5話 合成魔獣研究所
きな臭い依頼なんて、いつもなら絶対に受けない。
それを今回受けたのは、パーティのリーダー直々の頼みだったからだ。
無機質な白い壁に囲まれた応接室でタイラーはため息をつく。
目の前のローテーブルには、一度も口をつけていない紅茶が冷えきっていた。
王都から北東へ馬車で丸一日、合成魔獣の研究所に着いたのは二時間ほど前のことだ。
魔物の処分依頼と聞いてやってきたが、馬車を降りるなり案内された部屋は、応接室というにはあまりにも質素な、白い箱のような部屋だった。
壁の装飾はおろか、窓すらなく、唯一の家具といえば部屋の中央に置かれた真っ黒なローテーブルとソファだけ。
だがそれも、お世辞にも座り心地がいいとはいえず、あまりセンスがいいとも思えない。
おまけに、取り繕うように出された紅茶は嗅いだことのない匂いだ。
何から何まで胡散臭い。
この部屋で依頼人が来るまで待つよう言われたタイラーは、既に帰りたくて仕方がなかった。
コンコンッと硬いノックの音がして、真っ白なドアが開く。
滑るように動いたドアの外には、深紅の長髪をひとつに束ねた女性が立っていた。
派手な髪色とは対照的に大人しそうな顔立ちの彼女は、赤銅色の瞳に大きな丸メガネをかけ、いかにも研究者という長い白衣を羽織っている。
「お待たせしてしまい、すみません。依頼を受けていただいた冒険者の方ですよね」
「あぁ」
「細かいことは移動しながら説明しますので、着いてきてください」
柔らかい口調でそう言った彼女は、タイラーと変わらぬ高さにある瞳に笑みを浮かべた。
そのまま踵を返してスタスタと歩き出したので、慌ててあとを追う。
足音の響く研究所の廊下は、さっきまでの部屋同様、真っ白に統一されていた。
「今回の依頼内容は、どこまで把握されていますか?」
軽く振り返った女性が、歩きながら尋ねてくる。
「実験で使った魔物の処分って聞いてるけど」
「その認識で間違いありません。今回処分していただくのは翼狼と夜犬の二頭です。……実は、実験の被検体として飼育していた魔物が数頭、檻から脱走してしまいまして……。幸い、最も凶暴な夜犬は翼狼のいる奥の部屋に逃げ込んだため、部屋ごと封鎖しています。ただ、私たち研究員では鎖に繋がれていない魔物を捉えるのは難しく……。必要なデータは既に取れているので、殺処分を冒険者ギルドへ依頼した次第です」
女性は淡々と話しながら階段を下りていく。
分厚い扉を何度かぐぐり、さらに階段を下ると、一際堅牢な鉄扉の前で立ち止まった。
「ここから先は魔物の収容施設です。大切な被験体たちですので、あまり刺激しないようお願いしますね」
そう言うと、彼女は扉に取り付けられた大きなハンドルを回す。
重苦しい金属音を鳴らして鍵が外れ、手前に引かれた扉がゆっくりと開いていく。
その先を覗き込むように見つめたタイラーは、視界に映った光景に息を飲んだ。
白く清潔だった研究所の内装から一変、打ちっぱなしの石壁に沿って無数の檻が立ち並んでいる。
檻の中には大小様々な魔物が入れられ、爛々と眼を光らせながらこちらの様子を伺っていた。
女性に続いて中へ入ると、息を潜めていた魔物たちが一斉に唸り声をあげる。
しかし、彼女はそんな魔物たちに目もくれず、慣れた足取りでさらに奥へ進んでいく。
檻の前を通り過ぎ、さらに二つほど扉を抜けた先。
小窓のついた扉の前で立ち止まると、彼女は長い髪を揺らして振り向いた。
「例の二頭はこの中です。処分の仕方はお任せしますが、できればあまり部屋を汚さないでいただけると助かります」
「……わかった」
「それから安全のため、外から施錠させていただきますので、済みましたら扉を叩いて合図してください」
タイラーが了承を口にすると、女性は厳重な錠前を開けて、扉の閂を外した。
「お気をつけて」と小さく微笑んだ彼女から視線を外し、タイラーは素早く中へ入る。
後ろ手に扉を閉め、鍵が掛かる音を確認すると、鼻をつく獣臭に顔を歪めながら部屋の中を見回した。
先程までと同じ石壁。
そこに打ち付けられた何本もの鉄杭。
その一つから伸びる鎖の先には、美しい純白の羽を持つ翼狼が繋がれている。
そして、翼狼を背に庇うように立つ、漆黒の夜犬。
二頭はどちらも仔馬ほどの大きさで、光る瞳は同じ金色だった。
「でか……」
タイラーは思わず呟く。
