8話 作戦終了
「邪魔すんじゃねぇよ!」
怒鳴り返された声に、タイラーは目を見開く。
イコルネとはもう十年以上の付き合いだが、ここまで剥き出しの感情を彼から向けられたことなど、一度もなかった。
両手の刀を握り直したイコルネは、再び鏡鎧蜂の群れへ突っ込んでいく。
口の端を釣りあげ、爛々と目を輝かせるその姿は、捨て身というにはあまりにも楽しげで、まともとは到底思えなかった。
タイラーはイコルネを追いかけ、自らも群れの中へ飛び込む。
「お前、毒食らってんだろうが! こんな戦い方、体が持つわけねぇだろ!!」
「こんな時じゃないと戻ってこないんだよ! この感覚、久しぶりだ! 俺の体だ!」
「何言ってんのかわかんねぇんだよ! 一旦落ち着けって!!」
イコルネへ手を伸ばそうと、一歩踏み込んだ足元が突如揺れる。
ミシミシと軋んだ氷は、瞬く間に亀裂を広げ、鋭い破砕音とともに幾筋にも裂けた。
タイラーは傾く足場を蹴って大きな氷へ飛び移る。
突き立てた大剣に掴まり、視線を回せば、イコルネは少し離れた氷の上で刀を振るっていた。
鏡鎧蜂たちは執拗に彼だけを狙い、こちらには全く興味を示さない。
加勢に行こうと大剣を引き抜いた時、甲高い金属音が耳を突き抜けた。
咄嗟に振り向くと、巣のちょうど真下に、眩い光が見える。
目を凝らすまでもないそれは、氷を身に映して白く輝く巨大な鏡鎧蜂。
右半分の翅を失い、巣から落ちた女王蜂だった。
「――――!」
音にならない声が響き渡る。
途端に蜂たちは動きを止め、一斉にイコルネへ背を向けて女王の元へと集まっていく。
まるで隊列を組むかのように並び、警戒を示して顎を打ち鳴らす様子は、完璧なまでに統率が取れた圧巻の光景だ。
強い相手にも躊躇いなく向かっていき、飛べなくなった主を一丸となって守る――それは、ただただ逃げ惑っていた王城騎士団などより、よほど騎士らしく見えた。
「おらァ! 逃がさねぇぞ!!」
上から声が降ってくる。
見上げれば、剣を振りかざしたマルコが崖の上から飛び降りてきた。
数十メートルはあろうかという高さを勢いのままに落ちてくる彼は、着地に任せて女王蜂へ剣を叩き込む。
氷が割れ、盛大な水飛沫があがる。
だが、折り重なる兵隊蜂に阻まれた刃は、わずかに女王に届いていない。
続けざまに降りてきたドルトンも横から体当たりをくらい、着地位置が大きく逸らされた。
「あんたら逃がしてんじゃないわよ!」
空中にいた鏡鎧蜂が、突き飛ばされるように海へ落ちる。
タンタンッと軽い足音を立てて、蜂を蹴りながら降りてきたマリアテールが、苛立ちを露わにした声でマルコたちへ怒鳴る。
「せっかく翅落としてあげたんだから、一撃で仕留めなさいよね!!」
「無茶言うなって嬢ちゃん! あいつ甲殻が硬すぎんだよ! 俺の斬撃で削れもしねぇ!」
「うちのパーティならとっくに仕留めてるわよ!! あーもー! 使えない!」
彼女は氷へ着地するなり、勢いよくこちらを見る。
「タイラー! イコ! あんたたちなら斬れるでしょ! 周りの足止めはするから早くやって!!」
どこまでも一方的な要求だ。
しかし、仲間の実力を微塵も疑わないその言葉は嫌いじゃない。
タイラーがイコルネと同時に駆け出すと、マリアテールが後ろの船へ向かって叫ぶ。
「兄さん! 足場ぁーッ!!」
パンッ! と手を打ち鳴らす音が空気を震わせる。
直後、足場の揺れがピタリと止まり、一瞬にして辺り一面が氷の平原と化した。
迫り来る攻撃の一切を無視して、タイラーとイコルネは氷上を駆け抜ける。
正面から飛んできた鏡鎧蜂をマリアテールが蹴り飛ばし、背後から迫る毒針をマルコの斬撃が切り裂く。
ドルトンの跳ね飛ばした蜂が待ち構える群れを薙ぎ倒し、その上を二人で飛び越える。
向かう先にいるのは鏡鎧蜂の女王。
空と氷を映す鏡面の身体は、トーカの魔法で半分ほどが凍りつき、飛ぶことも動くこともできなくなっていた。
タイラーは速度を上げ、イコルネの前に出る。
近衛のように並ぶ蜂たちを一振りで薙ぎ払い、走る勢いのまま女王の下へと体を滑り込ませる。
構えた大剣を全力で振り上げれば、刃は大顎を捉えて鈍い音を響かせた。
