7話 石化鳥
「マリー」
イコルネが声をかけた途端、後ろにいたはずのマリアテールの姿が消える。
遅れて頬に感じた風圧で、彼女が恐ろしい速さで駆けて行ったのだとようやく気付いた。
石化鳥を探して森を歩いていたイコルネが、その右目に銀白色の魔力を捉えたのは少し前のことだ。
森の表層に不釣り合いな濃い魔力は、自分たちから二百メートルほどの位置で鎮座したまま、静かに揺らめいていた。
魔力の正体に予想はついているものの、いくら魔眼でも木々が鬱蒼と立ち並ぶ森では、遮蔽物が多すぎて視えづらい。
とりあえず石化鳥であると確信が持てるまでは黙って観察していたのだが、マリアテールには早々にバレていたらしい。
イコルネは彼女の走り去った方向を見つめ、思わず苦笑する。
「まだなにも言ってないって……」
どこに何がいてどんな様子なのか。
教えようとした情報を何一つ聞かずに飛び出していった友人は、無鉄砲にもほどがある。
しかし彼女のことだから、きっとイコルネの視線や声色から十分な情報を得ていたのだろう。
目配せさえ必要としないこれが、四年前の自分たちには当たり前だったことを思い出し、つい懐かしさが込み上げてきた。
とはいえ、信頼されているというか、されすぎているというか――。
「間違ってたらどうすんだよ……」
苦笑混じりにぼそりと零したそんな自分の台詞も、四年前から全然変わっていなかった。
程なくして数十メートル先で轟音が響き始める。
木々に囲まれて穏やかだった魔力は、突然の敵襲に強い警戒を示し、吹き荒れるように激しく揺らいでいた。
石化鳥は討伐の難易度でいえばCランク相当の魔物だ。
尾の攻撃に《石化》の魔法効果があり、同ランク以上の冒険者でも複数人での討伐が推奨されている。
イコルネたちがCランクだった頃にも一度討伐したことがあるが、その時はマリアテール、タイラー、イコルネの三人が、斬撃をことごとく防ぐ分厚い羽毛に苦戦している隙に、トーカが魔法で首を跳ね飛ばした。
良いところを持っていかれて拗ねたマリアテールが、回収した素材をトーカ一人にすべて持たせていたのを今でも覚えている。
当時の彼女には、ソロでの討伐は難しい相手だった。
しかし、ギルドの受付で止められることもなく、本人も意気揚々と倒しに行くからには、相当腕が上がっているのだろう。
自分の加勢など必要ないことは分かっているが、このままでは折角の友人の戦闘を見逃してしまう。
イコルネは小さく息をつき、足早にマリアテールの後を追った。
* * *
轟音を立てて土煙が舞う。
イコルネの目の前で暴れ狂っているのは、白い巨躯に深紅の鶏冠をもつ鶏――紛れもない石化鳥だった。
頭の高さは四メートルを優に超え、かつて倒した個体より一回り以上大きい。
物置小屋くらいなら簡単に覆い隠せてしまうほど大きな翼を羽ばたかせ、巻き上がった土煙の中ドーンッドーンッと地面が打ち鳴らされる。
響く轟音の正体は鈍色の尾。
尾羽の位置から不自然に生える太く長い尾は、爬虫類のような鱗がびっしりと並び、打ち付けた幹や地面を次々に石へと変えていく。
イコルネの魔眼に一層強い光として映るこの尾こそ、目の前の巨大な鶏を魔物たらしめ、『石化鳥』などという大層な名前を与えられた所以なのだ。
石化鳥の周りをマリアテールが執拗に跳ね回っている。
魔眼でなくても容易に目で追えるあたり、わざとゆっくり動いているのだろう。
そうでなければ、そこにいることすら気づかせない動きを、今の彼女はおそらくできる。
縦横無尽な動きに翻弄されている石化鳥は、キョロキョロと忙しなく首を動かし、必死に尾を振るっていた。
しかしそんな大振りな攻撃では、マリアテールを捉えることなどできない。
空振りに終わる尾が地面を打ち鳴らすたび、ピシピシッと音を立てて荒れた土の地面が石畳のように変化していった。
辺り一帯が石床と化す頃、そこはまるで深緑に囲まれた舞台のようになっていた。
魔物自らによって整えられた舞台は、枝木が落とされ、森の中とは思えないほど陽の光が差し込んでいる。
その中心で舞うのは白金の乙女と白き巨鳥。
舞い上がる純白の羽毛が光り輝く光景は、まるで演劇でも観ているようだった。
しかし、見惚れるほどの演目は突如として終わりを告げた。
尾を避けながら飛び跳ねていたマリアテールの姿が、唐突に消える。
そして次の瞬間、耳に届くかすかな金属音とともに、石化鳥の身体が大きく横に傾いた。
まるでなにかに押し倒されているかのような石化鳥は、自らが石に変えた硬い地面へ頭から落ちていく。
ゴキッ――
鈍い音が響く。
尾が大きく跳ねてのたうち回り、やがて動きを止めると力なく崩れ落ちた。
終演の静寂を突き破ったのは、マリアテールの上機嫌な声。
「イコ! 見てた!?」
満面の笑みでこちらに手を振る彼女の隣には、目を見開き、首があらぬ方向に折れ曲がった石化鳥が横たわる。
見物場所にしていた木陰から出たイコルネは、石床へ上がるとヒラヒラと手を振り返した。
「見てたよ、凄かった。最後、あいつの首にかけてたのは……鎖?」
「そうよっ」と返事をした彼女は、腕から細い銀鎖をシャラリと垂らして見せる。
一見宝飾品のようだが、手のひらから肘にかけて巻き付けられた鎖からは、じわりと魔力が滲み出ていた。
先程までもっと長かったはずのそれは、おそらく長さを変化させられる魔道具なのだろう。
あれだけの戦闘でも傷一つ付いていないあたり、耐久性もなかなかのものだ。
「転ばせるのに力が足りなくて、勢いをつけてみたんだけど……あれくらいの速さじゃ、まだイコの目で追えちゃうのね」
少し残念そうな彼女に、イコルネは「いやいや」と首を振る。
「見えてたわけじゃないよ。実際、マリーの姿は完全に見失ってたし。石化鳥が倒れる時、かすかに金属音がしたからそうかなと思っただけ」
「そうなの? じゃあ、とりあえず目標は達成!」
「目標?」
「次会うまでに、魔眼で追えない速さを身に付けるって決めてたの。イコが私を見失ったんなら、達成!」
喜びを全身で表現するマリアテールとは対照的に、イコルネはバツが悪そうに視線を逸らした。
理由はとても単純で、魔眼というのはあくまで魔力が視えるというものであって、高速で動く物体を追えるような便利な機能は備わっていない。
そもそも四年前の時点で、既に彼女の動きは目で追えるレベルを超えていた。
仲間内でやっていた手合わせや模擬戦では、見失った彼女の魔力をいち早く発見することで、その速度に対抗していただけだ。
しかし、達成感に満ち溢れている目の前のマリアテールに今更言うのも気が引ける。
しばらく悩んだ末、『彼女の努力を尊重する』という大義名分のもと、イコルネは「よかったな」と適当に相づちを返した。




