7話 ビスケット
「ねぇ、ランティスさんいる?」
受付のカウンターへ寄りかかるようにして立つイコルネは、ギルド職員の女性へ不機嫌そうに尋ねた。
いつもの愛想笑いもどこへやら、言葉の端々から苛つきが滲み出て、自然と口調がきつくなる。
カウンター越しにこちらを見た女性職員は、普段から荒くれ者たちを相手にしているだけあって、機嫌の悪いイコルネにも怯むことなく、毅然とした態度で返事をした。
「先に要件をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ランティスさんから直接渡された依頼の報告がしたいんだよ」
「依頼達成の報告でしたら、書類はすべてギルド長が目を通しますので、個別に報告する必要はございませんよ」
「問題があったから直接言いに来てんだよ。どうせ上に居るんだろ、早く呼んできて」
「ギルド長にも予定がございますので。明日以降で面会の予約をとっていただければ」
「はぁ……いいから呼んでこいよ」
苛立たしげにため息をついたイコルネは、腰の刀の柄をコツコツと爪で叩く。
学生の頃からやっているそれは、苛ついた時、不用意に相手へ手を出してしまわぬよう自分を律するためのルーティンだった。
* * *
タイラーとともに王都へ戻り、冒険者ギルドの戸をくぐったのは、夜も更けきった頃だった。
疲労はとうに限界を超えていて、できることなら今すぐ宿に帰って休みたい。
しかし、魔物の死骸を一晩放置するわけにもいかず、ギルド横に停めた馬車をタイラーに任せ、イコルネは一人、依頼達成の報告をしにきたのだった。
「ですから、ギルド長もお忙しい方ですので……」
「話になんない。いいよ、自分で行く」
女性職員の制止を振り切り、カウンター横の階段を上がる。
普段ならこんな強引なことはしないが、疲労で考えるのが億劫になっている今、いつまでも頭の硬い職員の相手をしていたら、手が出てしまいそうだった。
そもそも、ギルドの馬屋には自分たちの馬車しかなかった。
こんな夜更けに来客対応しているはずもないし、仮に誰かがいたとしても、徒歩で訪ねてくるような相手なら同じ冒険者か近所の住人くらいだ。
自分が乱入したところで大した問題にもならないだろう。
無遠慮な足音を鳴らして階段を上がりきると、二階の廊下はひっそりと静まり返っていた。
既に明かりが落とされ、夜勤の職員が休む詰所の光だけが暗い廊下に漏れている。
イコルネは迷いなく歩を進め、闇に包まれた廊下の先へと向かう。
応接室や資料保管庫の前を通り過ぎ、角を一つ曲がると、廊下の突き当たりには『ギルド長室』とプレートが下がる重厚な扉があった。
かすかな話し声が漏れ聞こえるその扉を、なんの躊躇いもなくノックする。
「どうぞー」
応えたのはランティスとは似ても似つかない青年の声。
眉を寄せつつ扉を開けると、中は質の良い木材と真鍮の装飾が目を引く、格式高い造りの部屋だった。
壁には地図や証書が整然と掲げられ、中央に置かれた深い艶のある執務机はランプの明かりを静かに映している。
だが、落ち着いた部屋の雰囲気とは対象的に、書類の束が山のように積み上がる机の上は、ギルド長の多忙さを物語っていた。
イコルネが中に入ると、二つの視線がこちら見る。
一つは執務机越しに不審な顔をしている、ギルド長のランティス・マクレーン。
そしてもう一つは、部屋の手前に置かれた革張りソファにゆったりと腰掛ける、友人のトーカ・ロットだ。
イコルネはランティスを一瞥すると、なにも言わずにトーカの隣へどさりと腰を下ろす。
自分が酷く汚れている自覚はあったが、ソファを気にする余裕など、もう残っていなかった。
「……お疲れさん。お前にしちゃ酷い有様じゃねーか」
「誰のせいだと思ってんだよ……」
「おいおい、随分ご立腹だな?」
「クソみたいな報酬のハズレ依頼受けてやったんだから、せめて情報は正しく寄越せよ、ランティスさん」
「あ?」
「外にタイラーが荷馬車を停めてる。説明するより見た方が早い」
イコルネの尊大な態度に青筋を立てかけたランティスだったが、タイラーという言葉にピクりと眉を動かすと「待ってろ」とだけ言って部屋を出ていった。
残されたイコルネは、乙女ノ炎舞を腰から外し、鞘を握ったままコツコツと指で叩く。
