6話 小さな魔物
船内へ侵入しようとしていた鏡鎧蜂を斬り飛ばし、イコルネは甲板に向かって怒鳴る。
「近接戦ができない奴は中に戻れ! 今更、巣を攻撃してもどうにもならない!」
それを聞くなり、必死で魔法を放っていた魔法士たちが船内へ駆け込んでいく。
甲板に残るのは、かろうじて攻撃が通る重量級の騎士と、《障壁》を張りながら倒れた者へ《治癒》を試みている治癒士。
そして、トーカとイコルネだけだった。
眼前の毒針を横薙ぎに払い、イコルネは岸壁へと視線を向ける。
鏡鎧蜂の巣は、表層が剥がれて六角形の巣房があちこちから覗いているものの、いまだ岩壁に張り付いたまま崩壊の兆しがまるでない。
そこから湧き出す無数の蜂は、上空を青黒く染め上げ、群れ全体が意志を持つかのように周囲の人間を襲っていた。
激しい戦闘音と騒々しい羽音が、海上と崖上を包み込んでいる。
一向に減る気配のない兵隊蜂、いくら攻撃しても壊れない巨大な巣――終わりの見えない戦場に、イコルネは憎々しげに舌打ちをこぼした。
既に瓦解寸前である海側の部隊ほどではないにしろ、このままではおそらく、陸の部隊もそう長くは持たない。
ひとまず目の前の敵を倒し続けているが、初撃の時点で想定外に対応できなかった騎士団になど、もう指示を仰ぐだけ無駄だろう。
いま優先すべきは、群れで襲われている不利な戦況を崩すこと。
あの魔物が見た目通りの生態なら、司令塔である女王蜂がどこかにいるはずだ。
それを倒せば、少なからず群れの統率は崩せる。
騎士も魔法士もまるで役に立たなかったが、一体の蜂を複数人で攻撃すれば、各個撃破くらいはできるだろう。
それなら、自分がやることはひとつだ。
イコルネは乙女ノ炎舞を振り抜き、昇降口に群がる鏡鎧蜂を焼き払うと、船内へ向かって声を張り上げる。
「マール! 動けるなら来い!!」
すると、予想外に近いところから「ヒッ!」と小さな悲鳴が上がる。
そろそろと船室から顔を出したマールは、怯えきった表情でこちらを見た。
「お前、伝令役って言われてたよな? 使役してる魔物で、離れた奴の声を伝えたりできるか?」
「え、えっと……情報伝達って意味でしたら、できます。今も、ほかの船にいる子からの報告は届いてますし……」
「それ、俺にも使えるか?」
「イコルネさんからの言葉を、私が聞くくらいなら。うちの子たちは思考の共有ができるので……」
「上出来だ! 一匹貸してくれ!」
「は、はいぃ!」
マールは悲鳴に近い声で返事をしながら、肩の上に乗るふわふわとした魔力へ触れる。
白い光が小さく瞬いたかと思えば、手のひらほどの丸い毛玉のような魔物が姿を現した。
「こ、この子に伝えたいことを話せば、私に伝えてくれるようお願いしてありますっ」
「助かる。俺の言ったことはそのままトーカに伝えてくれ」
イコルネは毛玉の魔物を受け取り、ローブの内側へ入れる。
船内への扉を素早く閉めると、トーカへ叫びながら船首へと走り出した。
「トーカ! 巣まで足場を頼む!」
「おーけー! 滑るから気をつけて、ねッ!」
そう言うなり、トーカは手に持っていた短剣を海へ投げる。
金と赤を纏って飛んだ剣は海に落ちた途端に魔力を広げ、凄まじい速さで波を凍りつかせた。
イコルネは走る勢いのまま、躊躇いなく船を飛び降りる。
パキパキと音を立てる氷は海上を白く塗りつぶし、瞬く間に巣の真下への道を作り上げていく。
その上を《加速》で一気に駆ければ、迫る脅威に気づいた兵隊蜂たちが、猛然と後を追ってきた。
襲い来る蜂を、足を止めずに斬り払う。
染めっぱなしの右目で動きを読み、前後左右から迫る毒針をかわし、絶え間ない攻撃を跳ね飛ばしながら、氷上を走り抜ける。
崖まで百メートルをきった頃、前面の大きく剥がれた巣の奥に一際強い輝きを見つけた。
執拗に襲ってくる兵隊蜂とは明らかに違う、銀白に虹のような光がチラつく大きな魔力。
「……みつけた」
イコルネはローブの中をまさぐり、マールから借りた魔物を引っ張り出す。
潰さぬよう握ったそこへ、声をかけようとした瞬間――片手で弾いた毒針がイコルネの頬を掠めた。
二センチにも満たない赤い筋。
その傷は、わずかに血を滲ませると同時に、身体中へ痛みを広げていく。
頬に、首に、肩に、鼓動に合わせて神経が研ぎ澄まされていくような感覚。
服の擦れ、刀をつたう振動、氷を踏む衝撃、そのすべてが鮮明な痛みとなって全身を駆け巡る。
だがイコルネは、それでも足を止めなかった。
手に掴んだ毛玉の魔物へ思い切り叫ぶ。
「巣の上五メートル! 女王の部屋まで吹き飛ばせッ!」
