9話 脱出
「あったぞ!」
パキパキと音を立てて崩れる巨木。
その残骸を漁っていたタイラーが、こちらを振り向きながら声を上げる。
持ち上げられた手の中には、拳大ほどの限りなく黒に近い濃緑の魔核が握られていた。
「マリー! ロープかなにか下ろせるか?」
イコルネは声を張りながら頭上を仰ぐ。
穴の縁から顔を出したマリアテールは、小さく手を振ると、すぐさま頭を引っ込め、代わりに太く長い蔦がするすると降りてきた。
足元まで届いた蔦を掴み、何度か引いて強度を確かめていた時、隣へやってきたタイラーに肩を叩かれる。
「俺が先いく」
「……別にいいけど」
眉を寄せつつ先を譲れば、彼は岩肌が剥き出しになった壁に足をつき、蔦を伝って素早く登っていった。
煙草をふかしながら待つこと数分、蔦が二回引かれ「登ってこい」と合図される。
おもむろに穴の縁を見上げると、光の差し込むそこには、既にタイラーの姿はなかった。
イコルネは両手で蔦を握り、岩の窪みに足を掛ける。
ゆっくりと体重を預けて登り始めようとした途端、ギシリと軋んだ蔦が大きく揺れ、そのまま上へと引かれ始める。
あっという間に宙へ浮いた体は、難なく引き上げられていく。
地上の光に目を細めながら、なすがままぶら下がっていると、穴の縁へ着くなり伸ばされた手に、右腕を強く掴まれた。
勢いよく引っ張り上げられ、前のめりに地上へと出る。
転びかけつつ顔を上げれば、蔦の束を肩に担いだタイラーと目が合った。
「……ありがと」
「おう。それよりお前、手は平気か?」
彼の言葉にピクリと動きを止める。
掴まれたままのイコルネの腕は、霜焼けの赤みが残り、わずかに熱を持っていた。
「大丈夫。ちょっと違和感があるくらい」
「凍傷……にはなってねぇな。ったく、お前は……昔っから無茶し過ぎなんだよ」
「まぁ、寒いのは得意だから」
「そういう問題じゃねぇだろ……」
タイラーは諦めたようにため息をつくと、腕を離してもう一度蔦を穴の中へ投げた。
ほどなくして、トーカも地上へ戻ってくる。
「ここ、早く出た方がいいわ」
石柱の上で辺りを見回していたマリアテールが、降りてくるなり硬い声を出す。
「もう崩壊が始まってる」
「は? 核が死んでから、まだ十五分も経ってねぇぞ?」
「上から見ただけでも、もう遺跡の外側はなくなってたわ」
「マジか、早すぎんだろ」
「入口の位置は?」
「多分変わってるわね。目印に残したナイフがもう崩壊に飲み込まれていたから。遺跡のどこかは、まだ外に繋がってると思うけど……」
「イコ君、目の調子は?」
「なんとか。だいぶ魔力が薄まってきたし、入口を探すくらいならいける」
それを聞くなり全員が動き出す。
トーカは《障壁》を広範囲に展開して、崩壊の制御。
マリアテールは再び石柱へ登り、高所から状況の把握と伝達。
タイラーは目立つマリアテールへ集まる魔物を蹴散らしつつ、入口の捜索。
そしてイコルネは右目を赤紫に染め、魔力が流れていく先へ駆け出した。
指示などなくても各々の役割を理解し、現状でとれる最適の行動を瞬時に実行できる――それは、生還率六割と言われる『魔窟潰し』において、なによりも大事なことだ。
核となる魔物の死後、魔力の供給源がなくなった魔窟は崩壊を始める。
崩壊の進む速さはまちまちで、丸一日以上形を保つ場合もあれば、数十分で外へ繋がる穴が消えてなくなってしまう場合もある。
万が一、魔窟内に取り残されれば、待っているのは死を自覚することすらできない完全な消滅だ。
だからこそ、広く複雑な魔窟では、迅速な現状把握と柔軟な対応、そして『脱出しやすい崩壊』を引き当てる運が、必要不可欠だった。
* * *
