11話 兄の部屋とドライフルーツ
「兄さん、いるー?」
マリアテールはノックもせずに玄関の扉を開ける。
部屋の中には、湯気の立つティーポットを持った兄のトーカが、笑顔でこちらを見ていた。
「いらっしゃいマリちゃん」
昨日の夕方、ギルド長のランティスから兄妹揃っての指名依頼を受け取ったマリアテールは、朝一番で兄の泊まっている宿へ来た。
連絡も入れずに訪ねたのに、リビングの中央に置かれた丸テーブルにはティーセットが二組用意されている。
部屋へ入り椅子に座ると、兄が慣れた手つきで紅茶を注いでくれた。
ふわりと広がるのはマリアテールが好きなアールグレイの爽やかな香りだ。
赤橙色の紅茶に角砂糖をひとつ落とし「どうぞ」と微笑む姿は、自分の兄ながらかなり格好良い。
「ありがとう。兄さんは、私が来るのをいつも分かってるみたいよね」
カップを口につけながら、ずっと思っていたことを何気なく口にしてみる。
兄は向かいに座ると、砂糖の入っていない紅茶を一口飲んでからゆっくりと足を組んだ。
「可愛い妹の足音ならすぐに分かるよ。マリちゃんは軽くて跳ねるみたいに歩くから、可愛くてわかりやすいんだ」
自信満々に可愛いと連呼しているが、自他ともに認めるシスコンの兄といえど、流石にそれはないだろうと呆れる。
兄が暮らすここは、王都の北東に位置するそこそこ高級な宿の四階だ。
今いるダイニングとは別に、寝室、シャワー室、簡易キッチンが備え付けてあり、厚い壁に仕切られた部屋は防音性も高い。
その上、廊下や階段には音消しの絨毯が敷かれているので、足音など聞こえるはずがない。
そもそも、自分が建物へ入ってから部屋へ到着するまでは、ほんの数分だ。
その間にティーセットを並べ、湯を沸かし、紅茶を入れて待っているなんて、いくら手際が良くても無理だろう。
極めつけは、いつも扉に鍵がかかっていないこと。
ずぼらなイコルネならまだしも、そういう部分に関してはきっちりしている兄が、四六時中鍵をしていないなんてことあるはずがない。なんなら部屋に防犯用の魔法までかけているくらいだ。
それなのに、マリアテールが来る時だけは、いつでも入ってと言わんばかりに開いている。
それに甘え、毎度ノックもせずに入っていく自分も自分だが、どうやって来訪を察知しているのか聞いても、はぐらかされてばかりで、いつも答えてくれないのだった。
「……まぁいいわ。ランティスさんから指名の依頼を貰ってきたの」
「ギルド長経由ってことは、いつものマダムかな?」
「多分ね。はい、これ手紙」
ポーチから手紙を取り出し兄に渡す。
ランティスが雑に扱っていたせいで幾重にもシワがついてしまっているが、上質な紙の封筒と赤く細やかな封蝋は、それなりに高い階級の者から送られたものであることがわかる。
兄は慣れた手つきで封を開けて便箋に目を通すと、まだ湯気の立つ紅茶を冷ますことなく飲み干して、立ち上がった。
「準備してくるから、マリちゃんはゆっくりしてて」
にっこりと笑い、部屋の隅の棚から手のひらほどの小瓶を取ると、蓋を開けてテーブルに置く。
そっと覗けば、瓶の中には葡萄や杏、苺など様々なドライフルーツがぎっしりと入っていた。
マリアテールの好きな無花果は、少し多めのようだ。
どこまでも妹贔屓な兄に呆れつつ、小瓶から干し無花果を摘んで、口に放り込む。
素朴だが濃厚な甘さが口の中に広がっていき、噛む度にプチプチと音を立てるのも楽しい。
一般的なものより少し瑞々しさが残っているこれは、マリアテールお気に入りの土産店のものだった。
しばらく紅茶とドライフルーツを楽しんでいたが、ふと昨日のことを思い出し、寝室にいる兄へ声をかける。
「そういえば昨日、イコと一緒に討伐依頼に行ってきたのよね」
「へぇ、早速だね。マリちゃんが引っ張っていったの?」
「うん。早くイコを昇級させて、みんなで魔窟潰しとか行きたいんだもの」
「ふふっ、そうだね。で、彼どうだった?」
「どうって?」
「久々のイコ君。この前会った時は、本人が言うほどブランクがあるようには見えなかったけど」
「ブランクなんて全然なかったわよ。相変わらず綺麗に戦ってたわ」
「彼の戦い方は無駄がないもんねぇ」
「そうなのよ。……あ、でも」
言い淀んだマリアテールを気にしてか、寝室から聞こえていた物音が止む。
昨日イコルネから感じた違和感。
些細ではあったが、昔の彼とは決定的に何かが違う――心がざわつくような気味の悪い感覚だった。
しかし感覚的すぎて、上手く説明もできなければ、確かめる方法も分からない。
「……なんでもない。新しい刀でちょっと苦戦してるみたいだったけど、おもちゃを貰った子供みたいな顔してたわ」
「ほんとに相変わらずだね。本人に言うと否定するんだろうけど」
「そうなの? イコが本気で笑うのなんか、刀を握ってる時だけじゃない」
「普段は愛想笑いくらいしかしないもんね、彼」
