1話 散髪とピアス
カランカランッ
聞き慣れたドアベルが軽快な音を立てる。
入口の隙間から差し込んだ昼下がりの陽光は、床や壁に所狭しと置かれた武具に反射し、薄暗い店内を明るく浮かび上がらせた。
眩しさに顔をしかめた店主のソーン・ダグラスは、入ってきた客の方を見ることもなく、口癖のように声をかける。
「いらっしゃい」
「……どーも」
扉の閉まる音とともに聞こえたのは、つい最近耳にした、懐かしい声。
思わず磨いていた甲冑から視線を上げると、赤土色の頭を掻く気だるげな青年と目が合った。
「お! なんだ、イコ坊じゃねーか。あれから順調にやってっか?」
「なんとかね。とりあえず金が入ったから、ツケを減らしに来た」
そう言ってカウンターへ近づいてきたのは、十年ほど前から店の常連である、冒険者のイコルネ・ターリアだ。
イコルネは初めてこの店へ来た時、まだ学生だったにもかかわらず、金貨二枚もする兄弟刀を欲しがった。
不相応な武器を持っても怪我をするだけだと突っぱねたものの、一向に諦める気配がなく、イコルネは何度追い返しても食い下がってきた。
しまいには毎日通いつめて頼み込んでくるものだから、結局ソーンが根負けして売ってやったのだ。
それ以来ちょくちょく顔を出すようになり、友人を連れて買い物に来るおかげで、万年閑古鳥が鳴いていたこの店に少しばかり客足が増えたのだった。
イコルネは欠伸を噛み殺しながら「これ……」と麻布でできた小袋を差し出してくる。
ジャラリと音のする袋を受け取り、口紐を解けば、中には金貨が六枚入っていた。
「残りの大銀貨はもうちょっと待ってて。生活費残しとかないと、タイラーに叱られるから」
「ったりめぇだ。そんな金まで払われちゃ、なんのためにツケにしてやってるか分かんねぇじゃねぇか」
説教めいた口調で言うが響いた様子はなく、代わりにヘラヘラと愛想笑いが返ってきた。
冒険者へ復帰したというイコルネに、武器や装備を揃えてやったのは三週間ほど前だ。
冒険者ギルドは継続して仕事をしていないと登録歴が消されるらしいので、四年ぶりともなれば、ほとんど一からのやり直しだろう。
そうなると、報酬の額も高が知れている。
いくら実入りの良い仕事をこなしても、せいぜい大銀貨が数枚。
そこから旅費や宿代を引けば、冒険者の手元にはほとんど残らない。
しかし、目の前の袋に入っているのは金貨だ。しかも六枚。
イコルネなら、愛刀のために食費でもなんでも削りそうではあるが、金貨となると話が違ってくる。
この短期間でこれだけの額が支払われる仕事――おそらくは、高難易度の魔物の討伐か、魔窟潰しに行ったのだろう。
――こいつは、また無茶なランク上げをしてんのか。
漏れそうになった呟きを飲み込み、ソーンは袋を閉じて懐へしまう。
イコルネは昔から、物の使い方は丁寧なくせに、無茶が過ぎて、すぐ装備を駄目にする奴だった。
買い替えに来るたびに叱りつけ、愛刀以外にも気を使えと散々言い聞かせていたのを思い出す。
つい懐かしさに目を細めたソーンは、目の前のイコルネを観察する。
昔のように傷だらけということはないが、だらしなく出たシャツに、髪は伸び放題。
辛うじて括ってはいるものの、自分で切っているのか毛先は不揃いで、外見への無頓着さが際立って見えた。
「その髪、鬱陶しいな」
「ん……?」
思ったことがつい口からこぼれる。
「いや、髪が長ぇと思ってな。……切ってやろうか?」
「おやっさん、散髪なんてできんの?」
「舐めんじゃねぇぞ。俺はガキ五人育ててんだ、野郎の髪なら死ぬほど切ってんだよ」
「子供いたんだ……」と、さして興味もなさそうにイコルネが呟く。
もう十年の付き合いだというのに、相変わらず刀以外にはからっきし関心がない奴だ。
「じゃあ……頼もうかな」
「おう、いいぞ。銅貨五枚だ」
「金取んの……」
「たりめぇだろ。散髪屋より格安なんだから文句言うんじゃねぇよ」