だが、貫くつもりで振るった攻撃は、分厚い甲殻にわずかな傷をつけただけ。
腕に走る衝撃を無理やり握り込み、タイラーは大顎ごと剣を突き上げる。
弾かれた頭が大きく跳ね上がり、女王の巨体が仰け反った。
「イコ、やれッ!」
張り上げた声より早く、赤い一閃が目の前を横切る。
遅れて熱風が前髪を掠め、裂けた女王の腹から透明な液体が噴き出した。
――その刹那、甲高い音が響き渡る。
耳に突き刺さるそれは、紛れもない女王の声。
巨体が崩れ落ちるとともに声が弱々しく掻き消えると、周囲の蜂たちが一斉に飛び立った。
空高く舞い上がる群れは、真っ直ぐ王都へ飛んでいく。
「クソッ! 死に際に面倒なことしやがって!!」
タイラーは腹の下から這い出しながら、吐き捨てるように叫ぶ。
断末魔のようなあの声は、おそらく女王の命令だ。
餌の多い場所へ仲間を向かわせ、種を絶やさないための最後の悪あがき。
鏡鎧蜂たちは、既に崖より遥かに高いところを飛んでいる。
崖上にいる魔力切れの魔法士たちでは、すべて撃ち落とすことは難しいだろう。
騎士団でも手こずるBランクの魔物の群れだ。
あれが王都を襲えば、いくら冒険者や憲兵がいても、甚大な被害が出ることは容易に想像できる。
遠ざかる鏡鎧蜂の影をタイラーが追おうとした時、不意に体が浮くほどの突風が吹いた。
海上を駆け抜ける風が一気に上昇し、渦を巻きながら巨大な竜巻へと変わる。
横殴りに陸へ乗り上げた竜巻は、もの凄い速さで蜂の群れを追い、みるみるうちに距離を詰めて、そのまま群れを呑み込んでしまった。
空を覆っていた影が一つ残らず消え失せ、代わりに黒く染まった竜巻が進路を変えて海へと戻ってくる。
まるで意思があるかのような動きに、タイラーが固まっていると、場違いなほど上機嫌な口笛が耳へ届いた。
「レイシアやるなぁー!」
振り返れば、空を見上げたマルコが楽しそうに笑っている。
「若いのばっかにいい格好させてらんねぇよなぁ、ドルトン!」
「あぁ、そうだな!」
マルコがドルトンに向かって走る。
斜めに構えられた盾へ助走をつけて駆け上がると、ドルトンが跳ね上げるのに合わせて、空高く飛んだ。
やけに高い跳躍は十メートルを軽々と超えるが、マルコの眼前にはさらに巨大な竜巻が迫る。
彼は閃光をまとわせた剣を両手で振り上げ、ニヤリと笑うなり、空気が唸るほどの斬撃で竜巻を真っ二つに斬り裂いた。
風の塊は瞬く間に解けて消え、八つ裂きになった鏡鎧蜂が大量に降ってくる。
かろうじて生き残っている蜂も、ズタズタに引き裂かれた翅では上手く飛べず、ふらつきながら少しずつ高度を落としていた。
そこへ、いくつもの白緑の光が一直線に飛んでくる。
空中の蜂へ次々と当たる光は一つ残らず命中し、生き残った鏡鎧蜂をすべて氷上へと撃ち落とした。
呆気にとられているタイラーの目の前にも、ドサリと鏡鎧蜂が落ちてくる。
傷だらけでくすんだ蜂の頭部には、魔法の光を纏う白い矢が、甲殻を砕いて深々と刺さっていた。
「よーし、終わった終わった!」
マルコの清々しいほど明るい声が響く。
それに釣られて顔を上げれば、澄み渡る空にはもう羽音一つ聞こえない。
「お前ら大丈夫かー?」
投げかけられた言葉に、タイラーは反射的にイコルネを探す。
女王の体を挟んで反対側にいた彼は、項垂れるように俯き、その場に座り込んでいた。
慌てて駆け寄ると、イコルネはわずかに顔を上げてこちらを見る。
「タイラー……火、貸してくんない?」
「ひ?」
「海の水被ったせいで、煙草用のマッチが濡れてて……」
「……お前なぁ」
呆れたため息をつきながら、ポケットのマッチを投げつける。
イコルネはそれを器用に片手で受け止め、銀の缶ケースから出した自前の手巻き煙草へ、慣れた手つきで火をつけた。
深く吸い込み、上を向いてゆっくりと煙を吐き出す。
「あー、疲れた……」
そうこぼした彼は、しばらく深呼吸するように煙草を吹かしてから、膝に手をついて立ち上がる。
体にはかすり傷がたくさんあるが、毒に苦しんでいる様子はない。
そのことにこっそり安堵していると、足元を埋め尽くす死骸を見回したイコルネが「なぁ」と呟くように言った。
「これの後処理って、騎士団に任せていいよな……」




