2話 成長
イコルネは汗ばんだ両手で乙女ノ炎舞を握り直す。
岩の影からそっと覗けば、合成魔獣は岩場をうろうろと歩き回っていた。
辺りに薄く満ちる魔力は、おそらく獲物の位置を探ろうとしているのだろう。
匂いを嗅ぎ取るように顔を下げ、鼻をひくつかせている。
そのまましばらくうろついていたが、不意に立ち止まり、魔力を自らへ収束させ始める。
渦を巻いて集まる魔力は、次第に合成魔獣の口元へ吸い込まれていく。
――なにか来るッ!?
イコルネが岩陰から飛び出した瞬間、合成魔獣が咆哮する。
耳をつんざくその声は、音の波とともに物理的な衝撃波となって、いくつもの岩を吹き飛ばした。
砕け散る巨岩。
その破片が飛び散り、さらに周りの岩を砕いていく。
間一髪、頭目掛けて飛んできた破片を避けたイコルネは、すっかり開けた岩場を見渡し、思わず目を疑う。
そこにいたのは――先程よりも二回り大きい、額から鋭利な一角の生えた、黒い獣だった。
「……話が違う!!」
真っ直ぐにこちらを見る合成魔獣を睨み返し、イコルネは舌打ちをこぼす。
魔眼でなくても分かるほどの膨大な魔力と殺気。
身体や顔つきまで逞しくなり、いくら魔物の成長が早いと言っても、あの一瞬でここまで変化するのは異常だ。
生き物としての範疇を逸脱している。
「なんつうもん作ってんだよ……!」
吐き捨てた言葉が、再び吠えた合成魔獣の声に掻き消される。
地面をえぐるほどの衝撃波は、的確にイコルネを狙っていた。
どうにか転がってかわしたものの、合成魔獣は間髪入れずに襲いかかってくる。
鋭く強靭になった爪が容赦なく振り下ろされ、刀で弾けばそのまま弾き飛ばされる。
体勢を立て直そうにも、背の巨大な翼が羽ばたくたび、体を持っていかれるほどの強風が巻き起こるせいで、身を低くしなければ動けない。
喰らいつこうと迫る牙を避け、死角へ回り込んでも、しなる尾か鞭のように退路を潰す。
息付く暇もない攻撃の嵐。
速度も威力も桁違いに上がり、絶えず魔眼を最大限使っても完全に避け切ることができない。
なんとか軽傷で済んでいるのは、防御と回避に意識を集中させているからだ。
はっきり言って目の前のそれは、もう先程の魔獣とは全くの別物だった。
防戦一方が続き、体力と魔力が削られていく。
普通ならこのクラスの魔物は、Cランク以上の多人数パーティでやっと倒せるかどうかという相手だ。
それをソロで、遠距離の攻撃手段を持っていないイコルネが、まだ扱いきれていない刀で倒さなくてはならない。
単独討伐での敗北は、そのまま死を意味する。
窮地を救う援護も、立て直しの時間稼ぎも、担ってくれる者は誰もいない。
生き残るには、すべて自分一人で切り抜けるしかなかった。
イコルネは攻撃を防ぎながら頭を回し続ける。
守りに振り切っていた思考をわずかに割き、この防戦一方を打開できる策を探す。
合成魔獣の攻撃は重い。
一発でももろに喰らえば、回避と防御が追いつかなくなるだろう。
だからといって、このまま消耗戦に持ち込まれるのは、まだ成長の余地を残す合成魔獣相手には避けたい。
幸い今の速度には目が慣れてきた。
手数は多いが、攻撃のパターンはそれほど多くなく、流れさえ読めれば反応できる。
あとは攻撃へ転じられる隙と、致命傷を負わせられるだけの攻撃手段があれば――。
眼前に迫る牙を弾いた乙女ノ炎舞へ、ちらりと視線を向ける。
この刀に全力で魔力を注いだとして、合成魔獣にどれほどの傷が付けられるだろう。
腹の下へ飛び込めば、心臓を一突きすることくらいはできるかもしれないが、相手は合成魔獣だ。心臓が一つとは限らない。
致命傷にならなければ、間違いなく八つ裂きにされてしまう。