その様子を隣で眺めていたトーカが、なにか思いついたように、四角い紙の包みを目の前のローテーブルに置いた。
「……何?」
「ビスケットだよ。イコ君お腹すいてるでしょ?」
にっこり微笑んだトーカは「あげる」と包みをこちらへ押す。
一見優しそうな彼の笑みからは、拭いようのない胡散臭さが滲み出ていた。
普通ならこんな顔で出された食べ物には警戒するが、それなりに長い付き合いの彼は、表情を作って反応を面白がっているのが透けて見える。
それも、わざわざ不機嫌な相手へ仕掛けるあたり、本当にいい性格をしている。
だが、彼の遊びに付き合ってやる気力などもうない。
今は、疲労と同じくらい不快な空腹を、早くどうにかすることの方がずっと重要だった。
イコルネは素直に手を伸ばし、包み紙を開く。
中に入っていたのは、所々割れてしまっている六枚のビスケット。
早速一枚口に入れれば、濃いバターの香りが広がり、噛むたびにサクサクと小気味良い音を立てる。
甘いものはあまり好んで食べないが、疲れ切った体には程よい甘みとバターの塩気が染みて、とても美味かった。
噛み締めるように夢中で食べていると、頬杖をついたトーカと目が合う。
「……ありがとう、美味い」
「いえいえ。マリちゃんへのお土産だったんだけど、渡す前に割れちゃってさ。処分に困ってたから、食べてくれて助かるよ」
知らぬ間に残飯処理をさせられていたらしいが、彼のシスコンぶりは今更なので気にもならない。
「相変わらずだな……」
「イコ君もね。不機嫌になると刀を叩くの、まだやってるんだ」
「もう癖みたいになってるから。……そもそも、これをやらせ始めたのはトーカだろ」
「まぁね。だってイコ君、意外に気が短いんだもの。なにかしら抑止力がないと、後片付けに回る僕とタイラーの手が足りなかったんだよ」
「そうでもないだろ。むしろ俺は、マリーを止める役回りのが多かった気がすんだけど……?」
「その止める場で、先に刀を抜いて事を大きくしてたのも君だったけどね」
笑顔でそう言われ、イコルネはバツが悪そうに新しいビスケットを口へ放り込んだ。
そのまま残りもすべて平らげれば、一枚一枚がそれなりの大きさだったおかげか空腹の不快感はだいぶ落ち着いた。
「はいどーぞ。ビスケットだけじゃ喉が乾くでしょ」
いつの間にか立ち上がっていたトーカが、水の入ったグラスを手渡してくる。
受け取りながら部屋を見回せば、扉脇に置かれた小さなワゴンの上には蓋付きの透明な水差しが置かれていた。
水差しの中にはたっぷりの透明な水と、底に沈む瑠璃色の石が淡く光っている。
「……水石くらい、買うか」
グラスを一気に飲み干し、息をつくようにぼそりと呟く。
『水石』は清潔な水を生み出す魔道具で、密閉容器に入れれば自然と中を満たしてくれる、旅人や行商人にとっての必需品だ。
イコルネも昔は携帯していたが、故郷へ帰った際に売ってしまった。
そこそこ値が張るため、まだ新しいものを買っておらず、ここ数日の依頼は飲み水を持たずに行っていた。
「必要最低限の物は揃えておかないと、二人がうるさそうだもんね」
「……もう、どっちからも言われた」
「ふふっ、流石だなぁ」
「なんならタイラーには、一緒に買い物に行く約束までさせられた……」
「信頼されてるねぇ。イコ君の『どうせ口で言ってもやらない』ってところ」
「そんな信頼いらない……そもそもタイラーは口うるさ過ぎなんだよ」
その時、唐突に扉が開いてタイラーが部屋へ入ってくる。
「俺がなんだって?」
タイミング悪く聞かれたらしい最後の言葉を、イコルネはため息で誤魔化す。
可笑しそうに笑っているトーカは、おそらく彼が来るのに気づいていたのだろう。
じっとりとした視線を向ければ、彼は笑顔のままタイラーの分のグラスを取りに行った。
「……そんなことより、ランティスさんは?」
「荷台の説明したら保管庫にすっ飛んでった。あとはギルド員でどうにかするって言われたから、とりあえず任せて上がってきたけど……なんでトーカがいんの?」
「たまたまだよ」
そう言いながら戻ってきたトーカは「お疲れさま」と、タイラーへ水のグラスを渡す。
「ランティスさんとお茶してたら、イコ君が来たからさ。今度はイコ君とお茶してたってだけ」
「お茶ねぇ……?」
訝しげな顔をしつつも、グラスを受け取ったタイラーは、背の大剣を外すと、向かいのソファへ腰を下ろした。




