをした。
「じゃあ俺が一人部屋な。おばさん、部屋入っていいか?」
廊下の後ろで面倒くさげな視線を向けていたタイラーが、女主人へ声をかける。
「え? でも、うちの子たちが荒らしてるでしょうから、一度部屋の片付けを……」
「どうせ寝て起きるだけだろ。俺は気にしねぇから」
そう言うと、タイラーは女主人の制止も聞かず、一番奥の部屋へと入っていってしまった。
早々に閉められた扉を不安げに見つめる彼女へ、トーカが申し訳なさそうに眉を下げる。
「わがままな人ばかりですみませんね。僕らは適当にするので、気にしないでください」
「そ、そうですか……?」
「えぇ。部屋の案内、ありがとうございました」
小さく会釈しながらトーカが微笑むと、女主人は顔の近づいた彼を見つめて目を瞬かせる。
そして、ほんのり頬を染めながら恥ずかしそうに目を逸らした。
「じ、じゃあ、私は一階に居ますので! 何かあれば、いつでも声をかけてくださいね!」
「お気遣いありがとうございます」
「い、いえ!」
勢いよく頭を下げ、早足にイコルネの横を通り過ぎていく。
すれ違いざまに見えた彼女は、火照った顔に両手を当てていた。
「相変わらず……」
呆れ顔で呟くイコルネへ、トーカはにっこりと笑みを返す。
そのまま身を翻すと、「また明日」と手を振り、マリアテールのいる部屋へと入っていった。
* * *
窓の外に満天の星が瞬く。
王都より標高の高いシダナ村の夜は、ひんやりと冷たい風が吹き抜けていた。
ベッドに腰かけたイコルネは、開け放った窓へ煙草の煙を吐き出す。
風に攫われた煙は民家の明かりを透かし、暖かな色に染まりながら夜空へと溶け消えていく。
その先に影を落とすのは、星と村とを隔てる西の山。
黒々とした闇の中に幾つもの朱色が灯り、右目にしか映らないそれらは、山裾を忙しなく動き回っていた。
ガチャリと音が聞こえ、イコルネは部屋の中を振り返る。
ゆっくりと開く扉の向こうには、ハリエルが分厚いサンドイッチの乗るお盆を手に立っていた。
だが、目に留まったのは、彼でもサンドイッチでもなく、もっと下――扉脇からこちらを覗く、小さな二つの頭だ。
「ほんとに目の色が違うんだ!」
「すげー! ハリエルの言った通りだ!」
そう言って目を輝かせる二人は、先程一番奥の部屋から飛び出してきた女主人の息子たち。
顔を見合せてにんまり笑うと、双子らしい同じ動きではしゃぎ出す。
「こ、こら、二人とも! 静かにするって約束だろ!」
慌ててハリエルが引っ込ませようとするが、ちょろちょろと動き回る子供たちは器用に彼の脇をすり抜け、イコルネの元へ駆け寄ってきた。
そのままベッドの前に並ぶと、赤紫の右目を興味津々で覗き込む。
「紫だ! かっこいー!」
「ねぇねぇ、これってほんとに魔力が見えてんの?」
「どんな風に見えんの?」
「俺の魔力かっこいい?」
「俺も俺も! どんな感じなの?」
間髪入れずに尋ねてくる二人に、イコルネは思わず苦笑する。
「そうだな……そっくりの飴色。小さいけど、蝋燭の火みたいに光ってる。頑張って魔力量を増やせば、それなりに格好よくはなれるかもな」
「火! いいなそれ!」
「かっこいいじゃん!」
「技名考えようぜ!」
「必殺技とかもいるな!」
大喜びの二人は、飛び跳ねるように部屋から出ていこうとする。
しかし、扉の前のハリエルが仁王立ちで彼らを止めた。
「ナット! ニック! イコルネさんにお礼は?」
「なんだよハリエル! 俺ら技名考えないといけないんだよ!」
「そーだそーだ! 忙しいんだ!」
「お礼! 魔力を見てもらえる機会なんて、滅多にないんだぞ! 僕だって見てもらったことないのに!」
ハリエルの剣幕に押し負け、ナットとニックと呼ばれた二人が、その場でくるりと振り返る。
「「ありがとう!」」
ピタリと揃ったお礼に手をあげて返せば、彼らはそっくりな笑顔を見せて部屋から出ていった。
「騒がしくしてしまって、すみません……」
ハリエルが申し訳なさそうに扉を閉める。
サイドテーブルにお盆を置き、向かいのベッドに腰を下ろした彼は、さっきまでの毅然とした態度はどこへやら、叱られた子犬のように身を小さくしていた。
イコルネはサンドイッチに手を伸ばしながらくすりと笑う。
「随分懐かれてたな」
「夕飯を作ってもらっている間、遊び相手を頼まれまして……。僕は、普通に喋っていただけなのですが……」
困ったように眉を下げるハリエルだが、あの子たちの様子を見れば、彼がイコルネたちについて熱く語っていただろうことは容易に想像できた。
「あの……イコルネさんは、魔眼で何を視ていらっしゃったのですか?」
「ん……?」
「僕が部屋へ戻った時、既に魔眼をお使いになっていたので……」
「あぁ、あれ」
イコルネは顎で窓の外を指す。
夜空に連なる山の輪郭へと視線を向けたハリエルは、はっとしたようにこちらを向いた。
「……西の山」
「そう。ここと隣の部屋からなら、よく見えるんだよ」
「なるほど、だからマリアテールさんは二人部屋を……。一人部屋の方は窓の向きが違いますもんね。……常に村の警戒を怠らない、まさに冒険者の鏡です!」
「いや、あれは多分……出てきたのを、抜け駆けして狩りに行きたいだけだと思う」
「そ、そうなのですか……」
反応に困っているハリエルを無視して、イコルネは再び右目を染める。
「やっぱり夜行性だな、よく動く」
「この暗闇で、そんなことまで分かるのですか?」
「まぁな。元々明るさとかは、あんまり関係ないし……」
そこで言葉を切ったイコルネは、向けられる視線がやけに熱っぽいことに気がつく。
あまりに分かりやすいそれに、ついイタズラ心が疼き、赤紫の瞳でじっとハリエルを見つめ返した。
「魔力、お前も見て欲しいか?」
「い、いいんですか!?!?」
「今回の討伐で役に立ったらな」