言い終わるが早いか、空を駆け抜けた巨大な《火球》が、巣の上部に命中する。
轟音を響かせた爆発は後ろの崖ごと吹き飛ばし、燃えた破片が辺りへ飛び散った。
剥き出しになった巣の中には、蠢く無数の白い幼虫と、その中央に鎮座する縞のない全身鏡面の巨大な蜂。
兵隊蜂の三倍はあろうかという大きな体躯は、紛れもない女王蜂だった。
女王は感情のない大きな瞳でイコルネを真っ直ぐ捉えると、ゆらりと魔力を膨らませながら身を震わせる。
「――――!」
音にならない声が響き渡った途端、鏡鎧蜂たちが一斉にイコルネへと標的を変えた。
崖の上にいたものも、船へ向かっていたものも、すべてが氷上へ向かってくる。
視界を覆い隠すほどの蜂の群れ。
みるみるうちに取り囲まれるイコルネは、到底捌ききれない数の攻撃をギリギリで凌ぐ。
身体の至る所に毒針が掠め、痛覚だけでなく、視覚、嗅覚、聴覚――それらがすべて鋭敏になる。
だが、その中で剣を振るうイコルネは、声を上げて笑っていた。
「ははっ……痛てぇ! 最高だな!!」
* * *
崖の上で鏡鎧蜂を薙ぎ倒していたタイラーは、大剣が弾いた軽い金属音に怒鳴り声を上げる。
「マリアテール! お前これ、絶対他の奴にやんじゃねぇぞ!!」
「わかってるわよ!」
マリアテールの声が頭上から聞こえ、次の瞬間、タイラーのすぐ横に着地した。
彼女は再び跳び上がると、空中の鏡鎧蜂へ鎖をかけて引きずり下ろす。
その勢いのままナイフで翅を切り落とし、着地と同時に首を折った。
相変わらず器用な戦い方をする彼女へ、タイラーはうんざりした声を返す。
「冒険者はともかく騎士団にやったら、下手すりゃ独房行きだぞ!」
「あーもー! うっさいわね! それくらいの分別は着くわよ!!」
互いに鏡鎧蜂を倒しながら怒鳴り合っていると、近くで見ていた《迅魔巫》のマルコが声を出して笑う。
「お前ら余裕だな! 元気が有り余る若者ってのはいいねぇ!」
楽しそうな彼は、目の前の鏡鎧蜂へ剣を振るう。
弧を描いた切っ先は蜂の胴体を真っ二つに裂き、そのまま空へと伸びた斬撃が、飛んでいた二体をもまとめて断ち切った。
洗練された動きと鮮やかな魔法の発動。
流石Bランク冒険者として十年以上活躍しているだけはある。
「嬢ちゃん、俺にならそれやってもいいぞ!」
「……やだ。あんたの剣は捌くのが面倒くさい」
そう言い放ち、マリアテールはどこかへ跳んで行ってしまった。
「嫌われたもんだなぁ。おい、ドルトン」
「お前が馴れ馴れしく絡むからだろう」
ドルトンと呼ばれた深い鳶色髪の男は、大盾で鏡鎧蜂を叩き潰しながら呆れたように言う。
騎士の剣では傷ひとつ付かなかった甲殻を、いとも容易く砕くその威力は、並の《増強》の魔法ではないだろう。
次から次へと現れる鏡鎧蜂の群れを、かすり傷一つ負わずに倒していく冒険者たち。
その姿に、騎士団は呆気にとられているようだった。
「攻撃の通じない者は私の後ろへ!」
蜂の毒を受け、倒れ伏す騎士を守りながら《神奏の剣》のライナーが叫ぶ。
彼は味方を庇うことに慣れているのか、鏡鎧蜂を剣と鎧で弾き飛ばし、負傷者や魔法士の盾となるように立ち回っていた。
「アイツいいな、ちゃんと周りが見えてる」
マルコがライナーの様子を観察しながら、興味深げに言う。
「指揮官とかに向いてるタイプだろうな」
「冒険者の統括は、あんたじゃねぇのかよ」
大剣を振るいつつ眉を寄せたタイラーへ、マルコは屈託のない笑顔で歯を見せた。
「俺は指揮官ってより、みんなを引っ張っていくリーダーのが向いてんだよ。俺の背中に着いてこーいってなッ!」
マルコが手に持った剣を振り抜くと、空高く飛んだ斬撃が空中にいた敵を一掃した。
ドサドサと落ちる鏡鎧蜂に情けない悲鳴を上げた騎士たちへ、マルコが声を張る。
「この辺は俺らで足りてるんで、騎士の方々は魔法士部隊の護衛に行かれてはどうでしょうね!」
「あ、あぁ! その方が良さそうだな」
「そうさせてもらう!」
騎士たちは口々に言うと、そそくさと後方へ下がっていく。
結局、激しい戦闘の続く崖の最前線には、五人の冒険者と壮年の騎士が数人しか残らなかった。
「騎士団は根性ねぇなぁ……」
「マルコ、口が過ぎる」
「悪い悪い。でもうちの若いのの方が、よっぽどガッツがあるってもんだろ?」
「まぁ否定はしないが」
マルコとドルトンは、雑談しながらとは思えない勢いで敵を薙ぎ倒していく。
そんな二人の姿はどこか自分たちのパーティと似ている気がして、タイラーは負けじと鏡鎧蜂の群れを叩き斬った。




