1話 合成魔獣の幼体
轟音が鼓膜を揺らし、目の前の岩が砕け飛ぶ。
頭目掛けて飛んできた破片を間一髪で避けたイコルネは、すかさず辺りを見回した。
見晴らしの良くなった眼前にいるのは、歯を剥き出しにして唸る、黒い獣。
真っ直ぐに睨み合い、イコルネは顔を顰めて舌打ちをこぼした。
「……話が違う!!」
* * *
低報酬の依頼をギルド長のランティスから渡された翌日。
だいぶ寝坊したイコルネは、必要最低限の旅荷物だけを揃え、日が沈む頃に乗合馬車で王都を出発した。
隣国との間を数週間かけて行き来する馬車に揺られること、一日と少し。
いくつかの村で休息を取りつつ夜通し走る馬車は、人や荷物を乗せ換えながら、既に五十キロ近い距離を移動していた。
夜が明け、空が白み始めた頃。
荷台の前方で仮眠を取っていたイコルネは、ガタガタと酷い揺れで目を覚ます。
周りへ視線を向けると、ほかの乗客たちはまだほとんどが眠っており、時折寝づらそうに身体を捩っている。
イコルネは欠伸を噛み殺すと、小声で御者に話しかけた。
「おはよう。今どの辺?」
「おぉ早いな、にいちゃん。シルリア岩山を超えた辺りだ。あと一時間もすりゃ次の街に着くぞ」
「どおりで腰が痛いわけだ……」
腰をさすりつつ大きく伸びをする。
白い岩と乾いた土に覆われたシルリア岩山は、裾野を大きく迂回する街道以外、整備されていない道が多い。
馬車では避けられることも多く、わざわざ通るのは麓の村々に向かう荷馬車か、速度を優先する安い辻馬車くらいなものだ。
イコルネが乗るこの乗合馬車はさらに安価なもので、悪路でも気にせずに突っ切っていくため、決して乗り心地がいいとは言えなかった。
荷台を覆う幌から顔を出すと、山の峰に朝日が昇り始めていた。
地面から突き出た無数の白い岩が陽の光に照らし出され、まるで辺り一面が光り輝いているように美しい。
眩しげに目を細め、その光景をのんびり眺めていると、不意にある一点へと視線が吸い寄せられる。
馬車から数百メートル先、一際高い岩の上に、不自然な黒い影がある。
小さな点にしか見えないそれは、煌々と照らされているにもかかわらず、光を吸収しているかのように黒く沈んでいた。
『闇を纏う漆黒の獣』
依頼書に記されていた一文を思い出し、イコルネは身を乗り出す。
瞬きの間に赤紫へ染めた右目を凝らせば、白く細長い岩の先端には、蝋燭の火ように灯る琥珀色の魔力が揺れている。
この辺りに生息する岩石狼や岩狗の魔力とは明らかに違う、温かな色。
それが時折、赤や緑に色を変え、明らかに普通の魔物ではないことを示していた。
「にいちゃん、どうした?」
幌から身を乗り出したまま動かないイコルネへ、御者の男が不審げに眉を寄せる。
イコルネは無言のまま、腰の乙女ノ炎舞に手をかけて岩の上を凝視し続ける。
全く違う色彩が混ざり合う不自然な魔力――おそらくあれが今回の標的『犬型の合成魔獣』だ。
依頼書によれば、合成魔獣研究の施設から逃げ出した幼体らしく、最後の目撃情報はシルリア岩山を超えた先という話だった。
多少移動していたとしても、山を超えるには五日はかかる。
遭遇するのは、まだ先だと思って油断していた。
ガラガラと車輪の音が響く中、視線の先に捉えた魔力が唐突に揺らぐ。
ゆっくりと立ち上がった合成魔獣は、烏を思わせる漆黒の翼を広げ、伸びをするように大きく羽ばたかせたかと思えば、するりと岩から降りた。
――まずい!
