8話 昇級と水石
「待たせて悪いな」
跳ね返る勢いで扉が開き、紙の束を持ったランティスが部屋へ入ってくる。
そんな彼に眠そうな視線を向けたイコルネは、だらしなくソファへもたれ掛かりながら、大きな欠伸をした。
荷馬車の確認に行ったランティスが戻ってきたのは、タイラーがギルド長室へやって来てから三十分ほど経った頃だった。
「遅せぇよランティスさん、イコが寝ちまうぞ」
「悪い悪い。……お? なんだ、イコルネの機嫌は直ったか」
扉を閉めてこちらへ歩いてくる彼は、イコルネが先程ぶつけた苛立ちなど気にも留めていない様子で、眉を上げて笑う。
「イコ君、お腹が空いてたんだってさ。ビスケットをあげたら落ち着いたみたいだよ」
「ハハッ、なるほどな。昔から腹減ると不機嫌だったもんなぁ、お前」
トーカとランティスのからかうような視線に顔をしかめ、イコルネはため息をこぼしながら座り直した。
「……いいから話進めてよ。早く帰りたい」
「そうだな。とりあえず、話はタイラーからひと通り聞いた」
そう言ったランティスは軽く咳払いをすると、真面目な顔つきでイコルネへ向き直った。
「イコルネ、まずは謝罪と感謝を。急ぎの依頼だったとはいえ、不確かな情報をろくに確かめもせずに振っちまったこと、本当にすまなかった。冒険者ギルドとして、二度と同じことがないよう、今後の情報確認は徹底させる。……そして、この依頼を請け負ったのがお前じゃなかったら、確実に死人が出てた。依頼の完遂と、生きて帰ってきてくれたこと、ギルド長として心から感謝する」
深々と頭を下げたランティスの姿に、イコルネは慌てて立ち上がる。
文句を言われるのも、説教されるのも慣れているが、ギルド長に頭を下げられたことなど一度もない。
どうしていいか分からず、助けを求めるように友人たちを見れば、隣のトーカからは楽しげな微笑みを返され、向かいのタイラーには「自分でどうにかしろ」と苦笑された。
「いや、まぁ……なんとかなったし……別に」
しどろもどろに答え、下げられたままの頭をなんとか上げさせる。
ランティスはしばしこちらを見つめた後、ようやく硬いギルド長の顔を崩し、イコルネはほっと胸を撫で下ろした。
ローテーブルにどさりと紙束を置いたランティスが、タイラーの横に腰を下ろす。
テーブルの上に滑って広がった紙には、びっしりと並ぶ文字に混じって、いくつか犬の絵が描かれていた。
その中の一枚へ手を伸ばしたトーカが、紙に視線を落としたまま口を開く。
「ねぇランティスさん、この依頼、随分報酬が低いよね? さっきのやり取りからして、難易度の情報も間違ってたんでしょ」
「あぁ……」
「それなら、ギルド側の不手際として、イコ君に補填とか付けるのが筋なんじゃない?」
「……普通ならそうするんだが、今回はちょっと事情が違ってな」
「厄介な貴族が絡んでるんだっけ?」
トーカが顔を上げ、紙を置いてランティスを見る。
「偏屈ジジイで有名なファウグスって伯爵だ。この依頼を寄越してきたのが、伯爵の出資する組織なんだが……とにかく金勘定にうるさくてな。報酬に自分の金が使われるのを知った途端、家名の書簡まで飛ばして口出ししてきやがった……。大銀貨三枚でも、かなり引き上げさせた方なんだよ……」
うんざりした様子でため息をこぼすランティスだが、身分社会の根強いこの国で、貴族相手に交渉をするのは並大抵のことではない。
元冒険者のギルド長というなんの後ろ盾のない身で、依頼の責任や金銭の交渉をこなしているのだから、その度胸と手腕はかなりのものだ。
「報酬の妥当性だのなんだのを説明させられた上に、支払い後は明細まで出せって言いやがる……。下手にこっちで金の補填をしちまうと、元からギルドの資金を使えとか、わけの分からんことを騒がれかねねぇんだ。そうなりゃ今後、貴族からの依頼を受けづらくなっちまう……」
「それは避けてぇんだよ」とランティスがぼやいた途端、コツリとテーブルを指で叩いたトーカが、纏う空気の温度を下げる。
「あのさ、ギルド長。僕らは命を賭けて仕事をしているんだよ。ギルドのメンツだとか、貴族との円滑な関係なんてのは、あなたたちの仕事であって、僕らは知ったことじゃない。報酬を渋るってのは、あなたが何より大事にしてる『冒険者の命』を軽く見るって行為に他ならないと思うんだけど?」
トーカは笑顔のまま淡々と言葉を並べていく。
威圧感を出しているわけでもないのに、言葉の端々から伝わる気配は、鳥肌が立つほど薄ら寒い。
「……分かってる。だから、代わりと言っちゃなんだが、イコルネに出した条件を引き上げるので手を打ってくれねぇか」
「条件?」
「低報酬で依頼をうける代わり、冒険者ランクを試験なしでDまで上げてやるって話だったんだ。それをCランクまで引き上げる。報酬額はどうにもできねぇが、あれだけの魔物を一人で討伐してきたんだ、Cにしたって誰も文句は言わねぇし、言わせねぇ。……どうだ?」
