3話 決着
煙塵を晴らす風に皮膚がチリチリと痛む。
咳き込みながら目を開けたイコルネは、眼前の光景に思わず目を見開いた。
荒れ果てた裸地に立つ、黒い獣。
牛より大きなその身体は、焦げた毛皮の間から焼け爛れた皮膚が露出している。
爆炎を凌いだ代償か、だらりと垂れた右翼はほとんど焼け落ち、荒い息を吐く口からは血が滴っていた。
全身から煙を立ち上らせる姿は見るからに満身創痍だ。
しかし、合成魔獣の瞳は爛々と光ったまま、こちらを睨んでいる。
「あれで死なないとか……どんだけ頑丈なんだよ……」
イコルネはこぼすように呟き、眉を寄せる。
並の魔物なら、あの爆発で身体が跡形もなく吹き飛んでいる。
だが、目の前で立ち続ける合成魔獣の闘志は、欠片も衰えていない。
むしろ身にまとう殺気は増しているようにさえ思えた。
イコルネは両手の乙女ノ炎舞を握り直す。
合成魔獣から視線を逸らさぬまま、ゆっくりと膝にためを作り、そして一気に地面を蹴った。
眼前に迫る黒い一角の横をすり抜け、皮膚が露わになっている首目掛けて刀を振るう。
合成魔獣は刃が食い込む寸前で身を引くが、乙女ノ炎舞の魔力に焼かれてジュッと短い音を立てた皮膚には、黒い焦げ跡がついた。
苦悶の声を上げて大きく飛び退いた合成魔獣は、今までより明らかに動きが遅く、反応も鈍い。
イコルネは間髪入れずに追随し、すれ違うように背後をとると、合成魔獣の残った左翼へ力の限り刀を叩き込む。
刀から伝わる硬い感覚。
しかしそれを感じたのは一瞬で、乙女ノ炎舞は本領発揮とでも言うように、鮮烈な魔力を放ちながら太い翼の根元を焼き切った。
「ガァァァァアアアッ!!」
耳を劈く咆哮と衝撃波で周囲が吹き飛ぶ。
石や土とともに十メートルほど飛ばされたイコルネは、受身も取れぬまま、岩壁に叩きつけられた。
背中に走る衝撃で呻き声が漏れる。
打った後頭部から首筋へ生温い感触が広がり、朦朧とする頭には耳鳴りが響く。
ずるずると座り込みそうになった膝を、刀の柄で殴って無理やり踏みとどまる。
咆哮のせいで鼓膜がやられたのか、周囲の音は膜が張ったように聞こえづらくなっていた。
体が軋み、視界がぼやける。
こんな状態では、今までのようには戦えない。
その上、元からそれほど多くない自分の魔力は、魔眼と《加速》を酷使したせいで、三分の一も残っていない。
よろよろと岩壁から背を離したイコルネの脳裏に、ふと友人たちの姿がよぎる。
――みんななら、この魔物相手にどう戦うだろう。
素早いマリアテールなら、先程の咆哮を避け切り、動きの鈍い合成魔獣を速度で圧倒するに違いない。
剛腕のタイラーなら、筋力で組み伏せ、力押しの一撃で致命傷を与えられるだろう。
計算高いトーカなら、そもそも成長すらさせず、魔法で早々に片をつけている、なんてこともあるかもしれない。
しかし、自分にはどれも真似できない。
決め手となる速度もパワーも魔法もなく、既にこちらも満身創痍だ。
――それなら、今、自分はどうするべきか。
結局のところ、自身の持つすべてを使って、戦い、勝つしかない。
泥臭くても、みっともなくても、最後に生きていた方が勝ちなのだ。
元Bランク冒険者が、復帰してたった四日で殉職なんて笑い話にもならない。
イコルネは手から滑り落ちかけていた乙女ノ炎舞を固く握り直し、合成魔獣へ向かって駆け出した。
* * *
いつの間にか太陽が高く登っている。
見晴らしの良くなった岩場には、赤黒く濡れた大小の影が二つ。
鈍い音を響かせながら、ぶつかり合っていた。
傷だらけになりながら刀を振るうイコルネは、左目を閉じて戦う。
返り血や砂埃でぼやける普通の視界を諦め、魔力以外の一切が映らない魔眼だけに頼って、攻撃を凌いでいく。
鮮やかな赤紫に染まる右目には、闇の中に灯る合成魔獣の色がはっきりと映り、挙動よりほんの少し先に揺れる魔力を捉えて、魔法も斬撃も、すべての動きをイコルネに教えていた。
だが、猛然と食らいついてくる合成魔獣の攻撃を、完全に見切ることはできない。
脚を掠める爪も、腕を切り裂く角も、致命傷以外は避けることを辞め、毛皮の下の体へ傷を刻むことだけに専念する。
そこまでして、ようやく攻撃が通る相手だった。
イコルネは頭目掛けて迫ってきた牙を、刀で弾いてなんとかかわす。
翼と尾がないので幾分攻撃のペースは落ちているが、常に接近戦となったことで、魔眼をさらに酷使しなくてはならなかった。
右目に血涙が滲み、休む暇のない攻防で息も上がっている。
けれど、余裕がないのは合成魔獣も同じだ。
互いに満身創痍、反射と気力だけで動き続けている。
どれだけ深手を負おうと、力の差があろうと、人間と魔物が対峙した結末は、生きるか死ぬかだけ。
油断、迷い、焦り――そのわずかな隙に食らいついた者だけが、生き残れることを、イコルネも合成魔獣も理解していた。
絶え間ない命のやり取りを、もう何時間しているか分からない。
目の前の相手が動かなくなるまで、ただひたすらに斬り続ける。
その最中、横薙ぎに振り抜いた右の刀が、不意に手から抜け飛んだ。
思わず両目で右手を見れば、べっとりと血のついた手は小刻みに震えていて、ほとんど力が入らない。
遠くでカンッと軽い音を立てた刀に気を取られ、視線を逸らした途端、合成魔獣が飛びかかってくる。
反応が遅れ、押し倒されるように体勢を崩す。
腹を裂きかけた爪先をなんとか身を捩って避けると、そのまま倒れ込む勢いを乗せて、合成魔獣の喉元へ左の刀を突き刺した。
驚くほどすんなりと入っていく刃が、焼け爛れた皮膚に深々と刺さる。
地面に背中を打ち、明滅する視界の中、イコルネは乙女ノ炎舞にありったけの魔力を流した。
ジュワァッッ!!
滴る血をすべて蒸発させるかのように熱が溢れ出し、肉が裂ける。
両手で握った柄に力を込め、その傷口を一気に広げていく。
無意識に叫んだ声。
悲鳴のような咆哮。
それらをかき消すほどの音を鳴らす刀身は、白煙を上げながら真っ赤な魔力で長さを伸ばし――
合成魔獣首を、盛大に刎ね飛ばした。




