5話 槌矛の蛙
トーカが追いついた時には、既に口論が始まっていた。
先行していたマリアテールたちと向き合う、三人の男。
彼らは魔窟の前を陣取り、横並びで仁王立ちしていた。
「だからそこをどきなさいって!」
怒っていても妹の声は可愛い。
大柄な男へ掴みかかる勢いで怒鳴るマリアテールは、すぐ後ろへやってきたトーカに全く気づいていない。
「ギャーギャーうるせえな! この魔窟は俺たちの獲物だ。ガキは帰って母ちゃんの手伝いでもしとけ!」
「誰がガキですって!? 私はとっくに成人してるわ! あんたたちみたいに無駄に歳くってるだけのジジイより、よっぽどまともな大人よ!」
「んだと、ゴラァ!」
男はマリアテールの真っ直ぐな煽りに青筋を立てる。
血管の浮く頭は綺麗に剃り上げられ、耳の横から頭頂部へかけて、うねるような蛙の刺青が入っていた。
トーカより高い背と筋肉質の大きな身体。
腕にはめた無骨なガントレットや背負う大きな戦鎚など、いかにも荒くれ者といった風貌だ。
先程の物言いから察するに、おそらく彼らも冒険者なのだろう。
両脇に立つ男たちは、山刀を腰に下げた身軽そうな痩躯の男と、杖を握りフードを目深に被った猫背の男という、三人パーティらしい組み合わせだった。
そして、全体的に背の高い彼らと並ぶと、小柄なマリアテールとタイラーは確かに子供のように見える。
「マリちゃん、ちょっと落ち着いたら?」
「きゃっ!」
マリアテールが小さく叫んで振り返る。
頭に血が上りすぎると目の前のことしか見えなくなるのは、彼女の悪い癖だ。
しかしそんな短慮な所も、驚いて猫のように飛び上がる姿も、妹の行動はすべて愛おしいので、矯正しようとは思わない。
「驚かさないでよ、もう!」
「ごめんごめん」
「いや、結構前からいたぞ……」
呆れ顔でこちらを見るタイラーは、やれやれと言うように首を振る。
「それで? なんでこんな所で井戸端会議してるの?」
「そんなことしてない!」
「ふふっ、そんなに怒らないでよ」
ぽんぽんと頭を撫でて宥めていると、じろりとこちらを見た男が口の端を上げる。
「おうおう、やっと話が通じそうな保護者がでてきたじゃねーか! このガキ共がルールも守らずに騒いでんだ、連れて帰ってくれや」
「だからガキじゃないって言ってんでしょ!」
「マリちゃん、ちょっとだけ静かにしててね」
鼻息荒く怒鳴り返したマリアテールを下がらせ、トーカは友好的な笑みを作って一歩前に出る。
「無知で申し訳ないんだけど、君の言うルールってのを聞いてもいい?」
「無知ってのは罪だなぁ、おい。一端の冒険者なら、常識くらいは知っとかねぇとこの業界で生き残れねぇぜ? お前らみたいな優男とガキのパーティじゃ尚更な」
ふんっと鼻を鳴らした男はこちらを嘲るように見下ろす。
「いいか、しっかり頭に刻んどけよ? 冒険者同士が同じ獲物でぶつかった時は『早い者勝ち』ってルールがあんだよ。出遅れた奴は大人しく諦めろ。これが分かってねぇ馬鹿は、無駄な血を流す羽目になる」
片眉を上げ、完全にこちらを舐めきっている男は、マリアテールへ視線を戻すと声に威圧感をのせる。
「優しい俺がわざわざ教えてやったんだ。とっとと諦めて帰りやがれッ! この魔窟は、俺たちのもんなんだよ!」
大声でそう言い放った男は堂々と腕を組む。
しかし、不意に眉をピクリと震わせると、鋭くこちらを睨む。
「……いや待て。そもそも張り出されてすぐ受けた依頼だってのに、他の冒険者とかち合うなんておかしくねぇか? ……まさかお前ら、冒険者のフリした魔材狩りじゃねぇだろうな?」
