3話 冒険者登録
窓から飛び出していく友人を見送り、イコルネは改めてカウンターへ向き直る。
いつの間に席を立っていたのか、カウンターにニコルの姿はなく、辺りを見回せば丁度奥の扉から戻ってくるところだった。
浮かない表情でカウンターに座った彼女は、こちらの様子を伺うようにおずおずと口を開く。
「え、えーと……今ギルド長が居なくて……副ギルド長に確認したら、特例は認められないから規定通りFランクからにしろって、言われちゃって……」
目を合わせようとしない彼女は、イコルネの制止を聞かずに直談判しに行った挙句、断られて帰ってきたらしい。
相当気まずいのか、カウンターの上を視線が泳いでいる。
「別にいいよ、元々そのつもりだったし。それより早く登録してもらいたいんだけど」
「は、はい!」
勢いよく返事をしたニコルは、急いで書類を用意し始める。
別に気にしていないという意味を込めて愛想笑いも付け加えたのだが、彼女は怒っていると勘違いしたのか、慌てて準備しながら何度か手を机にぶつけていた。
何とか書類を揃え終わった彼女は、カウンターに羽根ペンと二枚の紙を差し出す。
気持ちを切り替えるように軽く咳払いをすると、今までとは違う業務的な口調で説明を始める。
「ご存知かとは思いますが……新規での登録になるので説明書類をよくお読みになってから、こちらのペンで同意の署名をお願いします」
紙にはギルドの規定やら依頼遂行中の責任の所在やらがびっしりと書かれている。
イコルネは六年前にも見たその書類を一読もせずに署名すると、ポケットに剥き身で入れていた銀貨三枚を紙の上に置いた。
確か登録料はこれくらい、だったはず――。
王都までの旅費も食費も削って、なんとか残したなけなしの銀貨だ。
記憶違いや値上がりなんてしていたら、そもそも冒険者になることすらできない。
記憶が正しいことを祈りつつニコルの様子を伺えば、彼女は書類と銀貨を丁寧に確認してから「ありがとうございます」と言って回収した。
無事登録できそうなことへ密かに胸を撫で下ろしていると、イコルネの前にもう一枚、紙が差し出される。
先程の書類の半分ほどの大きさのそれは、太く大きな文字で書かれた一文とその下に小さな文字が二行あるだけだった。
「既にお聞きになったことがあるとは思いますが、新規登録の方には『殺生法』についての説明が義務付けられておりますので、説明いたします」
ニコルの細く女性らしい指が大きな文字をスッと指さす。
そこには、タルスト王国民なら子供の頃に必ず覚えさせられる『殺生法』と呼ばれる言葉が綴ってあった。
『理知ある者の殺生を禁ず』
──理を具する者は他に害されず。
──知を備うる者は殺生の業を起こさず。
要約すれば殺人をするなという法律だ。
この法に記されている『理知ある者』とは人間のことで、いかなる理由があっても人間を殺生する行為の一切を禁じている。
『殺生法』を犯せば例外なく罰せられ、罪の重さに応じて終身刑か国外追放が言い渡される。
この法は自殺においても例外ではなく、自分という人間を殺した者は、国内に墓を作ることさえ許されない。
極度の人間至上主義者だった初代国王が、建国の際に制定したこの『殺生法』は、常に魔物の脅威に晒されているこの国で、人同士が争うことを禁じ、少しでも人口を減らさないための策だ。
おかげでタルスト王国は百年以上もの間、内紛などもなく平和が続いている。
年端もいかない頃から刷り込みのように教え込まれる、絶対的な国の規律だが、普通の仕事より生死に関わることの多い冒険者には、改めての周知が義務付けられているらしかった。
「殺生法に基づき、どんな依頼においても殺人はご法度です。要人警護や人質奪還など、武装した人間と対峙する場合であっても殺人を犯せば減刑対象にはなりません。違法行為が発覚した場合、冒険者資格の剥奪及び捕縛、連行の権限がギルドには与えられておりますので依頼遂行の際には十分お気をつけください」
淡々と説明しているが、普段魔物を相手に暴れ回る冒険者へ『強制的に捕縛できるほどの者が、ギルドにはいるので下手なことはするな』という脅しも込められているのだろう。
好戦的ですぐ揉め事を起こす冒険者には、罰金や降級なんて下手な罰をチラつかせるよりよっぽど効果がありそうだった。
「説明は以上になります。なにか質問はございますか?」
「いや」とイコルネが短く返事をすると『殺生法』の紙と入れ替えるように鈍い銀色のタグプレートがカウンターへ置かれる。
細く長い鎖の付いたそれは、冒険者の身分証であり、死んだ時に個人を判別するためのドッグタグのようなものだ。
ニコルは冒険者ギルド王都支部の標章が彫り込まれているプレートを慎重に裏返すと、先程イコルネが署名した書類を横へ並べる。
