1話 ハリエル
「あの! 《ただ前へ》のイコルネさんとお見受けします!」
ベンチでぼんやりと煙草を燻らせていたイコルネは、突然かけられた声に顔を上げる。
そこには、小綺麗な軽装鎧に身を包んだ青年が、中央広場の噴水を背に緊張した面持ちで立っていた。
一見すると、騎士のような整った装いだが、首から下がる見慣れた銀プレートは、間違いなく冒険者証だ。
イコルネは陽光の眩しさに目を細めながら、彼の全身へ視線を滑らせる。
腰に携えているのは、そこそこ使い込まれた二本の刀。
所在なさげな手には模範的な位置に剣ダコがあり、鎧の下に見える体は、細身だがそれなりに鍛えられている。
重心の定まった立ち姿からしても、おそらく中級ランク――CかDあたりの冒険者だろう。
軽く瞬きをして右目を凝らすと、髪色とよく似た明るい胡桃色が青年と重なるように浮かび上がる。
ゆらゆらと揺れていて、魔力制御はそれほど上手くなさそうだが、量の方はまずまずといったところ。
丁寧に漉かれた前髪から覗く、人懐っこそうな黄褐色の瞳には、不安と緊張が色濃く滲んでいた。
「あ、あの……イコルネ・ターリアさん、で合ってますでしょうか?」
「……そうだよ」
視線を外し、煙草の煙を吐き出しながらようやく返事をする。
青年はそれを聞くなり目を輝かせると、興奮した様子で喋り出した。
「良かった! わぁー、イコルネさんにお会い出来るなんて光栄です!! 僕、Cランク冒険者のハリエル・ダラットっていいます! 学生の頃から《ただ前へ》の大ファンでして! あなたたちに憧れて冒険者になったんです!! 実はですね、僕が王立学院の一年生だった頃、同級生に虐められていたところをイコルネさんに助けていただいたことがありまして! 当時イコルネさんは四年生だったんですけど、それはもう強くて、かっこよくて! 僕、卒業と同時に冒険者になったんですが、その時には既に、イコルネさんは引退されてしまっていて……すごくショックだったんです……。でも最近、ギルド近くの素材買取屋に、イコルネさんが出入りしているとの噂を耳にしたんです! 聞けば《ただ前へ》も活動を再開したらしいじゃないですか! それならもう、イコルネさんも冒険者に復帰したんだって、夜も寝れなくなってしまって! いてもたってもいられず、こうしてお声をかけさせていただいた次第です!!」
鼻息荒く一気に捲し立てたハリエルに、イコルネは呆気にとられて何も言えない。
しかし彼は、先を促されていると勘違いしたのか、さらに言葉を重ねる。
「あ、僕もイコルネさんと同じ、剣士として冒険者をしているのですが、戦闘スタイルに二刀流を選んだのは、あなたの姿に憧れたからなんです! 風のように舞い、美しく洗練された動きで戦う! そんなイコルネさんに少しでも近づきたいと思って、日々鍛錬をしてるんです! でも実は僕、学院の模擬戦でしかあなたの戦闘を拝見したことがなくて…… 」
「ちょ、ちょっと落ち着いてくんない……?」
「あ、そ、そうですね! お会いできたのが嬉しすぎて、喋りすぎてしまいました。そうだ! あの、握手していただいてもよろしいでしょうか!」
眩しいほどの笑顔で、こちらへ両手を突き出すハリエルに、イコルネはため息をつきながら渋々手を出した。
「ありがとうございます!」と叫ぶような声量で言った彼は、掴んだ手をブンブンと振る。
敵意がないのは分かるが、無駄に力強いせいで腕が痛い。
「……もういい?」
「し、失礼しました!」
慌てて手を離したハリエルは、なおもチラチラとこちらを見てくる。
しばらく無視してみたが、立ち去るでも話しかけるでもない彼は、挙動不審気味に視線を動かすばかりだった。
居心地の悪さに耐えきれなくなり、イコルネは眉を寄せて声をかける。
「……なに?」
「あっ、そ、その……とても図々しいとは分かっているんですが、一つお願いを聞いていただけないでしょうか」
「……」
「僕、一目でいいので、イコルネさんの本気の戦闘が見てみたくて……《ただ前へ》の魔物討伐に、同行させていただきたいんです。決してお邪魔はいたしません。なんなら荷物持ちでもなんでも、雑用すべて引き受けます! ですのでどうか!!」
ハリエルは深々と頭を下げる。
そのまま動かなくなった彼は、返事を貰えるまで顔を上げないとでも言うように、固く目を閉じていた。
昼前の広場はそれなりに人通りが多く、鎧姿の青年に頭を下げさせている構図は、かなり悪目立ちする。
近くの通行人も、そちらを見てはヒソヒソと囁き、足早に通り過ぎていく始末だ。
――正直、今すぐやめて欲しい。
これがただの一般人相手なら、一蹴して早々に立ち去っている。
だが、彼はCランクの冒険者だ。
下手に実力がある上、憧れを拗らせていそうなところを見るに、ここで断っても勝手についてきそうな気がする。
自分が付き纏われるだけなら無視すればいいが、他のメンバーに見つかれば、面倒なことになるのは目に見えていた。
というか、あの友人たちが見られている気配に気づかないはずがない。