「そんなわけないでしょ! あんなゲスな連中と一緒にしないで!!」
マリアテールが叫ぶ。
『魔材狩り』は魔物素材を専門に調達、売買する者たちのことだ。
れっきとした職業だが、冒険者のように規律や契約があるわけではないので、タチの悪い輩が多い。
他人の倒した魔物を掠め取ったり、弱いものを囮にしたりと、簡単に悪事へ手を染める印象も強く、競合相手である冒険者からは特に嫌われていた。
猛抗議している妹ほどではないが、悪質な魔材狩りと間違われるのは良い気がしない。
軽蔑の滲みかけた顔を笑顔で隠し、トーカは小さなため息をひとつついた。
「僕らは王都の冒険者なんだ。掲載されてすぐってことは、君たちは近くの街……多分、ギーキルの冒険者でしょ? あそこは王都と同じ依頼が出ることも多いし、受付が被っちゃっただけだと思うよ。決して君らの後をつけて来たわけじゃないから、安心して」
男はいまだ疑っているようだが、ひとまずは話に納得はいったのか、小さく肩を竦めると改めてこちらを睨む。
「そういうことならさっき言った通りだ。お前らは諦めて帰んな」
「だから嫌だって言ってんでしょ!! あんたたちが勝手に決めたルールなんて、私たちには関係ないのよ!」
「はぁ、うっせぇな……。理解できねぇガキはすっこんでろよ」
「ごちゃごちゃうるさいのはそっちでしょ! さっさとそこ退かないと、痛い目見るわよ!!」
「へぇ? そんな細い腕でどう痛めつける気だ? あ?」
「ッ! ……調子に乗んのも、大概にしなさいよ」
声を落としたマリアテールが、音もなく腰のサバイバルナイフを抜く。
とうとう我慢の限界を超えたらしい彼女は、身を屈めて臨戦態勢に入ると、男への敵意を剥き出しにした。
纏う空気は刺すように鋭く、熱の消えた瞳は完全にキレている時のそれだ。
元々手加減が苦手な彼女は、このまま戦闘になれば怪我を負わせるだけでは止まらないだろう。
とはいえ、いくら人目のない森でも『殺生法』のあるこの国で、大事な妹に人殺しなんてさせられない。
そんなことをさせるくらいなら、自分が代わりに殺る。
隣で呆れたため息をこぼすタイラーと視線を交わし、トーカは手の中で静かに親指と中指を合わせた。
指を鳴らすだけで発動できるよう自ら改良した魔法を、同時にいくつも構築しながら、睨み合う二人の気配を探る。
魔法の発動速度で妹に遅れをとるとは思わないが、目で追えない速度で動く彼女を避けつつ、男にだけ魔法を当てるのは流石に難しい。
だから狙うなら、男が武器を抜く瞬間――マリアテールが飛び出すための予備動作に入る一瞬だ。
ナイフを構えて隙を伺う彼女へ、男はにやりと笑う。
「冒険者たるもの、そう来なくっちゃなぁ!」
目をギラつかせ、見せつけるようにゆっくりと背負った戦鎚へと手を伸ばす。
そして、太く無骨な指が戦鎚の柄に触れたその瞬間。
トーカが指を鳴らすより早く、男は後ろへと吹っ飛んだ。
その場の全員が驚きに動きを止める。
男へ攻撃したのは、マリアテールではない。
その証拠に武器を構えたままの彼女は、目を見開きながら自分の隣で呆然としている。
飛ばされた男は二メートルほど後ろの地面で、背負った武器もろとも仰向けに倒れ――男の上には、蹴り倒すように男の胸を踏むイコルネの姿があった。
イコルネは男を踏みつけたまま、先程のマリアテールが可愛く思えるほどの殺気を放って刀を振り下ろす。
洗練されたその軌道は、躊躇いなく肩口へと向かう。
小さく悲鳴をあげた男が咄嗟にガントレットで刃を受け止めるが、防いだのも束の間、ジジッと焼ける音を立てて刀は装甲に食い込んでいく。