苦笑混じりで「わかったよ」と返された声に口の端を上げ、ソーンは店の奥へと散髪の道具を取りに行った。
* * *
暖かい日差しの中、爽やかな風が吹き抜ける。
軽快に響くハサミの音とともに、芝の上には赤土色の髪がパラパラと落ちていった。
裏庭に置いた木の椅子へイコルネを座らせ、ソーンは後ろから髪にハサミを入れる。
体をすっぽり覆っている白いマントは、息子たちの散髪をする時にも使っていた売れ残り品だ。
マントの上を滑り落ちていく髪は油気が少ない猫っ毛で、ソーンに似て剛毛な息子たちとは、毛質も触り心地も全く違った。
大まかに長さを揃え終わり、右側へ回り込んで調整していく。
細かくハサミを入れつつ、耳を覆い隠していた髪をすくい取った時、きらりと光るものが目に入った。
思わず髪を掻き分けると、五ミリほどの小さなストーンピアスが薄い耳たぶにはめられている。
両面に石のついた珍しいデザインで、丸くミラーカットされた石は表が赤紫色、裏が暗紅色。
髪の影に隠れる裏側はよく見えないが、表の石は陽光を反射してキラキラと輝いていた。
冒険者で装飾品をつける者はそう珍しくない。
指輪やネックレスなど複数つけている者も多く、そのほとんどがアクセサリー型の魔道具だ。
宝石の代わりにはめ込まれた魔核は、攻撃の強化や魔法の補助など、様々な場面で役に立つ。
だが、昔から刀ばかりで滅多に魔道具を使わなかったイコルネが、わざわざピアス穴をあけてまで付けているとなると、相当使い勝手がいい魔道具なのだろう。
ソーンはつい鑑定心が疼き、そっと髪を掻き上げて覗き込む。
見えやすい表側はアメジストのような透明感があり、一見すれば普通の宝石だ。
しかし、何度か角度を変えて観察してみれば、丁寧にカットされた石の中に見覚えのある印を見つけた。
目を凝らさなければ分からないほど小さな魔法陣。
独特の角張ったその形は、見た目の色合いを変化させる『幻彩』という魔道具に付けられるものだった。
ソーンは予想外の代物に思わず首を捻る。
幻彩は戦闘用ではなく、日用品や装飾品に近い魔道具だ。
効果もせいぜい、髪や目の色を変えたり、肌の色を綺麗に見せたりできる程度で、使い勝手もそれほど良くない。
年頃の娘なんかは好んで身につけたりしているが、見た目に無頓着なイコルネがなぜ付けているのか、ソーンにはまるで分からなかった。
「……おやっさん?」
イコルネの声で我に返る。
ついつい観察に集中しすぎて、ハサミの手が止まってしまっていた。
「なんでもねぇよ、じっとしとけ」
誤魔化すように赤土色の髪をわしわしと掻き回す。
冒険者の装備を勝手に鑑定など、無粋なことをしたと反省し、ソーンは気合を入れて散髪の続きに取り掛かった。
自分の息子たちと違い、イコルネがされるがまま切らせてくれたおかげで、散髪はさほど時間もかからずに終わった。
いつの間にかうとうとと船を漕いでいた彼へ、ソーンはわざと声を張る。
「なかなか男前に仕上がったぞ!」
一瞬肩を跳ねさせたイコルネは、欠伸をしながら目を擦る。
ソーンは持ってきた折りたたみの三面鏡を開き、スッキリと整えられた頭を見せてやった。
長すぎた前髪は目が見える長さになり、襟足も首筋にかからない程度に揃っている。
まじまじと自分の頭を眺めていたイコルネは、小さく感嘆の声を漏らした。
「……すごいな」
「この程度、朝飯前よ! スッキリしたついでにちょっと若返ったんじゃねーか?」
「はは、確かに。学生の頃みたいだ」
マントを外してやると、立ち上がったイコルネは軽く頭を振る。
緩くなびいた髪がそれなりに整った顔によく似合い、仕立ての良い服でも着せれば、そこそこモテそうな仕上がりだ。
我ながらいい仕事をした。
「髪が伸びたらまた来い!」
「その前にツケを払いに来るよ」
そう言って笑ったイコルネの顔は、心なしか昔の明るさを取り戻している気がした。




