2話 魔法の天才
右目を赤紫に染めたイコルネは、眼前に広がる惨状を静かに見渡す。
辺りに漂っていたトーカの魔力は森の空気へと溶け、もう爆発の危険はなさそうだった。
爆風で消えた煙草に火をつけ直しながら、何気なく友人たちの方へと視線を移す。
――橙と金、それから赤。
個性豊かな色彩が、それぞれの存在を象徴するように魔眼へ映る。
大声で抗議するタイラーは、夕焼けの如く鮮明な橙。
それに噛み付くマリアテールは、繊細な淡い金。
全く悪びれる様子のないトーカは、マリアテールによく似た金と斑に絡む赤。
見慣れたその配色は、昔と変わらない輝きを放っていた。
しばらく三人を眺めていると、イコルネの視界は自然とトーカへと吸い寄せられる。
彼の魔力は一際濃く、常に魔法を展開しているかのように揺らぐことがない。
そして、なにより目を引くのは、鮮烈な赤色だ。
本来、単色であるはずの魔力が、彼の中には二つ存在している。
魔物でさえ、掛け合わせでもしなければ複数の魔力など持てないというのに、異なる二色を宿した身体なんて、トーカ以外に見たことがなかった。
穏やかな金と、その周囲にうねる赤。
魔力としては異質なはずのそれらは、まるで妹によく似た金を赤が覆い隠そうとしているかのようで――不思議とトーカの魔力であることに違和感は感じなかった。
* * *
王立学院でトーカ・ロットといえば、言わずと知れた有名人だ。
周囲よりずっと遅い十六歳での入学に加え、恵まれた容姿と類まれなる魔法の才を持ち合わせる、否が応でも目立つ存在だった。
さらに、それをひけらかすことのない柔らかな人当たりから、男女を問わず人気を集めている。
しかし、人気者というのは往々にして噂の的になりやすい。
生徒たちの間では、彼の一挙手一投足で、賛美、嫉妬、崇拝に至るまで、日々様々な噂が飛び交っていた。
彼の噂は、そうした話に興味のないイコルネの耳にも届くほどで、実は身分を隠した王族だとか、女教師を垂らしこんで成績を買っているだとか、しまいにはロリコン趣味の変態だ、なんて荒唐無稽なものまである。
だが、中でも一番多く囁かれていた噂は『王城魔法士団にも匹敵する魔法の天才』というものだ。
魔法学の学年トップなのは事実として、教授も使えないような魔法をいとも容易く操り、武術においてもかなりの実力者らしい。
そんな有名人と初めて話したのは、イコルネが三学年に進級してすぐのこと。
赤く染まる夕暮れの校舎裏を、学生寮へと帰る途中だった。
寮の門限ギリギリで足早に歩いていたイコルネは、壁に寄りかかる彼の前を通り過ぎようとした時、不意に呼び止められた。
「イコルネ・ターリア君、だよね?」
「そうだけど……誰?」
「トーカ・ロットって言えば分かるかな? ちょっと君に聞きたいことがあってさ」
その名を聞き、思わず訝しげに眉を寄せる。
あまり目立つ方ではないイコルネに、学院一の有名人から名指しで声をかけられるような覚えはない。
腕を組んで微笑む彼は、噂通りの端正な顔立ちで、王子様を思わせる金の強い白金髪に高い背も相まって、女子生徒たちが騒ぎ立てるのも頷ける容姿だった。
「タイラー・シルベリートって、君の友達だよね?」
「……?」
「彼に少し用があるんだ。今どこにいるか、知らないかな?」
「……言伝なら、俺から伝えるよ」
質問の意図が読めず、思わず硬い声が出る。
校舎も既に締め切られたこの時間、生徒たちはほとんどが学生寮に帰っているはずだ。
用があるのなら、こんな場所ではなく、さっさと寮を訪ねればいい。
それに、たとえ部屋に居なかったとしても、寮母なり隣室の生徒に言付けをすれば済む話だ。
わざわざ人気のない校舎裏で待ち伏せ、友人というだけのイコルネの名をフルネームで覚えているなど、どう考えても不自然だった。
タイラーとトーカにどんな関係があるのかは分からない。
