8話 崩壊
全身に鳥肌が立つ。
湧き上がる不快感に顔を歪めたイコルネは、両手の乙女ノ炎舞を強く握り込み、眼前に迫る根を薙ぎ払った。
「なんで、お前らは! 合図ひとつ出来ねぇんだよッ!!」
タイラーが大剣を振り下ろしながら叫ぶ。
四方八方から伸びる鋭利な根は、まるで侵入者を排除しようとするかのようにイコルネたちへ襲いかかっていた。
「なんでもかんでも! 突っ込めばいいと思ってんじゃねぇぞ!!」
「なんかヤバそうだったから、先手を取りたかったんだよ……!」
言い返しながら乙女ノ炎舞へ魔力を込め、横へ振り抜く。
「その結果がこれじゃねぇか! 悪化しかさせてねぇんだよ!!」
タイラーは断ち切った根を、巨木目掛けて弾き飛ばす。
しかしそれらが幹へ届くことはなく、地面から伸びる太い根によって、勢いよく打ち落とされた。
ミシミシと音を立てる根の奥には、木に張りついた透き通る蜥蜴。
その身体は尾の付け根がすっぱりと切れ、透明な体表とは異なる真っ赤な血肉が切り口から見えていた。
血とともに漏れ出る魔力は、今までの無機質さとは明らかに違い、怒気、悪気、殺気、そういったどろりした気配が混ざり合う、酷く禍々しいものへと変わっている。
ボタボタと滴る血が木の根元へ落ちるたび、うねる地面は波紋のように隆起を繰り返し、ものすごい勢いで根の数を増やしていた。
「中途半端に怒らせやがって!! おいッ、聞いてんのかイコッ!」
「聞いてるって! 悪かったよ!!」
怒鳴り返しながら謝れば、すぐ側を拳大の《火球》が横切り、鋭利に捻れた根を吹き飛ばす。
「遅かれ早かれこうなってただろうし、あんまり怒ったら可哀想だよ、タイラー」
こちらへ視線を投げることもなく、トーカが苦笑する。
彼は長剣を振って近くの根を切断しながら、合間に魔法を飛ばして辺りの根を焼いていた。
「そもそも! お前が相談もせずに《雷撃》なんてデカい魔法ぶっぱなすから、こんなとこまで落ちたんだろうが! これじゃ脱出もできねぇんだぞ! どうすんだよ!!」
「タイラーうるさーい。どうせ核を潰すなら来なきゃいけない場所だったんだから、ガミガミ言わないでよ!」
マリアテールは迫り上がる根を器用に蹴り、高く跳びながらタイラーへ悪態をつく。
退路もない切迫した状況だが、ギャーギャーと騒ぐ友人たちは相変わらずだった。
イコルネは背後から迫る根を間一髪でかわし、飛び退きざまに乙女ノ炎舞で焼き切る。
着地した足元が大きく波打ってバランスを崩すが、なんとか転がり追撃を避ければ、地面から突き出した鋭利な先端が右頬をかすめた。
「チッ……しつこいなッ」
侵入者たちへ襲いかかる根は増えに増え、もはやろくな足場がなくなっている。
全方位からの絶え間ない攻撃は、息つく暇も与えてくれず、魔眼なしで捌き切るのは至難の業だった。
その上、斬ったそばから再生し、根の先端をいくら破壊してもキリがない。
《加速》を使ってなんとか凌いでいるが、魔力切れを起こせばすぐに致命傷を負うだろう。
イコルネは打開策を探して叫ぶ。
「トーカ! さっきの《雷撃》もう一回いけるか?」
「ここだと魔力が濃すぎて全員巻き添えを食うよ。それでもいいなら」
「いいわけねぇだろ! 他に使える範囲魔法とかねぇのかよ!」
「あるにはあるけど、どれもマリちゃんを巻き込みかねないから、なしかな。むしろタイラーの怪力で、あの木を切り倒してよ」
「んなことできんなら、初めからやってるわ! そもそも近づけねぇんだよ!」
「マリーなら、近づくだけならいけるか?」
