4話 シダナ村
小石を踏む車輪が軽快な音を立てる。
馬車の荷台に座るイコルネは、煙草をくゆらせながら外へと視線を向けた。
幌の向こうに見えるのは、天を貫くような真っ直ぐ伸びた木々。
枝葉は高い位置にだけ生い茂り、細く鋭い葉が幾重にも重なって、頭上から差し込む陽光を遮っている。
同じ木ばかりが立ち並ぶこの森は、王都から馬車で五時間ほどの山あいにある、広大な針葉樹林だった。
「ハリエル、まだー?」
荷台の後ろに浅く腰掛けたマリアテールが、足をブラブラと揺らしながら振り向く。
視線の先では、表情の硬いハリエルが御者台で手綱を握っていた。
「も、もう間もなく、依頼元のシダナ村が見えてくると思います!」
声を上ずらせた彼は、出発前より随分大人しい。
緊張に体を強ばらせ、ちらちらとこちらの様子を伺う姿は、興奮に任せて騒いでいた数日前と比べると別人のようだ。
それでも、同行できるならなんでもやると宣言したのは本気だったようで、王都の西門で貸馬車を借りる際、彼は自ら御者役を名乗り出ていた。
その後は無駄口を叩くこともなく、道中はひたすら手綱を握っている。
「おっそーい」
「す、すみません!」
マリアテールに急かされ、ハリエルが焦ったように手綱をしごく。
少しだけ速度の上がった馬車は、土がならされただけの山道をガタガタと音を立てながら登っていった。
道の先に山小屋が見え始めた頃、景色を眺めていたイコルネの視界に目立つ朱色が映りこんだ。
無言で立ち上がり、ハリエルの横から顔を出す。
「……結構いるな」
「へ……?」
こちらを見上げるハリエルを無視し、イコルネは右目を赤紫に染める。
意識を集中させて辺りを見渡せば、薄暗い木々の間には、まるで舞い広がる火の粉のように小さな明かりがいくつも灯っていた。
点々と揺れる朱色は、枝葉の隙間で静かに瞬いている。
「群れは二十くらいって話じゃなかったか?」
「依頼書にはそう書いてあったね」
トーカが丁寧に折りたたまれた紙を取り出して答える。
「多分、五十はいる……。最近こんなのばっかかよ……」
ため息をついて荷台へ戻ったイコルネとは対照的に、キョロキョロと森を見回すマリアテールは上機嫌だ。
「朱猿よね! 動きが早い魔物は久しぶり!」
「追いかけっこ好きだもんね、マリちゃん」
「止まってる的を攻撃しても楽しくないんだもの!」
「その楽しくない攻撃を味方にも当ててくるのは、どうにかできねぇのかよ……」
呆れるようにこぼしたタイラーへ、彼女は立ち上がりながら食ってかかる。
「それはお互い様でしょ! いっつも私の前で剣振り回して、邪魔ったらないのよ!」
「邪魔って、お前なぁ……! 俺は俺の間合いでやってんだよ! そこにお前がピョンピョン飛び込んで来んだろうがッ!」
「避けなきゃいけないようなとこで戦ってんのが悪いのよ!」
「はぁ!? そもそも」
「まぁでも、今回はそんなこと気にしなくていいと思うわよ!」
タイラーの言葉を遮ったマリアテールは「ふんっ!」と鼻を鳴らして腰に手を当てる。
「朱猿がいるのは木の上でしょ? 上にいるのは全部私が貰うから! 木登りできないタイラーは、私が仕留めた猿の後処理でもしてたらいいわ!」
これでもかと煽るマリアテールに、青筋を立てたタイラーが立ちあがる。
「ざけんなッ! 木なぎ倒して、猿ごと叩き落とすぞ!」
「やれるもんならやってみなさいよ! 私のこと目で追い切れないくせに!」
「見えてるわボケッ! じゃなきゃお前の攻撃、弾けるわけねぇだろうが!」
「どうかしらね! 私より多く倒せたら、ちょっとくらいなら認めてあげてもいいけど?」
「上等だッ!」
パンッ!