イコルネは腕に体重を乗せてさらに押さえつけると、右手の刀を流れるように逸らし、無防備な脇腹へ滑らせる。
朱を映す刀身が服を切り裂き、皮膚に触れる刹那、タイラーの怒鳴り声が響いた。
「止まれイコッ!!」
トーカは反射的に指を鳴らし、目の前の二人へまとめて《捕縛》の魔法をかける。
まるで時間が止まったように動かなくなったイコルネは、鮮やかに染まった右目で男を睨み続けている。
「イコ、やり過ぎだ」
低く落ち着いたタイラーの声が、静寂の中に落ちる。
イコルネは視線だけを動かしてこちらを見ると、タイラーの言葉を反芻するようにゆっくりと目を閉じ、浅く、そして長く息を吐いてからようやく殺気を収めた。
「……解いて」
そう口にした彼は、もういつもの気だるげな表情に戻っている。
トーカは、指を鳴らしたまま握り込んでいた手を開き、二人を縛る《捕縛》の魔法を解いた。
男から足を下ろしたイコルネが、刀を鞘に納めながらこちらへ歩いてくる。
「こいつら誰?」と尋ねる姿は、先程までの殺気が嘘のようだ。
「隣街の冒険者だよ。魔窟潰しの依頼が被っちゃったみたい」
タイラーの横へ並んだイコルネは、既に男への興味を失ったのか「そう……」とだけ返して視線を外す。
トーカはわずかに目を細め、彼の様子が落ち着いたことを確認すると、隣で体を強ばらせているマリアテールの背へそっと手を回した。
それから笑顔で男たちに向き直る。
「ねぇ、《鎚矛の蛙》のナイン・シュレーダーさん」
明るい声で名を呼べば、慌てて駆け寄ってきた仲間に助け起こされた男が、驚愕に目を見開く。
「さっきご高説いただいた『早い者勝ち』ってルールだけどね。あれ、僕らの街にも同じのがあるんだよ。でも、意味合いがちょっと違う。……先に獲物をみつけた者が狩る権利を得るんじゃなく、すべてを蹴散らして狩った者の獲物って意味。君らも一端の冒険者なら、周りを威嚇することに必死になってないで、魔物の一匹でも倒しに行くことだね」
高説には高説で返す。
分かりやすく煽ってみたものの、男たちは言い返してくる様子がまるでなかった。
むしろ、気味が悪いものでも見たかのように、唇を震わせている。
「……な、んで、俺の名前」
「あぁ、ギーキルのCランクって言えば、素行の悪さで有名だからね。妹に悪影響がありそうなのは一通りチェックしてるんだ」
「……兄さん、暇なの?」
隣からした妹の声は、ようやく緊張が解けたのか、呆れの色が滲んでいる。
ため息混じりでも、やっぱり妹の声は可愛い。
トーカはマリアテールの背から手を離し、胸の前で軽く腕を組んだ。
「それで? 僕たちはこの魔窟へ入ってもいいのかな?」
わざとらしく決定権を与えてみれば、ナインは奥歯を噛み締め、低く掠れた声を出す。
「……今回は、譲ってやる」
「それは良かった! 僕らも弱い者いじめをする趣味はないんだ」
「弱い……ッ!? くそッ! お前らランクはいくつだ!!」
「僕らはBランクだよ」
「B……」
「パーティ名は《ただ前へ》、以後お見知り置きを。……それでは《鎚矛の蛙》の皆さん、帰り道はお気をつけて」
軽く会釈をして、後ろの道を手で示す。
男たちは、いまだ膝が笑っているナインを支えて立ち上がると、ブツブツと文句をこぼしながら歩き出した。
すれ違いざま、トーカはナインの耳元へ口を寄せる。
「『殺生法』のある国に生んでくれたママに、感謝しないとね」
弾かれたように自分の足で立った彼は「くたばりやがれ!」と怒鳴ると、困惑する仲間とともに走り去っていった。
「元気になったみたいだ、良かった!」
「……兄さん、何言ったの?」
「ふふっ、秘密だよ」