「幹に触るくらいならね! でもあの透晶蜥蜴、多分、私の力じゃ仕留めきれない!」
「イコ君は? たどり着けさえすれば倒せる?」
「蜥蜴の方はな。でも核が木の方なら、切り倒すのは無理だ」
「うーん、八方塞がりだねぇ」
その時、イコルネの足元でパキパキと音がする。
視線を落とせば、不自然に凍りついた根が音を立てて砕け散った。
おそらく弱点を探るためにトーカが様々な魔法を放っているのだろう。
範囲魔法は巻き添えの危険があると言っていたが、局所的なものなら平気らしい。
細かな破片となって落ちるそれを見て、イコルネはあることを思いつく。
「トーカの《障壁》って、温度の変化も防げるか?」
「今かけてるのを組み直せば、体温を保つくらいはできるよ」
「それ、今すぐ全員にやってくれ」
「ごめん、全員はちょっと厳しい。この乱戦の中だと魔法陣を上書きするのに時間がかかる。急ぐなら、確実なのは二人までかな」
「二人いれば十分だ」
イコルネは口角が上がるのを感じながら叫ぶ。
「タイラー! マリーを上まで飛ばせ!」
「来いッ!」
声と同時に飛び上がったマリアテールが、大剣の上にひらりと降りてくる。
彼女の足が着地するなり、タイラーは上へ向けて全力で剣を振り抜いた。
勢いよく遥か高くへ飛び上がったマリアテールは、先程落ちてきた穴の縁に手をかけ、するりと上へ登る。
彼女の姿が見えなくなると同時に、トーカが両手を打ち鳴らした。
彼はイコルネの考えを既に察しているようで、凄まじい速さで魔法を展開していく。
気温が急激に下がり始め、肌を刺すような冷気が瞬く間に空間を包み込む。
ピキピキと音を立てて大木が凍る。
しかしその程度では根の動きが止まらず、最も危険な敵と認識したのか、矛先は一斉にトーカへと向けられた。
タイラーとともに今までの比ではない数の攻撃を捌く。
その最中、両手の上で二つの魔法陣を組み替えるトーカと目が合い、イコルネは声を張り上げた。
「俺はいい! 二人で使え!」
トーカは一瞬目を見開くが、すぐに頷き、陣が浮かぶ手を、そばに来たタイラーの背と自身の胸へ押し当てた。
直後、周囲の温度がさらに下がる。
肺まで凍りつきそうな冷気が一段と強まり、体温が奪われて手足が悴んでいく。
普通なら《凍結》の魔法にこれほどの威力はない。
しかしここは、空間そのものが濃度の高い魔力の塊だ。
大量の魔力を取り込んでトーカの制御を離れた《凍結》は、際限なく威力を増しながら、空洞内のすべてを凍りつかせようとしていた。
ギシギシと鈍い音が響き、霜の降りた地面や壁に亀裂が走る。
表皮の砕けた根は、随分動きが遅くなっているが、侵入者を狙う執拗な攻撃は止まらない。
それでも、確実に終わりは近づいている。
迫る根を切り捨て、薙ぎ払い、ただひたすらに待ち続ける。
巨木が完全に凍りつく、その瞬間を――。
空洞に満ちていたざわめきが消える。
葉が擦れ合うかすかな音が、深い眠りへつくようにぴたりと静止した。
イコルネは腰鞄から混魔屑を一つ掴み取ると、《加速》をかけて強く握り込む。
そして、巨木へ向かって思い切り投げた。
風を切り裂き、混魔屑が根の間を一直線に駆け抜ける。
カツンッ!
音が響いた刹那、混魔屑は大爆発を起こした。
吹き荒れる爆風と燃え広がる炎。
それらが一瞬で冷気を押しのける。
空洞全体が音を立てて軋み、凍った幹は内側から破裂するように大きく裂けた。
砕ける枝や根が降り注ぐ中、崩れゆく巨木はゆっくりと輝きを失っていく。
轟音とともに影を深めるその光景は――
魔窟そのものが上げる、長い断末魔のようだった。