最悪、トーカにマリアテール目的だと勘違いでもされれば、冒険者生命を絶たれる可能性すらある。
そんなことになれば、それこそタイラーやランティスに怒られる。
しかし、だからといってこんなのを連れて歩くのは御免だ。
どうしたものかと途方に暮れていると、人混みの中に見知った顔を見つける。
ツンツンと立てた黒髪と、背が低い割にガタイのいい体。
背には身長ほどもある大剣を背負い、キョロキョロと辺りを見回しながら歩いているのは――友人のタイラー・シルベリートだった。
こちらに気づいた彼は、心底嫌そうな顔をしながら近づいてくる。
「イコ、お前なにやってんの……?」
「……俺にもわかんない。助けてタイラー」
自分で考えることを放棄し、彼に丸投げで助けを求めてみる。
「はぁ? 分かんねぇってなんだよ……。つか、こいつは誰?」
「なんか俺のこと大好きらしい」
「説明になってねぇんだよ……。何、告白でもされてんの?」
「タイラーのことも好きらしいよ」
「は? まじで意味わかんねぇんだけど……」
もう説明するのも面倒になり、適当に流してこの場を乗り切りたい。
しかし、頭を下げ続けていたハリエルは、タイラーの声にパッと顔を上げると、興奮に満ちた眼差しで詰め寄り始める。
「タイラー・シルベリートさんですよね!? すごい、本物だぁ! お会いしたかったです!! 握手してください!」
「うっわ、何コイツ」
ドン引きのタイラーをよそに、ハリエルは鼻息荒く手を差し出す。
拒否するように手をポケットへ突っ込んだタイラーへ、ハリエルは一瞬残念そうな顔をするが、代わりに自己紹介を始めた。
「僕、ハリエル・ダラットって言います! 《ただ前へ》の皆さんの大ファンでして! パーティが復活したと聞いて、我慢できず会いに来てしまいました! 僕が憧れているのはイコルネさんなんですが、シルベリートさんのその逞しい筋肉も……」
「待て待て待て! ハリエルっつったか? お前、ギルドで割と有名な変人のCランクだろ」
力説を始めようとしたハリエルを遮り、タイラーは眉を寄せて彼の顔をまじまじと見る。
鋭い目付きに一瞬固まったハリエルだったが、それもつかの間、すぐにまた口を開いた。
「シルベリートさんに覚えてもらえているなんて! 感激です!!」
「いや、覚えてるっつーか……俺らのこと知ってる奴らにネタにされてんだよ、お前」
「……ネタ、ですか?」
キョトンとするハリエルに、タイラーは少し躊躇いながら言う。
「言われたことあんだろ……『イコルネもどき』」
「あぁ、確かにありますね! イコルネさんの面影を少しでも僕から感じ取って貰えたみたいで、とても嬉しかったです!!」
「何コイツ……」
タイラーはまたしてもドン引きだ。
憧れの人物の下位互換だとネタにされて、ここまで素直に喜べるのはある意味才能かもしれない。
「……で? お前はなんでその憧れのイコルネさんに、こんな場所で頭下げてんの?」
「えっと、それはですね。僕、皆さんみたいに、どこまでも強くて、孤高で、凛々しくて、かっこいい冒険者になりたいんです。そのために、強者の戦闘を観察するのって凄く勉強になると思っていて……」
「簡潔に言え」
ハリエルを軽く睨んだタイラーは声を少し低くする。
イコルネほどじゃないが、既にタイラーも相手をするのが面倒くさくなってきたらしい。
思わぬドスの効いた声にビクリと体を震わせたハリエルは、慌てて話をまとめる。
「あ、その……《ただ前へ》の魔物討伐に、同行させていただけないでしょうか!!」
「断る」
タイラーは問答無用で切り捨てた。
イコルネがあれこれ考えていたのを一刀両断する台詞は、とても彼らしくて思わず苦笑する。
だが、ハリエルは再び腰を折ったまま動かなくなった。
断られたにもかかわらず頭を下げ続けるあたり、無駄に頑固なのが輪をかけて面倒臭い。
「あー……なるほどな……」
「……うん、助けて」
先程までの自分と全く同じ表情になったタイラーは「無理だろ……」と呟き、盛大にため息をついた。
頭を下げたハリエルをしばらく二人で見下ろしていたが、周りの視線に耐えかねたのか、タイラーが踵を返す。
「っし、こういうのはリーダーに任せようぜ」
そう言ってギルドの方へ歩き出した彼は、もう考えるのを放棄した顔をしている。
《ただ前へ》のリーダー――つまり、この手のことが得意そうなトーカに、問題を丸投げするつもりだ。
他人任せもいいところだが、学生時代から言い寄られることが多かったトーカなら、きっと上手いこと言いくるめてくれるだろう。
それに、ハリエルへ危害を加える可能性が一番高いのもトーカだ。
あらかじめ会わせてしまうのは、案外得策に思えた。
「ハリエル、そういうのはうちのリーダーに直接交渉しな」
「《ただ前へ》のリーダー……まさか、かの有名な魔法士トーカ・ロットさんに紹介いただけるのですか!? ありがとうございます!!」
「声でか……」
広場に響き渡る声で感謝を述べるハリエルを無視し、タイラーとともに歩き出す。
慌ててついてくるハリエルは、興奮冷めやらぬといった様子で、晴れ渡った笑顔をしていた。




