9話 煙草と鶏肉
「ねぇ小腹空かない?」
隣に座るマリアテールが唐突に言う。
煙草の煙をくゆらせていたイコルネは、疑問の表情で彼女を見つめた。
木陰に腰かけ石化鳥の頭の血抜きを待っているイコルネたちは、特に会話することもなく、目の前に広がる雄大な木々を眺めていた。
しかし少し前から、そわそわとマリアテールに落ち着きがない。
視線は血の海を作って横たわる石化鳥の胴体に釘付けで、手ではしきりにナイフをいじっている。
「新鮮な鶏肉もあるし、焚き火しようよ」
「鶏肉? ……って、もしかしてあれのこと言ってる?」
イコルネは怪訝な表情で目の前の白い巨体を指さす。
「だって見た目は鶏よ? 絶対に鶏肉の味がすると思うの」
マリアテールは当たり前だとでも言いたげに頷いた。
彼女は華奢な体格に似合わず、昔からよく食べる。
量もそうだが、流行りのものからゲテモノまで、気になった物にはなんでも手を出し、実際に食べてみないと気が済まないのだ。
冒険者となってからは『魔物食』なんて一般的には忌避されるようなものにまで興味を持ち、討伐のたびにつまみ食いする癖があったことを今さら思い出した。
意気揚々と立ち上がったマリアテールは、こちらの返事も聞かず、ナイフ片手に胴体の元へと歩いていった。
イコルネは諦めたように立ち上がり、落ちている枝で簡易的な焚き火を作る。
煙草用のマッチで手早く火をつけ、串にするために比較的綺麗な枝を削っていると、マリアテールが数切れの肉を持って戻ってきた。
首の肉だというそれは、鶏というより赤身に近い肉感だ。
匂いや色は完全に普通の生肉。
これだけで出されたら、誰も魔物の肉だなどとは思わないだろう。
イコルネは受け取った肉を串に刺し、焚き火の傍に立てて焼き始めた。
* * *
柔和な音を立てて焚き火が揺れる。
赤や橙に移ろう炎へ何気なく視線を向けると、焚き火越しにマリアテールがこちらを見ているのに気がついた。
「……なに?」
「イコも、煙草吸うんだなぁって」
「うん……?」
「タイラーも吸ってるから……」
「あぁ、そうなんだ。俺のは、まぁ吸い始めたら辞められなくなっただけだけど」
「ふふ、なんかイコらしいね」
そう言って笑ったマリアテールは、四年前の記憶より少し大人びて見えた。
ともにいる時間が長いせいで、今までそれほど意識することもなかったが、改めて見ると彼女は美人の部類だろう。
肩から流れる絹糸のような白金色の髪。色素の薄い透き通った肌。苛烈な色を溶かした紅茶色の瞳は、くっきりとした彼女の顔をさらに際立たせている。
あの瞳から真っ直ぐに見つめられれば、そこら辺の男はころっと落ちてしまうに違いない。
実際、学生時代の彼女は、男子生徒たちのマドンナ的存在だった――らしい。
というのも、初対面で決闘という特殊な出会い方をしたイコルネは、容姿がどうとか以前に、彼女の破天荒さに圧倒され、恋愛感情なんてものが生まれる瞬間はこれっぽっちもなかった。
むしろ、常に騒動の渦中にいる彼女の尻拭いを幾度とさせられたせいで、同い年だというのに子供を相手にしているのではと思う瞬間まであったほどだ。
極めつけは、極度のシスコンである兄とまで知り合ってしまったこと。
もし自分が、マリアテールのことを恋愛対象だなどと口にしようものなら、まず間違いなくトーカとやり合うことになるだろう。
トーカと手合わせするのはやぶさかではないが、そういった面倒ごとに巻き込まれるのは御免だ。
そんなこんなで、今となってはマリアテールに友人以上の感情は湧かない。
仲間としても友としても、彼女との距離は今くらいが一番丁度いいのだった。
香ばしい匂いが漂い、片面にいい焼き色がついた肉をひっくり返す。
イコルネが腰鞄から砕いた岩塩をひとつまみして振り掛けると、こちらを見ていたマリアテールが「えっ……」と小さく声をあげた。
「なんで、塩は持ってるのよ……」
「ん?」
「ナイフも水も持ってきてなかったのに、塩だけ持ってるって、どんな荷造りしたらそうなるの……?」
「えっと……金欠だから……」
「お金がどうとかって問題じゃないでしょ! ちょっと鞄の中見せて」
「いやぁ……」
「いいから!」
圧に負けて、ベルトに固定していた腰鞄を開ける。
小ぶりなそこに入っているのは、混魔屑の入った小袋と煙草、マッチ、依頼書三枚、そして砕いた岩塩。それだけだ。
「これでいい……?」と面倒くさそうに顔を上げると、マリアテールはこれでもかと眉を寄せ、じっとりとした視線を向けてくる。
「いくらなんでも少なすぎよ! 荷物嫌いなのは知ってるけど、流石に限度ってものがあるわ。せめて水と携帯食くらいは持ってこないと……!」
「だから金欠なんだって……水は川とかで汲めるし、塩さえあれば大抵のものは食えるし、案外何とかなるもんだよ」
「あのねぇ……パーティならまだしも、ソロの時にそんなんじゃ、じきに飢え死にするわよ? ……まったく、煙草買うお金があるなら別のことに使いなさいよ」
呆れ果てるマリアテールは、これ見よがしに大きなため息をついた。
同年代の中でも比較的子供っぽい印象の彼女だが、こういう顔を見ていると、不思議と小言を言う時の母親と被って見える。