決して丁寧とは言えない筆跡の文字に指を置き、小さく詠唱を口ずさみながら、ゆっくりと紙の上を滑らせていく。
紙に染み込んだ墨色のインクはニコルの細い指に優しくなぞられると同時に、まるでシールでも剥がれるかのように端からめくれ上がり、そのまま指を追うように紙の上をゆらゆらと浮遊し始めた。
いつ見ても不思議なその光景に目を奪われていると、全ての文字をなぞり終わったニコルは漂うインクの端を器用に摘んで、隣に置かれたプレートへ素早く押し付ける。
銀の上に乗った文字が一瞬強い光を発したかと思えば、すぐに元の墨色へと戻り、プレートには紙に書かれていたものと全く同じ筆跡の文字が、半分ほどの大きさとなって深く刻まれていた。
「こちらが冒険者証となります。紛失すると再発行には銀貨一枚がかかりますのでくれぐれも無くさないよう、お気をつけください」
イコルネは礼を言うと、プレートを受け取り首から下げる。
久々に感じるかすかな首の冷たさは、懐かしく眩しい記憶を静かに蘇らせた。
ニコルに挨拶をしてギルドを後にする。
向かう先はいつものと呼ばれた馴染みの店。かつて友人たちと散々騒いだ、思い出の場所だ。
気まずさも気恥ずかしさも拭えたわけではないが、それでも友人たちに会いたいと素直に思えるのは、どこまでも真っ直ぐなマリアテールに当てられたせいかもしれない。
イコルネは太陽の昇りきった空を仰ぎ、大通りの方へと歩いていった。
* * *
ニコル・アンソンは深い溜息をつき受付のカウンターに突っ伏した。
人の少ないギルドのロビーには、数人の酔っ払った冒険者がいるだけで、仕事中に項垂れている職員の姿を咎める者はいない。
「私、なんであんなことしちゃったんだろう……」
自己嫌悪と羞恥心で今すぐ家に帰って布団に潜り込みたい。
いくら、こっそり憧れていたイコルネに会えてテンションが上がっていたとはいえ、嫌がる本人を差し置いて上司に昇級を強請りに行くなど、本当にどうかしていた。
昔からよく仲間たちに「突っ走るな!」と怒られていたが、転職した今でもその性分は一ミリも治っていなかったらしい。
自分の成長のなさで、さらに落ち込む。
「あれ、絶対イコルネさんに嫌われたよね……。クレームとか入ったらどうしよう……。最悪、受付の仕事おろされちゃうかも……」
一度思考がマイナスに入ると、とことん嫌な想像しかできなくなるところも昔から治っていなかった。
「おはようニコル。そんなに項垂れてどうしたの?」
頭の上から急に声をかけられ、ニコルは慌てて体を起こす。
目の前に立っていたのは、二十代後半の細身で長身な男性。
丸みのある白金の髪を綺麗に切りそろえ、赤みの強い紅茶色の瞳が前髪の間から覗いていた。
「ト、トーカさん! おはようございます!」
「うん、おはよう。それより大丈夫?」
「はい、大丈夫です! お見苦しいところをお見せしました!」
「ふふっ、見苦しくなんてないよ。悩みがあるなら聞くから、いつでも言ってね」
「ありがとうございますっ……! ところで、何かご用ですか?」
「あ、そうそう。さっきここに妹が来なかった? 朝、ギルドに顔を出すって聞いてたんだけど」
「はい、いらしてましたよ。でも、私が席を立っている間に出ていってしまったみたいで……」
「そっか、じゃあ入れ違いになっちゃったかな。ありがとう」
そう言ってトーカが後ろを向いた時、肩に羽織られた黒いローブが揺れ、縁の金細工がきらりと光る。
本日何度も目にしたそのローブを思い出し、ニコルはガタリと椅子から立ちあがった。
「あの! トーカさん!」
「……ん?」
「マリアテールさんが向かった場所なら、分かるかもしれません!」
「へぇ……妹は一体どこへ?」
「おそらく、トーカさんの宿かタイラーさんの宿じゃないかと。今朝、イコルネさんが冒険者の再登録に来られて、マリアテールさんがみんなを集めるって話をなさっていたので」
それを聞くなりトーカは破顔する。
「ははっ、なるほど。それなら行った先は分かりやすいね」
「あ、でも、それだと結局トーカさんとは行き違いに……」
「大丈夫だよ。この後、妹が向かう場所には見当がついたから」
「そう、なんですか……?」
「うん、有益な情報をありがとう。イコ君の登録をしてくれたのもニコルでしょ? 今度なにか差し入れを持ってくるよ」
爽やかに笑ったトーカは「それじゃあね」と告げると、さっさとギルドを出て行ってしまった。
後ろ姿を見送り椅子に座り直したニコルは、さっきまでの憂鬱な気分はどこへやら、自然ににやける顔を再び突っ伏して隠した。
「《ただ前へ》の復活かぁ、楽しみだなー!」