登録からたった三日でプロと呼ばれるCランクへの昇級。
普通ならありえないことだが、早く友人たちへ追いつきたいイコルネとしては有難い話だ。
了承を伝えようと口を開きかけた時、トーカにそれを遮られる。
「軽いよ」
「あ?」
「うちのパーティメンバーの命は、そんなに軽くないって言ってるんだ」
「……トーカ、お前」
「あのね、そもそも元がBランクのイコ君なら、半月もあればCへ上がれるんだよ。昇級試験の手間を省いたくらいで、釣り合いが取れるとは思えない。彼をその程度の条件で、ろくに下調べもしていない死地へ送り込んだのなら、僕らは今後ギルドとの付き合い方を考えるよ」
紅茶色の目を細めたトーカは、ランティスを見据えたまま、ゆっくりと足を組む。
それを正面から睨み返したランティスだったが、わずかな沈黙の後、諦めたように舌打ちをこぼした。
「チッ……何が欲しいんだよ」
「ふふっ、そう来ないとね。イコ君、あれなんてどう?」
細く長いトーカの指がさしたのは、ワゴンに乗る水差し――その中で淡く光る『水石』だった。
「買わないといけないんでしょ? どうせギルドにはいくつもあるんだから、貰いなよ」
柔らかな笑みに戻ったトーカへ、ランティスは訝しげに眉を寄せる。
「そんなんでいいのか……?」
「あとは、携帯用の革袋と手頃な宿屋の紹介、それと今晩のご飯代かな」
当事者でもないのにポンポンと条件を上乗せしていくトーカに、イコルネはタイラーと顔を見合せ苦笑する。
「わかったわかった……。全部まとめて用意してやる」
「流石ランティスさんだ、話がわかる!」
深いため息をつきながら、ガリガリと頭を掻いたランティスは、ポケットから出した大銀貨四枚をイコルネの前に置いた。
「とりあえず今回の報酬と飯代だ。他はちょっと待っとけ」
ランティスはそう言って部屋を出ていくと、ほどなくして小さな木箱と革袋を持って戻ってきた。
「新品の水石だ、魔力を通してやれば水が出始める。革袋も小ぶりなやつにしといた。お前、荷物が嵩張るの嫌いだったろ」
「ありがとう、助かる」
「宿の話は、次ギルドに来る時までにつけといてやる。……ったく、トーカが噛むと交渉にもなりゃしねぇ。ちょっとは自重しろってお前んとこのリーダーに言っとけ」
「言ったとこで変わんないと思うけど……」
ランティスは「問題児共め」と恨めしそうに呟くと、イコルネたちを応接室から追い出した。
* * *
ギルドを後にした三人は夜道を並んで歩く。
人影もほとんどない大通りへ出れば、ぽつぽつと灯る店の灯りが石畳を照らしていた。
「やっと帰れる……」
伸びをしながらそう言ったイコルネに、両脇を歩くタイラーとトーカが労いの言葉をかける。
バタバタと忙しなかったここ数日だが、なんだかんだであっという間にCランクまで上がることができた。
パーティの加入が正式に認められるのはDランクからなので、これでやっと《ただ前へ》へ戻れる。
友人たちを待たせなくて済んだ安堵感と、またともに組んで仕事ができる喜びで、無意識に顔が綻んだ。
「なににやけてんだよ」
余程顔に出ていたのか、歩きながらタイラーに小突かれる。
「別に……なんでもない。それよりトーカ、さっきはありがとな」
「ん? あのビスケットそんなに美味しかった?」
「いや、交渉の方。おかげで水石も手に入ったし、宿の目処もついたから」
「気にしないで。イコ君の装備が整ってると、マリちゃんの機嫌がいいからね。それに、ああいうのは僕の領分でしょ?」
「確かに。俺らじゃ無理だな」
頭の後ろで腕を組んだタイラーが、こちらを見ながら「向いてねぇ」と笑う。
口下手なイコルネや、回りくどいことが嫌いなタイラーでは、交渉はおろか円滑な人間関係を築くのですら苦労する。
なにに対しても突っ走るマリアテールは論外としても、情報収集や会話術に長けているトーカがパーティの窓口となってくれるのは、今も昔も有難かった。
「まぁ、僕としても今日は良いことが知れたし。運良く居合わせられてよかったよ」
「良いこと?」
「こっちの話。そういえば、イコ君は今日もタイラーのところに泊まるの?」
「そのつもりだけど」
「おい、ちょっと待て。俺の部屋ベッド一つしかねぇんだぞ!」
「どう見てもイコ君のがボロボロなんだし、譲ってやりなよタイラー」
「ふざけんな! 王都まで馬車で送ってやったのは誰だと思ってんだ!」
「ほらほら、夜遅いんだから騒がないで」
「てめぇ、他人事だと思って! トーカの宿のが広いんだから、今日はそっち行けよ!」
「無理かなぁ。僕の部屋はマリちゃん以外泊めないって決めてるから」
「ざけんなシスコン!」
当の本人そっちのけで言い合いをする二人を眺めながら、イコルネは大きな欠伸をして、気の抜けた声で呟いた。
「俺は寝れればどこでもいいよ……」




