7話 魔窟の核
「全員跳べ!!」
トーカの声と同時に高く跳び上がる。
直後、三人の足元を赤い閃光が駆け抜けた。
地面を這い、壁を登り、木の根を伝うそれは、血のように赤い稲妻。
けたたましい雷鳴が響いたかと思えば、蠢いていた無数の蝕蜥蜴はすべて黒焦げになっていた。
「うん! 上手くいったね」
地面に手をつくトーカが、パンパンッと砂を払い立ち上がる。
満足気な笑みを浮かべている彼は、本日二度目の大規模な魔法を放ったというのに、疲弊した様子が微塵もなかった。
そんな彼に感心しつつ、イコルネは足元へ視線を落とす。
枝分かれするような焼け跡がついた石畳には、黒い塊が大量に転がっている。
おもむろにブーツの先でつついてみると、辛うじて残っていた蜥蜴の形がボロボロと崩れ、砕けた身体からは血の一滴も出なかった。
「相変わらず急にぶっぱなしやがって……」
ため息混じりの声に顔を上げれば、大剣を肩に担いだタイラーが、トーカへじっとりとした視線を向けている。
しかし、トーカはそれを受け流し、マリアテールの髪を整えてやりながら、悪びれる様子もなく言った。
「今回は声をかけたでしょ?」
「今のでかけてなかったら、俺らも黒焦げだわ!」
「ちゃんと魔力遮断の《障壁》も張ってあげたんだから、素直に褒めてくれていいのに」
先程感じた魔力が解ける感覚は、彼が展開した《障壁》のおかげだったらしい。
広間を覆うほどの《雷撃》に、個人への的確な《障壁》、加えてイコルネたちの意識から完全に外れるほどの《認識阻害》と《隠蔽》。
それらを惜しげもなく使う割に、味方への配慮が全く足りていない部分を除けば、やはりトーカは紛れもない魔法の天才だった。
ピシッ……
かすかな物音に全員が動きを止める。
ピシッ……ピシピシッ……
重なるように増えた音は、とても近くで鳴っている。
耳をすませ、出処を探ろうとイコルネが視線を落とした瞬間――足元が大きく崩れた。
音を立てて石畳が落ちていく。
咄嗟に瓦礫を蹴って脱出を試みるも、崩落は直径十メートルを超えていて、縁までは間に合わない。
視界の端で、マリアテールが長く垂れ下がる根へ手を伸ばすが、黒く焼けたそれは、触れた途端に呆気なく砕け散り、なんの支えにもならなかった。
誰かの叫ぶ声が、崩れゆく音に掻き消される。
四人は瓦礫とともに宙に投げ出され、為す術なく穴の底へと吸い込まれていった。
* * *
舞い上がる土煙にイコルネは咳き込む。
かなりの高さから落ちたはずだが、身体への衝撃はそれほどなかった。
視界がようやく晴れてくると、辺りの異様さに目を見開く。
穴の底には、床から壁、天井に至るまで、すべてを木の根に覆い尽くされた円形の空洞が広がっていた。
樹木の胎内を思わせるその場所は、崩落した広間の五倍近くあり、地上とは比べ物にならないほど濃い魔力に満ちている。
全身にまとわりつく生暖かさで肌が粟立ち、まるで水の中にいるような息苦しさに、自然と鼓動が早まっていく。
イコルネは深く息を吐き、額に滲んだ汗を拭う。
気持ちを落ち着かせながら改めて周囲へ視線を巡らせると、空洞の中央には淡く光を放つ巨大な木が鎮座していた。
金とも白ともつかない輝きは、決して強くはないのに、一切の影を奪い去りながら辺り一帯を照らしている。
「なに、ここ……」
すぐそばで声がする。
振り返れば、瓦礫の上でトーカに抱えられたマリアテールが、キョロキョロと辺りを見回していた。
おもむろに上を仰ぐ彼女につられて視線を上げると、二十メートルほど上に、自分たちが落ちてきた穴が見える。
「随分落ちたのね……」
「石畳を支えてた根が焼けて、陥没したってとこかな?」
「地下まであるとか、どんだけ広い魔窟だよ」
瓦礫を踏み分けてやってきたタイラーが、イコルネの隣へ並ぶ。
見れば、あれだけの高さから落ちたというのに、彼に目立った怪我はなかった。