だが、不用意に居場所を教えてなんらかの不利益が生まれるのであれば、易々と情報は渡せない。
人情なんてものとは程遠いところにいるイコルネだが、信用ならない男にみすみす友人を売るほど、薄情な奴ではないのだ。
トーカから目を離さず、自然を装って腰の刀に手をかける。
「有名人のあんたに目を付けられるほど、なにかした覚えはないんだけど」
「目を付けるなんて人聞きが悪いな。シルベリートの方はともかく、君にはちょっと興味があっただけだよ」
胡散臭い笑みを浮かべたトーカが、わずかに首を傾ける。
こちらを捉えた紅茶色の瞳は、笑みの奥に値踏みするような色が透けていて気味が悪かった。
そのままゆっくりと近づいてくる彼に警戒を強める。
いつでも刀が抜けるよう重心を落とし、軽く片足を引いて刀の柄を強く握る。
イコルネが完全に警戒態勢に入っているのとは対照的に、向かい合うトーカは緊張感のない軽い足取りだ。
一歩、また一歩と近づく距離が、刀の間合いへ入った瞬間――彼の足音が高く響いた。
異様なほど大きく聞こえたその音は、耳の中で反響するように鳴り続ける。
――何かがおかしい。
咄嗟に刀を抜こうとするも、なぜか腕が動かない。
それどころか柄を握りこんでいた拳でさえ、まるで自分のものでないかのようにピクリとも動かなくなっていた。
困惑の表情で刀を抜こうともがくイコルネに、トーカはにっこりと笑いかける。
「あまり力を込めない方がいい、肩を痛めるよ。それにしても、近づいただけで武器を抜こうとするとは思わなかったな」
世間話でもするかのように近づいてくるトーカは、さらに足音を響かせる。
耳を塞ぎたくても身体は言うことを聞かず、足音が耳に反響するたび、徐々に自由を奪われていく。
――捕縛。
授業で習うことのない高等魔法。
それを、詠唱も杖も使わずにかけられていると気づいたのは、手足どころか首さえも回らなくなってからだった。
既にトーカとの距離は腕一本分。
かろうじて動く視線を彼へ向け、せめてもの反抗に思い切り睨む。
「そんなに怖い顔しないでよ。君に危害を加えるつもりはないからさ。まぁでも、その警戒心と勘の良さは合格ラインかな」
トーカはこちらを見下ろし、目を細める。
やけにゆっくりとした動きで上げた手を、イコルネの首筋へ当てると、変わらぬ笑顔のまま淡々と話し出す。
「ここにね、傷ができてたんだ。太くて大きい男の爪で引っ掻いたような傷が。……あの子は、そんなところを簡単に触らせる子じゃないから、最近の行動を洗ってみたんだよ。そしたら、君たち二人に辿り着いた。その時のことは本人も嬉々として話していたし、友人が増えるのは僕も嬉しいんだけど……そばにいる者が、あの子に危害を加える存在であってはならないんだよね」
首に触れる指先がじわじわと熱を帯び始める。
それが魔法を展開する前の魔力の揺らぎだということは、魔力感知に疎いイコルネでも分かった。
この至近距離で攻撃魔法を撃たれれば、初級の《火球》程度でも首が飛ぶ。
トーカの指先ひとつで自分の命が刈り取られてしまう状況――刃物を向けられるより、何倍も恐ろしい。
「その点、君は危機管理もちゃんとできてるし、話の裏を探る勘もいい。なにより、あの子を打ち負かすだけの強さがありながら、怪我をさせない腕もある。……うん、やっぱり合格! うちの妹と仲良くしてあげてね」
そう言ったトーカはパッと手を離す。
途端に全身を縛っていた魔法が解け、膝から崩れ落ちそうになるのを必死で踏ん張った。
目の前に立つ彼は先ほどより険のない顔で笑い、敵意がないことを示しているのか両手を上げている。
イコルネは早鐘のように鳴る心臓を落ち着かせるため、数度深呼吸をすると、声の震えを隠してトーカに疑問を投げかける。
「あんたの、妹って……?」
「あれ? 自己紹介されなかった? マリアテール・ロット、僕の五つ下の妹だよ」