「そうそう、絶対人の話聞いてないでしょって顔してる」
くすくすと笑いながらイコルネの顔を思い出す。
双刀を両手に口角が上がっていたあの表情は、初めて決闘をした学生の頃から全然変わっていなかった。
だからこそ、戦うイコルネから感じたあの違和感が、気にかかって仕方がない――。
マリアテールは既にぬるくなり始めた紅茶で唇を濡らす。
いつの間にか荷造りを終えていた兄がリビングへ戻ってくると、向かいの椅子へ静かに腰を下ろした。
自分より赤みの強い紅茶色の瞳が、心の中を覗き込むように、真っ直ぐこちらを見つめる。
「……気になる?」
「え?」
「イコ君のこと、なにか引っかかってるんでしょ」
突然の問いかけに目が泳ぐ。
こういうことに関して、兄は恐ろしく鋭い。
ほとんど確信を持っているようなその口調は、下手に誤魔化しても見逃してくれそうになかった。
「……なんか、違うなって思ったの」
「違う……?」
「上手く、説明できないけど……イコじゃないみたいっていうか……なんか、昔と違うなって……」
「そっか。マリちゃんがそう感じたなら、きっとイコ君には、なにかしらの変化があったんだろうね」
「変化って……?」
「そうだな。……この四年、彼の周りでは色んなことが起こってるでしょ。故郷のこともそうだし、母親のこともそう。そういう大きな経験をするとさ、人は多少なりとも、考え方が変わるものだと思うんだ」
「そう、ね……」
マリアテールは黙り込む。
兄が言うように、自分の知らない四年間で、イコルネに心境の変化があっただけなのかもしれない。
実際に違和感を感じたのも、彼が刀を振るっていたあの時だけだ。
けれど、胸の引っかかりがどうしても拭えない。
ただの思い過ごしかもしれないが、自分のこういう勘は、今まであまり外れたことがなかった。
「僕が、調べてあげようか」
静まり返った部屋に兄の声が響く。
こちらを覗き込んだままゆっくりと目を細め、兄は優しい笑みを浮かべた。
「マリちゃんの気持ちが落ち着くなら、全部調べてきてあげる。イコ君の血縁者から友人関係、故郷での暮らしに、母親の病気のこと。二年前の事件の詳細も。この四年だけじゃない、彼がどこでどう生きてきて、彼という人間を形作ってる経験のすべてを、揃えてあげられるよ」
いつもと変わらない笑顔で、妹への慈しみに満ちた瞳で、兄は優しく言い放つ。
――マリアテールが望めば、すべて手に入れてくると。
顔が広く、様々な繋がりを持つ兄は、戦闘もさることながら、情報戦で負けたところを見たことがない。
人心掌握に長け、相手の懐に入る手腕。
それを惜しげもなく使う情報収集力は、冒険者ギルドの諜報員より数段優れているとランティスから評されるほどだ。
そんな兄が調べるというのなら、本当になにもかも分かってしまうのだろう。
たまに国家機密のようなことすら把握していたりするのだ、人ひとりの人生を調べあげるくらい容易いに違いない。
だが、自分が望んでいるのはそういうことではない。
兄の瞳を真っ直ぐ見つめたまま、マリアテールは首を振った。
「イコが言わないことを、勝手に暴くのはダメ」
「そっか。じゃあ、本人に直接聞いてみる?」
「それもなし。向こうから話してくれないなら、私は聞かない」
「でもマリちゃんは気になるんでしょ? 踏み込んで関係が崩れるのが嫌なら、僕が聞こうか?」
「大丈夫よ兄さん。気になってはいるけど、無理やりどうこうしようとは思ってないの。四年も経ったんだもの、少しくらい変わっているのは当たり前よ。……これから少しずつ知れれば、私はそれでいいわ」
静かに、諭すように、わざとゆっくりとした口調で話す。
マリアテールを溺愛し、持てるすべてを妹のために使おうとする兄。
自分が不用意に望みを語れば、どんな無理難題だろうと兄は叶えてくれるだろう。
たとえそれが、兄自身や周りを犠牲にするようなことでも。
マリアテールは、そんな甘く優しい兄が――時々とても怖かった。
けれど、絶対に口には出さない。
唯一の肉親であり、ずっと一緒に生きてきた兄のことを、恐ろしさの何倍も大好きだから。
「……そっか。それなら、今回は大人しく見守るよ。なにかあったらいつでも言ってね」
「ありがとう兄さん」
微笑んだマリアテールの頭をぽんぽんと撫でると、兄はドライフルーツの小瓶を棚へ片付けた。
「準備もできたし、そろそろ行こうか」
「そうね」
「マダムのお誘いは午後のお茶の時間だから、まだ少し時間があるね。……マリちゃん、デートしようか」
「やめてよ、恥ずかしい」
「いつもの土産屋がそろそろ開く時間なんだ。マダムへの手土産と追加のドライフルーツを買いに行こう」
手際よくティーセットを片付けた兄は、急かすように部屋のドアへ向かう。
マリアテールとの外出だと心底嬉しそうにする兄の姿は、誰がどう見てもただのシスコンだった。
「マリちゃんの好きな物は、全部買ってあげるね」