トーカに守られていたマリアテールはともかく、生身で落ちた自分たち二人が軽傷で済んでいるのは、おそらく足元を埋め尽くす木の根が衝撃を受け止めてくれたからだろう。
「魔力が濃すぎて、くらくらする……」
兄の腕から降りたマリアテールが、眉間に皺を寄せる。
すかさずトーカがパチンッと指を鳴らすと、全身を包んでいた圧迫感が緩み、少し息がしやすくなった。
「《障壁》で軽く魔力を防いでみたけど、どう? この濃さじゃ、気休め程度にしかならないだろうけど」
「だいぶ楽よ、ありがとう兄さん。……それにしても、随分大きな木」
巨木を見上げたマリアテールが感嘆の声を漏らす。
「あれが魔窟の核よね?」
「だろうな」
「切り倒すのは、流石に骨が折れそう」
どっしりと根を下ろす木は、大人が十人手を繋いでやっと囲えるかというほど幹が太い。
その上、広がる枝葉はこの空間を半分以上覆い隠し、風も吹いていないのにざわざわと葉を揺らしていた。
四人は瓦礫の山を降りて巨木へと近づいていく。
太い根が密集している地面を慎重に踏み、垂直にそびえる幹まであと五メートルという距離まできた時、イコルネの目は異様なものを捕えた。
目線より少し低い位置。
ゴツゴツとした木肌に張り付いているそれは、
――透明な蜥蜴。
三十センチほどの体長と、その三分の二を占める細く長い尾。
水晶のように透き通る身体越しには、樹皮の模様がはっきりと見えていた。
だが、小さな蜥蜴から溢れ出る魔力は、トーカの《障壁》があってなお、足がすくむほどに濃い。
「透晶蜥蜴……」
マリアテールが呟く。
それは、絵物語や言い伝えでのみ語られる伝説の魔物。
『透き通る身体は何者も捉えることができず、触れたモノには潤沢な魔力を与える』という幻の生き物だ。
実在するという話は聞いたことがないが、目の前の蜥蜴は、その伝説にふさわしいだけの存在感があった。
圧倒的な魔力を前に、冷や汗が頬をつたう。
光を透かし、巨木にじっと張り付く姿からは、こちらへの敵意は感じない。
それどころか、警戒の色すら見せない瞳は、無機質な作り物のようだ。
しかしそれとは対照的に、生き物であることを誇示するような生々しい魔力が、透明な身体から溢れている。
あまりに異質なその姿は、魔物というより『聖獣』と表す方がしっくりくる気がした。
――はっきり言って得体がしれない。
胸の中に広がる未知への恐怖を断ち切るように、イコルネは乙女ノ炎舞の柄に手をかける。
静かに息を吸い込み、汗ばむ感触を握り込むと、踏みしめた地面を躊躇なく蹴った。
一気に距離を詰め、微動だにしない透晶蜥蜴目掛けて刀を振り下ろす。
熱を持った切っ先が蜥蜴の頭を切り落とそうとした、次の瞬間、ものすごい力で体が下へ引かれる。
ぶれた刀が蜥蜴の体を掠め、イコルネは勢いのままに地面へ叩きつけられた。
「イコッ!!」
明滅する視界と響く耳鳴り。
その奥でマリアテールの叫び声が聞こえる。
一瞬飛びかけた意識を無理やり引き戻し、体を起こせば、腰から右足にかけて、腕の太さほどもある木の根が絡みついていた。
イコルネはギリギリと足を締め上げる根を、素早く乙女ノ炎舞で切り落とす。
「いきなり突っ込むんじゃねぇよッ!」
タイラーの怒鳴り声が頭の上から降ってくる。
顔を上げると、イコルネの頭目掛けて伸びる鋭く尖った根が、目の前で大剣に叩き落とされた。
タイラーは続けざまに襲い来る根を二本薙ぎ払い、再び叫ぶ。
「立て! ここはやべぇ!」
反射的に立ち上がり、後ろへ飛び退く。
未だちらつく視界で辺りを見回したイコルネは、飛び込んできた光景に息を飲んだ。
それは――
まるで脈を打つように隆起する地面と、鎌首をもたげている無数の根。
ミシミシと鈍い音を響かせながら空間そのものが蠢き、明確な敵意を露わにして、イコルネたちへ牙を剥いていた。