イコルネがそう思うと同時に、合成魔獣はこちらへ駆けてくる。
獲物を定めたかのように馬車へと向けられた鋭い魔力は、魔法を使っているのか、先程よりも色濃くなっていた。
「速度を上げろ!」
御者に向かって叫びながら、イコルネは馬車を飛び降りる。
「に、にいちゃん!?」
「いいからそのまま行けッ!」
ただならぬ様子に身の危険を察したのか、御者は困惑の表情を浮かべながらも、鞭を強く打ち鳴らした。
嘶きを上げて勢いを増した馬が、荷台を跳ねさせながら遠ざかっていく。
だが、合成魔獣の視線は馬車へ向けられたまま、その場に残るイコルネには目もくれない。
小さな影でしかなかった姿は、今や狼に似た顔立ちまではっきりと見える距離に迫り、馬車に追いつくのは時間の問題だ。
舌打ちをこぼしたイコルネは腰鞄に手を突っ込むと、手探りで混魔屑を掴む。
そこに《加速》の魔法をこれでもかとかけ、合成魔獣の鼻先目掛けて思い切り投げた。
目にも留まらぬ速さで混魔屑が飛んでいく。
飛距離が足りず、わずかに手前へ落ちるが、砂利の地面に触れるや否や、パァンッと大袈裟な破裂音を響かせて爆発した。
舞い上がった砂埃とともに細い白煙が上がる。
見た目の派手さに反してそれほど威力はなく、直接的な攻撃にはなっていない。
だが、合成魔獣の気が引ければそれで十分だ。
爆発に怯んだ合成魔獣は馬車を追う足を止め、鼻をひくつかせて辺りの様子をうかがう。
ピンと尖った耳を細かく動かしながら探るように視線を回し、やがてぴたりと動きを止めると――明確にこちらを見た。
イコルネはすかさず、馬車と反対方向へ駆け出す。
直後、立ち上る魔力がすべてこちらへ向き、新たな獲物を逃すまいと合成魔獣が猛追を始めた。
イコルネは自身の足に《加速》をかけ、風を裂く勢いで駆ける。
目指すのは、白い巨岩が無数に突き出す岩場。
遮蔽物が多く、背に大きな翼が生える合成魔獣には動きづらい場所だ。
だが、本能的にそれを察しているのか、背に聞こえる唸り声はみるみる距離を詰めてくる。
そして次の瞬間、膨れ上がった魔力がイコルネの首筋を撫でた。
咄嗟に身を引き、思考が追いつく前に体を捻る。
振り向きざまに乙女ノ炎舞を振るえば、眼前の牙とぶつかって甲高い音が鳴った。
「……ッ!」
受けきれなかった衝撃で体が突き飛ばされる。
なんとか受身を取り、転がるように立ち上がると、合成魔獣は間髪入れずに襲いかかってきた。
振り下ろされる鋭い爪を右の刀で受け流し、黒い毛皮に覆われた首へ、左の刀を振るう。
しかし合成魔獣は器用に牙で受け止め、咥えたままの刀身を噛み砕こうと顎に力を込めた。
イコルネは反射的に魔力を流す。
途端、乙女ノ炎舞が熱となった真っ赤な魔力を溢れさせる。
牙もろとも合成魔獣の口内を焼き、ジュウゥと鈍い音を立てて白い煙が上がる。
呻き声をあげた合成魔獣は乙女ノ炎舞を離し、素早く後ろへ飛び退いた。
その隙を逃さず、イコルネは再び岩場を目指して駆け出した。
背後からの絶え間ない攻撃をしのぎ、岩場へ辿り着くと、イコルネは合成魔獣の鼻面目掛けて混魔屑を投げる。
近すぎて速度が乗らず目眩しにしかならないが、合成魔獣は先程の爆発を警戒しているのか、咄嗟に大きく飛び退いた。
イコルネは爆発と同時に素早く距離を取り、死角となる岩の裏へ身を隠す。
煙の匂いと音で完全に獲物を見失った合成魔獣は、薄れていく砂煙の中、キョロキョロと辺りを見回していた。
その様子をうかがいながら、イコルネは気配を消して息を整える。
依頼書には生まれて数週間の幼体と記されていたはずだが、どこをどう見れば幼体なのか。
仔馬ほどもある体躯に、二メートルを超える黒い羽。
目紛しく色の変わる魔力は膨大で、走るのも攻撃も異様なほど速い。
魔眼でなんとか動きは追えるが、どう考えても初級ランクの冒険者がソロで敵う相手ではなかった。