説教をする女性はみんなこんな顔になるのか――なんて、イコルネの思考が明後日の方向に飛んでいると、それを見抜いてか「聞いてる?」とマリアテールは語気を強くする。
「聞いてる聞いてる。でもこの煙草、手巻きだからそんなに高くないんだよ」
イコルネは腰鞄から出した煙草の缶ケースを開け、マリアテールに見せる。
銀の四角いケースの中には、細長くきっちり巻かれた手巻き煙草が三本。
十数本は入るであろうケースが既になくなりかけているのは、寝る前に日課として巻いていたそれを、昨夜は酔いつぶれてしまったせいで補充できなかったからだ。
彼女は不満気な表情が一転、興味深そうに覗き込んでくる。
「へぇ、上手なものね。なんだか珍しい匂い……」
「街で売ってる紙煙草とはちょっと違う葉だから。まぁ、割とどこにでもあるお手頃なやつだけど」
「そうなんだ。煙草っていうより、花みたいな甘い香りね」
「……言われてみれば、そうかもな」
「煙草の匂いってそんなに得意じゃないんだけど……これはなんか、ちょっと落ち着くから嫌じゃないかも」
「嫌われなくてよかったよ。今から禁煙するのはキツそうだし」
イコルネはそう言って苦笑する。
しかし、そもそも禁煙するつもりが微塵もないことをマリアテールに見透かされ、可笑しそうにくすくすと笑われた。
「イコってほんとに器用よね。道具の手入れとか、軽い修理くらいなら自分でしちゃうでしょ? 昔、夜の校舎に忍び込んだ時なんか、私の髪留めで錠前を外してたし」
「そんなことあったっけ? ……まぁ、細かい作業は嫌いじゃないし。それに、修理なんかは自分でやれば金がかからないからさ」
「はぁ……その精神、兄さんにも見習って欲しいわ。武器も服もすぐ使い捨てるんだもの」
「トーカはそのあたり、こだわりも執着もないもんな。むしろ、武器ならなんでも一通り扱えるのは、すごい才能だと思うよ」
「それはそうなんだけど……。でも、この前なんかね、一緒に買いに行った剣を、次の日の依頼でへし折った挙句、そのまま捨てて帰ってきたのよ? あんな使い方してたら、武器もお金もいくらあっても足りないわ!」
兄への不満を口にしたマリアテールは、堰を切ったように話しはじめる。
しかし、言葉の端々から滲むトーカを心配する響きから、なんだかんだ言っても兄のことを大切に思っている彼女の優しさが感じられた。
マリアテールの愚痴を聞きつつ、イコルネは残り少ない煙草に火をつける。
口の端に咥えて肉の串を裏返していると、聞き流しているのがバレたのか、いつの間にか彼女は口を噤んでいた。
しばらくの沈黙の後、マリアテールにしては珍しく、言葉を選ぶように声をかけてくる。
「ねぇイコ……あのね、答えたくなかったらいいんだけど。その…………お母さんは?」
遠慮がちな声は、彼女自身がその問いをするべきか迷っているからだろう。
昔、人づてにマリアテールとトーカは孤児だと聞いた。
あまり互いの身の上話などはしない仲だが、ある時、親とはどんなものなのかと彼女に尋ねられ――普段ならしないような母親の話を、彼女にだけ話したことがある。
小さい頃はよく遊んでくれたこと。
料理が下手で、失敗すると一緒になって笑ったこと。
酒に酔うと決まって『人を助けられる人間になりなさい』と強く抱きしめられたこと。
村を追い出されるように王都へ来て、学生の頃はほとんど思い出すこともなかった、母の思い出。
それを話した日から、マリアテールはまるで自分の家族のように、イコルネの母を気にかけてくれるようになった。
自分が突然冒険者を辞めると言い出した時、病に伏せた母のためだと話せば、反対するタイラーを説得する側に回ってくれた。
イコルネが故郷へ帰ってからも、何度か手紙を寄越し、母の心配をしてくれていた。
そんな彼女だからこそ、王都へ一人で戻ってきたイコルネに、母親はどうしたのかと尋ねずにはいられなかったのだろう。
イコルネはいつも通りの声音で答える。
「死んだよ。俺の村がなくなったのは知ってるだろ」
「……そっか…………ごめん」
「別にマリーが気にすることじゃない。もう二年も前の話だし、とっくに吹っ切れてる」
「うん……でも、あのね……いつか、イコの故郷に花を手向けに行ってもいい?」
「はは、マリーは律儀だなぁ。多分、母さんも喜ぶよ」
そう言って笑った自分の声は、驚くほど感情が籠っていなかった。
* * *
ぱちりと爆ぜた焚き火に視線を戻せば、肉串からは油が滴っていた。
「そろそろ焼けたな」
程よく焼き色のついた肉をマリアテールに手渡す。
顔を上げた彼女は先程までとは打って変わり、両手で大事に持つ肉串を嬉しそうに見つめていた。
肉汁を滴らせ、カリッと焼けた表面から立つ香ばしい匂いが、疲れた体と空腹を刺激する。
待ちきれないというようにこちらに視線を向けた彼女へ、イコルネは「どうぞ」と笑う。
「いただきまーす!」
元気のいいマリアテールと同時にかぶりつく。
口いっぱいに広がるのはしっかりした歯ごたえと――なんとも言えない生臭さ。
いくら噛んでもほぐれない繊維はボソボソで、滴っていた油は口の中にまとわりついて、かなりくどい。
しばらく無言で咀嚼するが、二人とも二口目には進まない。
石化鳥の肉――これは完全にハズレだった。




