2話 招集
煙草の煙が曇天に登っていく。
開け放った窓に腰かけたイコルネは、今にも降り出しそうな空をぼんやりと眺めていた。
王都の西側に位置するここは冒険者御用達の安宿だ。
合成魔獣討伐の補填として、ギルド長のランティスに紹介してもらった宿で、通常なら一日銀貨二枚の部屋代を、ひと月大銀貨三枚という破格の値段で借りている。
常に死と隣り合わせの冒険者相手に、こんな条件で部屋を貸すなど普通はありえない話だが、宿屋の主人は「前例があるので」と気前よく了承してくれた。
ちなみにその前例は、Bランク冒険者であり友人のタイラー・シルベリートだ。
ここは彼が泊まっている宿で、なんなら隣の部屋だった。
それほど眺めも良くない三階の窓から煙を吐き出す。
厚い雲に覆われた空は、朝だというのに薄暗く、緩く吹き込む風はじっとりと湿っていた。
陰鬱な天気とは裏腹に、今日は珍しく寝起きが良い。
イコルネは吸い終えた煙草を空き瓶の中に放り込むと、右隣から聞こえてくる物音に耳を澄ませた。
壁の薄いこの部屋は、左隣が倉庫ということもあって、タイラーの部屋の音が特によく聞こえる。
ガタガタと控えめに鳴っているのは、おそらく部屋の片付けでもしているのだろう。
物が散乱する自分の部屋を見なかったことにしたイコルネは、窓脇のサイドテーブルへと視線を落とす。
そこに置かれているのは、昨晩遅くに冒険者ギルドの使いから渡された封筒だ。
中身は招集の知らせ。
ほとんど読み飛ばしたのであまり覚えていないが、朝のうちにギルドへ集まるよう《ただ前へ》のイコルネ宛で書かれていた。
うちのパーティは基本的に昼以降の集合が多いので、こんな朝早く呼び出されるのは珍しい。
そもそも集合時間が遅めになったのは、朝に弱いイコルネが遅刻し過ぎたせいではあるのだが、タイラーやマリアテールに叩き起されることなく間に合いそうな今回は、とても運が良かった。
宿を出るまでは、まだそれなりに時間がある。
いつもならもう一度寝直すところではあるが、今日はそれほど眠気もない。
こんなにスッキリ起きられることなど滅多にないので、ふと思い立って、早めにギルドへ行くことにした。
ベッド脇に掛けていたタオルを掴み、部屋を出る。
廊下の突き当たりにある洗面台で顔を洗い、おもむろに髪を束ねようとした手が、空をきって項に触れた。
思わず顔を上げれば、正面にある壁掛けの鏡には、髪の短い自分の姿が映る。
前髪が短いおかげで気だるげな両目がはっきりと見え、寝癖の治っていない頭はどこか学生の頃を思い出させる。
なんとなく気恥ずかしくなり、髪を雑に掻き回して、そそくさと部屋へ戻った。
着替えを済ませ、入念な装備の点検を終えた頃、窓ガラスに当たる細かな雨音が聞こえてくる。
降り始める前にギルドへ行くつもりが、少し遅かったらしい。
手早く残りの身支度をすると、レインコートがわりにローブを羽織る。
Cランクの昇級祝いにパーティ揃いで作ったこのローブだが、いまいち使いどころが分からず、イコルネは雨よけや軽い防寒着代わりとして使っていた。
黒山羊の毛織に金の縁刺繍という無駄に上等な作りなのは『無骨な鎧やだらしない普段着でも、とりあえずこれを羽織っておけばそれなりの見た目になるから』というトーカの選定だ。
イコルネは最後に乙女ノ炎舞を腰に差し、部屋を後にして階段をおりる。
一階のフロントで鍵を預けてから宿を出ると、小雨程度だった雨足は少し勢いを増していた。
フードを目深にかぶり、足早でギルドへ向かおうとした時、後ろから聞き馴染みのある声がする。
「こんな時間にイコが起きてるとか、珍しいこともあんだな。……雨も降るわけだ」
振り返れば、宿の入り口からこちらを見るタイラーと目が合った。
揃いのローブを羽織った彼は、足早に駆けてくる。
「随分さっぱりしたな」
フードの隙間から覗き込むようにイコルネを見上げ、タイラーが活発な笑みを向けてくる。
「昨日おやっさんとこで切ってもらった」
「あの人見かけによらず器用だよな。俺も切ってもらったことあるわ」
「金取られたけどな」
「銅貨五枚だろ。俺の時もそうだった。でも散髪屋じゃ銀貨は取られんだ、かなり良心的なんじゃねぇの」
「まぁ、それもそうか」
二人並んで足早に路地を歩く。
雨足は強まるばかりだが、気心知れた友人と雑談を交わしながらの道中は、それほど悪くなかった。
* * *
会議室の扉を開けると、聞こえていた話し声がピタリと止む。