イコルネたちが魔窟を転がり出たのは、閉じかけた入口の穴が直径一メートルを切ってからだった。
「あっぶねー!」
「流石にやばかった……」
「ギリギリだったね」
「久しぶりにハラハラしたわぁ!」
息を弾ませながらその場に寝転がる。
目の前でジリジリと閉じていく魔窟は、脱出してからものの数分で跡形もなく消え失せた。
それを見届けた四人は、緑蜥蜴の死骸を積み上げたまま残してきた場所へと引き返す。
トーカが張っていた《障壁》のおかげか、それほど食い荒らされた形跡はない。
しかし、これからやる作業を考えると、イコルネはどうしても憂鬱な気分にならざるを得なかった。
魔物を倒したら――後処理は必須。
大量の魔物を倒す魔窟潰しにおいて、この後処理こそ一番面倒な作業と言っても過言ではなかった。
魔窟内のものはどうせ消滅するので放置できるが、外で倒した魔物はそうはいかない。
目の前に積み上がる緑蜥蜴の山。
そして、辺りに散らばる百近い魔物の死骸。
これらから魔核や素材を切り出し、残骸を処分していく作業は、どう考えても討伐より重労働だ。
「ほらイコ! ちゃっちゃと終わらせるわよ!」
回収作業が苦手なはずのマリアテールに背中を押され、イコルネは渋々作業に取り掛かった。
* * *
ひたすら魔核を切り出しては山を作り、ある程度まとまったらトーカの魔法で焼く。
気の遠くなるような作業をようやく終えたのは、日が完全に落ちた後だった。
重い体を引きずって焚き火のそばへやってきたイコルネは、はち切れんばかりの麻袋を地面へ放り投げる。
結んでいなかった口から色とりどりの魔核が転がり出たが、一瞥することもなく、その横へ腰を下ろした。
「おい、投げんなよ」
焚き火に枝を放り込みながら、タイラーがじっとりとした視線を向けてくる。
小言も説教も聞きたくないと乱暴に足を投げ出せば、彼は諦めたようにため息をつき、魔核を集め直してくれた。
丁寧に袋の口を縛って自分の横に置いたタイラーは、焚き火にかけられた小鍋をかき混ぜる。
湯気の立つ中身は、申し訳程度の山菜が浮かんでいるだけ。
しかしそこへ、鞄から取り出した自作の固形調味料を二つ入れて溶かすと、空腹を誘う優しい香りがふわりと広がった。
「腹減った……」
「すぐできっから、もうちょい待っとけ」
「無理……」
「ったく、腹減るとまじでポンコツだな」
タイラーはいつもの干し肉を数枚取り出し、一枚をイコルネへ投げて寄越すと、残りを適当な大きさに千切って鍋へ入れた。
作っているのは、パーティで唯一ちゃんとした料理のできる彼が、野宿の時によく振舞ってくれた干し肉のスープだ。
懐かしい匂いに溢れる涎を飲み込み、貰った干し肉に齧りついた時、木々の闇間からマリアテールとトーカがやってきた。
「まーたタイラーがイコの世話焼いてる」
「イコ君の怠け癖は、タイラーが甘やかすせいもある気がするよね」
「そうそう、昔から全部やってあげちゃうから、イコが何にもしなくなるのよ」
「イコ君、もうタイラーを嫁に貰えばいいんじゃないかな」
「それがいいわ、お似合いよ」
言いたい放題の二人は、楽しげに笑いながら焚き火を囲む。
顔を顰めて鍋を混ぜるタイラーの隣へ座ったマリアテールは、「ねぇ」と声をかけて、おもむろに両手を差し出した。
華奢な手に乗っているのは、きめ細かなサシの入った肉の塊。
「一緒に焼いて」
「これ……まさか緑蜥蜴の肉か?」
「そう! いっぱいあるんだもの、食べなきゃ損よ!」
「お前、ほんとこういうの好きだよな……。腹壊しても知らねぇぞ」
タイラーは渋い顔をしつつも肉を受け取り、手際よく串を作っていく。
なんだかんだ言う割に、焚き火のそばに並んだ数はきっちり四本だった。