右目に濃く映った濃緑色に、イコルネは反射的に後ろへ飛び退く。
脇腹すれすれを通り過ぎた尾は、根元から濃い魔力を溢れさせていた。
魔核は魔物の急所だ。
壊せば確実に動きを止められる。
だが魔眼で視た限り、合成魔獣の魔力は少なくとも三種類以上ある。
おそらく魔力と同じ数だけの魔核があり、すべて壊さなければ完全には死なないだろう。
しかも、合成魔獣はこれまでに《加速》《衝撃波》《風操作》《鋭化》など、性質の違ういくつもの魔法を操っている。
それらを駆使した攻撃を掻い潜り、複数ある魔核を同時に破壊する――そんなのはどう考えても現実的ではなかった。
次第に思考が集約していく。
しかし行き着く先はひとつ――今のイコルネには、あの合成魔獣を倒しきる決め手がないという事実だ。
元々自分には、タイラーのような腕力も、マリアテールのような速度も、ましてやトーカのような魔法のセンスもない。
攻撃の代名詞と呼べるような技もなく、あるのは右目の魔眼と好きで鍛錬し続けた刀だけ。
強敵に追い詰められれば防戦一方で、攻撃にもまわれない。
そんな自分が、目の前の敵を倒すには――。
イコルネはそこで考えることをやめた。
――どうせできないなら、いいか。
喉元へ迫ってきた角を勢いよく跳ね上げる。
巻き起こった風に身をかがめると、そのまま地面を蹴って合成魔獣との距離を一気に詰めた。
迫り来る爪を避けることもせず、右の刀を合成魔獣の首目掛けて振り抜けば、裂けた首とイコルネの肩から、同時に血飛沫が舞う。
だが、どちらも傷は浅い。
すれ違いざまに腕を振って身を翻すと、そのまま左の刀で尾を払う。
根元からスパリと落ちた尾が、なおも刀身に絡みつこうとするが、鬱陶しいとでも言うように魔力を溢れさせた乙女ノ炎舞の熱で、瞬く間に灰になった。
イコルネは着地するなり地面を蹴り、再び距離を詰める。
こちらへ向き直った合成魔獣の鼻先を掠めて腹の下へ滑り込み、勢いのまま腹を斬り裂く。
吹き出した鮮血が地面を真っ赤に染め上げる。
しかし、致命傷には足りない。
払うように振られた前足に突き飛ばされ、イコルネは腹の下から転がり出た。
急いで身を起こし距離をとる。
血に濡れた顔を乱暴に拭えば、視界に捉えた合成魔獣は、毛を逆立て、唸り声を上げていた。
先程のように飛びかかってくる様子はない。
頭を低くし、闇を広げたような漆黒の翼が大きく羽ばたく。
その途端、目も開けられないような強風が巻き起こった。
合成魔獣を中心に渦を巻く風は、巨大な竜巻へと姿を変えていく。
砂利や石、砕けた岩の破片など、ありとあらゆるものが巻き上げられ、恐ろしい速さで宙を舞うそれらは、まるで鋭利な刃物だ。
風はさらに勢いを増し、四方八方から飛んでくる刃も威力が上がっていく。
周囲に風を操る魔力が満ちているせいで、魔眼が使い物にならず、避けることも合成魔獣に近づくこともできない。
――これ以上は、流石にまずい。
イコルネは腰鞄をまさぐり、中にあった布袋を思い切り空中へ放り投げる。
口が開いたままの袋からは、色とりどりの混魔屑が風に巻かれて散っていく。
キラキラと光を反射した混魔屑は、飛び交う破片にぶつかるや否や次々と爆発した。
本来なら小規模なはずの爆発は、 この場を満たす魔力に強く反発して威力が何十倍にも膨れ上がり、衝撃でさらに爆発を引き起こす。
連鎖するように爆ぜ続け、合成魔獣を中心とした巨大な竜巻は、凄まじい勢いで爆裂した。
空気を震わせる轟音が響き渡り、熱気を孕んだ爆風が、満ちていた魔力すら吹き散らしながら岩場を駆け抜ける。
しかし爆発は――
不自然なほどあっという間に収束した。