軽い音が響き、今にも飛び出そうとしていた二人の動きが止まる。
音の出処は、彼らを見上げて微笑んでいるトーカ。
彼は手のひらを合わせたまま、子供へ言い聞かせるように言った。
「楽しみなのはわかるけど、ちょっとクールダウンしようか。今回の依頼は討伐前に村へ顔を出すよう言われてたでしょ? 勝手に始めたら駄目だよ」
マリアテールが「はーい……」と口を尖らせ、大人しくトーカの横に腰を下ろす。
だが、立ったままピクリとも動かないタイラーは、じっとりとした視線でトーカを睨んだ。
「おい……なんで俺にだけ《捕縛》かけてんだよ」
タイラーの体には、細く編まれた金と赤の魔力が絡みついている。
「だって、今にも飛び出していっちゃいそうだったから」
「それならマリアテールも同じだろうが!」
「何言ってるの? 僕がマリちゃんに魔法かけるわけないでしょ」
「はぁ、マジでこの兄妹……。つーか、早く解けよ!」
からかうように笑ったトーカは、合わせていた手のひらを離す。
するとタイラーの体はあっさりと解放され、彼は深いため息をつきながらイコルネの隣へ乱暴に座った。
そのまま完全に八つ当たりの口調で、馬車の前方へ向かって声を飛ばす。
「おい、ハリエル! まだ着かねぇのかよ!」
「ひぃ!! すみません!!!」
悲鳴のような声を上げたハリエルは、強く手綱を鳴らし、馬車の速度をさらに上げた。
* * *
「よくぞ来てくださいました」
髪のない老人が深々と頭を下げる。
イコルネたちが馬車を停めるなりやってきた彼は、山あいを縫うようにして作られた、このシダナ村の村長だった。
「早速で恐縮なのですが、依頼について詳しくお話したいので……手狭ですが、我が家へお越しください」
そう言った村長は、おぼつかない足取りで歩きだす。
彼に続いて村の中を進むと、見える建物はどれも丸太を積み上げたような木造だった。
石やレンガ造りの建物が多い王都とは全く違う趣だが、林業を生業とする村なだけあって、造りはしっかりしている。
歪みのない真っ直ぐな木材に、隙間なくはめ込まれた継ぎ目。
素朴ながらもどっしりとした家々には、どこかイコルネの故郷と似た雰囲気があった。
村長の家へ着き、広いリビングへ案内される。
客を招くことが多いのか、部屋の中央に置かれた四角い木のテーブルには、椅子が八個も並んでいた。
適当に座ると、村長の妻であろう女性がお茶を運んでくる。
紅茶ではない透き通った黄緑色のそれは、鼻に抜ける優しい木の香りが湯気とともに立ち上っていた。
丁寧にお辞儀をして部屋から出ていった彼女と入れ替わるように、大きな紙を持った村長がやってくる。
彼はテーブルの上に紙を広げると、中央の部分を指さした。
「シダナ村を中心としたこの周辺の地図です。村を挟み東西に広がる山の斜面は、我々が代々手入れしてきたバルシダーの人工林になっております」
村長はシワと節の目立つ指をゆっくり東側へずらす。
「そして今回、朱猿が目撃されたのがこの辺り。一週間ほど前、伐採へ向かった者たちが群れに遭遇し、命からがら逃げ帰ってきたのです。幸い怪我人はほとんどいませんが、それ以来、西の山には誰も入れず……」
小さなため息を漏らした村長は、ゆっくりと顔を上げる。
その目には不安と懇願の色が濃い。
「あと二、三ヶ月もすれば、この村は雪に覆われて外界と隔絶されてしまいます。今は少しでも多くの木材を売り、村の備蓄を増やす大切な時期なのです。急斜面の多い東の山の木材だけでは、満足な収入は得られないでしょう……」
村長はイコルネたち四人をぐるりと見回し、そして深々と頭を下げる。
「報酬は、村にある大銀貨をかき集めた四十枚……。Bランクの冒険者様方には端金かもしれませんが、我々の暮らしを救うと思って、一刻も早く朱猿の討伐をお願いします」
「顔を上げてください。僕たちも仕事として来てますから、報酬分の仕事はしっかりやります。……それよりも、わざわざ討伐前に村へ来させたのは、他に理由があるからでは?」
物腰の柔らかいトーカが軽く目を細める。
村長は顔を上げると、少し戸惑ったように視線をさまよわせた。
「そ、その……討伐を急かすようなことを言った手前、誠に図々しいとは思うのですが…………できれば、あまり木を傷つけないでいただきたいのです。冒険者の中には魔法で火を操る方もいると聞きます。朱猿がいなくなっても、バルシダーの林が燃えてしまっては、我々は生きていけません。……ですから、可能であれば、木を燃やしたり切り倒したりせず、魔物だけを倒していただければと……」
村長の言うことは至極真っ当だ。
木材のために討伐を頼んでも、その木材が売り物にならなければ意味がない。
だが、木の上を根城とする朱猿の討伐において、木を傷つけずに戦うというのは、なかなかに面倒な要求だった。
普通なら条件付きの依頼は、その分の報酬を上乗せするのが決まりだ。
しかし、ギルドへ依頼を出す際にそれを伝えず、わざわざ村へ招いてから自分たちの困窮具合を語る。
そして、これ以上の報酬は払えないと印象づけた上で、大切な人工林を傷つけるなと要求してきた。
目の前で俯いている村長は、下手に出るような態度をとってはいるが、なかなか頭の回る人物らしい。
「なるほど……わかりました。その条件、引き受けましょう」
テーブルの上で手を組んだトーカがにこやかに微笑む。
「しかしね、村長。あなた方にとって、大銀貨四十枚は年収の三割近い大金かもしれませんけど、僕ら冒険者からすれば金貨四枚なんて三日で稼げる額なんですよ。そのこと、お忘れなきようお願いしますね」
弧を描く紅茶色の瞳は、いつになく笑っていなかった。