雨音響く部屋の中には、既に十人ほどの人が集まっていた。
ギルドに着くなりイコルネたちが通された会議室は、奥行きがあるそれなりに広い部屋だった。
中央に置かれた長机には椅子がいくつも並び、左奥を陣取るように、落ち着いた苔色のショートマントを羽織った貫禄のある四人組が座っている。
その少し手前の向かい側には、爽やかな青を基調とした装いの若い六人組が、どこか緊張した面持ちで立っていた。
一様に首から銀のプレートを下げているので、全員冒険者なのだろう。
戦闘向きな装備が馴染んでいるあたり、どちらもそこそこランクの高いパーティらしい。
彼らは入ってきたイコルネたちへ視線を向けながら、互いを牽制するように沈黙を落としていた。
「座ろうぜ」
タイラーがずかずかと部屋へと入っていく。
そのまま入口近くの椅子を引くと、背の大剣を外してドサリと座った。
イコルネも隣に腰を下ろし、煙草を吸おうと腰鞄へ手を伸ばした時、入口の扉が勢いよく開く。
「あれー! イコに先越されてる!?」
弾けるような明るい声を響かせ入ってきたのは、雨粒の光る黒いローブを羽織ったマリアテールだった。
彼女はこちらへ駆け寄ってくると、勢いよく机の上に座る。
「こんなに早く来てるなんて、珍しー!」
「タイラーに叩き起こされたんじゃない?」
後から入ってきたトーカが、からかうような笑みを浮かべて言う。
彼もマリアテール同様、揃いのローブを羽織っていた。
「んなことしてねぇよ」
「じゃあ自力で起きれたんだ」
「たまたまな」
「もー、それができるならいつも遅刻しないでよ!」
「まぁ……気をつける」
「絶対思ってないでしょ!」
急に騒がしくなった室内は、先程までの張り詰めた空気が消え失せ、代わりに呆れたような視線がこちらへ向いていた。
周りのことなどお構いなしに喋っていると、再び扉が開く。
豪快な足音を響かせて入ってきたのは、ギルド長のランティスと背の高い初老の男、補佐らしきギルド職員の三人だった。
「お、揃ってるな」
部屋を見渡したランティスは、ちらりとイコルネへ視線を向け、連れ立った男と並んで長机の一番奥に腰を下ろす。
隣に座る男は、体格のいいランティスと比べてなお大柄で、白地に赤い刺繍の施された、王城騎士団の隊服を着ていた。
白い髪を後ろへきっちりと撫でつけた顔は厳しく、鋭い茶褐色の眼光で冒険者たちを見据える。
「とりあえず全員席に着け」
ランティスが言うと、立っていた者たちがそろそろと椅子に座る。
職員の女性が持ってきた分厚い書類の束が長机に広げられ、皆がそれに視線を落とす中、ランティスが硬い声で話し出した。
「まずは、急な召集に応えてもらって感謝する。今回集まってもらったのは、騎士団から合同討伐の依頼があったからだ」
「合同討伐……?」
その言葉に皆の動きが止まる。
冒険者ギルドと騎士団は名目上協力関係にあるものの、それほど仲の良い組織ではない。
粗野で野蛮な冒険者と、国を守る神聖な騎士団。
互いに魔物の脅威を退ける役割を担っていても、騎士団の中には冒険者のことを見下し、毛嫌いする者も少なくなかった。
そんな者たちから合同討伐の依頼などと聞けば、いいように使われるか、捨て駒にされるか――そう勘ぐるのも仕方がない。
「とりあえず聞け。今回の討伐対象は鏡鎧蜂って蜂型の魔物だ。討伐難易度はBランク。数十年に一度巣分けをするんだが、その巣が王都南の港近くで発見されたらしい」
ランティスは机の資料を一枚指さす。
そこには、鋭い針をもつ大きな蜂と、岸壁にへばりつく巨大な巣らしき絵が描かれていた。
「巣の規模は大型の帆船、約一隻分。蜂の数は偵察しただけでも千匹を超えてる。こいつらは肉食で人も襲う上、強力な神経毒をもった危険な魔物だ。早急に手を打たないと王都に甚大な被害が出るってことで、騎士団の方から冒険者ギルドへ協力要請が来た」
そこで一度言葉を切ったランティスは、隣に座る男へ視線を向ける。
男はそれに応えるように立ち上がると、注目する冒険者たちを見回した。
「私は王城騎士団団長、ダレン・ベルフォールだ。貴君らと騎士団との間に確執があることは承知している。しかし、今回の事態は王都ないしは王国の危機である。同じ、魔物の脅威から民を守る者として、協力を頼みたい」
ダレンの瞳は真っ直ぐに冒険者たちを見つめる。
そこには冒険者を見下すような色は微塵もなく、魔物を倒して王都を守りたいという、強い意志だけが浮かんでいた。