翼狼も夜犬も、ここまで大きな個体はなかなか見ない。
特に夜犬は、異様に発達した筋肉がはち切れんばかりに隆起していて、これが意図的に作れたのだとしたら、とんでもない研究だ。
静かに背の大剣へ手を伸ばすと、夜犬が低い唸り声を上げる。
威嚇するように毛を逆立て、牙を剥き出して身を沈めた直後、凄まじい速さで飛びかかってきた。
タイラーは即座に大剣を抜き、眼前の鋭い爪を弾く。
すれ違いざまに長い尾を掴むと、そのまま力任せに投げ飛ばした。
だが、夜犬は空中で器用に体勢を整え、壁に着地するなり、再びこちらへ向かってくる。
その姿を正面に捉えたタイラーは、迫る牙が間合いに入った瞬間、大剣を横薙ぎに振り抜いた。
メキッと嫌な音がして、黒い体が吹き飛ぶ。
勢いよく壁に叩き付けられた夜犬は、跳ね返ることもなく床に落ち、一度だけ大きく痙攣すると、四肢を投げ出して動かなくなった。
詰めていた息を吐き、トドメを刺しに行こうとした時、不意にジャラリと鎖が鳴る。
視線を向ければ、壁に繋がれた翼狼が、鎖を引きずりながら夜犬の元へ歩いてくる。
鼻先で頬や首をつつき、まるで名を呼ぶように寂しげな声で数回鳴くと、そっと傍らへ身を寄せて目を閉じた。
「チッ……こっちが悪者かよ……」
タイラーは顔を顰めて舌打ちをこぼす。
冒険者として胸糞の悪い仕事はいくつもこなしてきたが、今回のは輪をかけてタチが悪い。
こんな場所に閉じ込められ、身体を弄り回された挙句、用済みになったら処分される――生き物として絶対に正しくないその死を、哀れに思わずにはいられない。
自分の稼業が、魔物を殺す仕事だと分かっていても、こういう場面にはいつまでたっても慣れなかった。
「悪いな、こっちも仕事なんだ……」
ゆっくりと近づき、大剣の柄を握り込む。
持ち上げた手を真っ直ぐ振り下ろせば、白い頭は呆気なく落ちて転がった。
そのまま黒い頭も落とし、タイラーは深く息を吐く。
ほんのわずかな間、目を閉じると、剣についた血を振り払い、二頭に背を向けて出口へと向かった。
* * *
扉をノックすると、小窓から赤い頭が覗く。
ガチャガチャと音を立てて解錠された扉の外には、先程の女性に加えて白衣の男たちが数人集まっていた。
「終わった。あれは、そのままでいいか?」
部屋の奥、床に赤い血溜まりを作る二頭を顎で指せば、彼女はちらりと視線を向けた後、首を横に振る。
「持ち帰っていただけると助かります。この研究所へ出資している貴族の方が、後日、冒険者ギルドへ回収に行くとのことですので」
「……ここに取りにくればいいだろ」
「この施設は少々血生臭いので……。高貴な方は、あまり近寄りたがらないのですよ」
「冒険者ギルドも似たようなもんだと思うけどな……」
「とにかく、今回は回収を含めての依頼です。積み込みはこちらで請け負いますので、応接室の方でお待ちください」
有無を言わさぬ口調に、タイラーは諦めてため息をつく。
元々回収までの依頼ではあるものの、寄り添って横たわるあの二頭を、もう見ていたくなかった。
しかし、そんなわがままが通るわけもない。
タイラーが大人しく応接室へ戻ろうとした時、ヒソヒソと囁き合う声が耳に入る。
「……せっかくの被検体をみすみすくれてやるなど、勿体ない」
「……孕ませるのにどれだけ苦労したと思っているのか」
「……伯爵は剥製作りにご執心らしい。今回のもそうするんだろう」
「……あの犬なら、血の一滴まで実験に役立てられるというのに」
「……どうせなら二頭を食い合わせた場合のデータなども取りたかった」
「……まったく、伯爵のわがままにも困ったものだ」
耳障りな囁きに虫唾が走る。
どうせ扉の小窓から覗いていたのだろうに、あの最後を見届けてなお、こんな台詞が吐ける奴らの気が知れない。
どこまでも白く清潔な施設に反して、ここにいる連中の中身は、腐りきっていて真っ黒だった。
だが、ここでそんなことをぶちまけても意味はない。
仲間を守ろうとした夜犬を、寄り添い最後まで共にあろうとした翼狼を――殺したのは、他でもない自分だ。
タイラーは感情を振り払うように、早足で歩き出す。
案内しようとした研究員を置き去りに、檻の間を抜け、扉をくぐり、無機質な廊下をひたすら歩く。
道順など覚えてはいなかったが、今はただ、少しでも早くこの空間から抜け出したかった。




