2話 草原の魔物
「風が気持ちいいー!」
白金色の髪が風にはためき、キラキラと陽の光を映す。
森へと続くのどかな草原を、上機嫌のマリアテールはイコルネとともに歩いていた。
王都から徒歩一時間のこの場所は、森を回り込むように伸びている西の街道を少し外れた場所だ。
主要な交通路とされている東側ほどではないものの、石畳の敷き詰められた街道は綺麗に整備され、普段は荷車や馬車が多く行き交っている。
しかしここ数日、相次いで目撃されている魔物の影響で、西側を通る辻馬車や乗合馬車は、全面的に運行中止となってしまっていた。
今回の目的地は、馬車なら王都から三十分もかからずに辿り着ける森の縁だ。
だが、馬車が一台も走っていない今、森へ向かう手段は、歩くか値の張る貸馬車を使うかしかない。
近くに集落などもなく、魔物が蔓延る森に安全に馬車を止めておける場所があるわけもないので、結果的に徒歩一択なのであった。
マリアテールは風に乱れた髪を直しながら振り返る。
ギルドで半ば押し付けるような形で依頼を受けさせ、無理やり引っ張ってきたイコルネは、咥え煙草のまま後ろを着いてきていた。
初めこそ徒歩で向かうことに渋い顔をしていたが、のどかで気持ちのいい草原に気分が変わったのか、欠伸をしつつ、それほど不機嫌ではなくなっている様子だ。
爽やかに吹く風にマリアテールは大きく伸びをする。
遠目には既に目的地の森が見え始め、そろそろ魔物の目撃情報が多い辺りに入っているはずなのだが――あまりにも穏やかな陽気に、二人の間には緊張感のないのんびりとした空気が流れていた。
「ねーねー、今度みんなでピクニック行こうよー」
「いいな……それ」
「一人ずつ食べもの持ち寄ってさ、お弁当にしよ」
「あー……俺、今ほとんど文無しなんだよなぁ。おやっさんにもツケがあるし」
「あ、ソーンさんの店にはもう行ったんだ」
「散々世話になった人だし、一応な。それに、新しい相棒も見立ててもらった」
腰に下がる黒鞘の双刀をぽんぽんと叩いたイコルネに、マリアテールは納得の声を上げる。
ソーンは、イコルネがよく通っていた道具屋の店主だ。
気難しいが気に入った客には目をかけてくれる人で、武具や魔道具に関しての知識が深く、それなりの目利きでもある。
「あの人が選んだなら、間違いなさそうね。……あ、そうだ! お弁当は兄さんに用意してもらいましょ。モグラの横穴亭で持ち出しメニューを頼んでもらうの! 最近また、客寄せを手伝ってタダ酒飲んできたみたいだし、こっそり抜け駆けしてるんだから、それくらいしてもらわなきゃ」
いい案が思いついたと一人でうんうん頷けば、イコルネが「あいつ、またやってんのか」と苦笑する。
呆れ顔だが、彼も兄の奢りになるのは賛成のようで、食べたいメニューを聞くと、調子良く話に乗ってきた。
しばらく他愛もない会話を続けていると、不意にぴりりと肌がチリつく。
「イコ」
足を止めて静かに名を呼ぶ。
彼も何かを感じとっているのか、じっと前方を見つめていた。
軽く細められた濃い赤土色の目は、右の瞳だけがじわりと赤紫に染まってる。
「……角兎が十二、三ってとこか」
呟くように言う彼の視線を追い、マリアテールも遠くを見渡す。
自分たちと森のちょうど中間、百メートルほど先の草原には、かすかに黒い斑点が見えた。
しかし、いくら目を凝らしてみても、それが何かまではわからなかった。
マリアテールは視線を戻し、イコルネへ感心したように微笑む。
「相変わらず、イコの魔眼はすごいわね」
「いや、この距離で気配に気づくマリーのが凄いでしょ」
謙遜するイコルネだが、マリアテールは彼のことを忖度なしにすごいと思う。
王立学院を卒業する前まで、いたって普通の目だった彼は、おそらく後天性の魔眼持ちだ。
魔眼には、生まれつきの先天性と、魔法で目に宿す後天性があり、生まれつきの方が遥かに能力が高いと言われている。
兄いわく『自分の魔力で、瞳の奥に魔法陣を刻む必要がある』らしい後天性の魔眼は、ただでさえ描くのが難しい複雑な陣を、目に入るほど小さくし、しかもそれを反転させた状態で自身に刻み込まなくてはいけない。
卓越した魔法操作ができる兄でさえ、きっとできない芸当だ。
その上、魔法で作られた魔眼は目にかなり負担がかかるので失明のリスクまである。
王都の冒険者には魔眼持ちが何人かいるが、マリアテールの知っている限り、生まれつきではないのはイコルネただ一人だった。
魔眼から与えられる恩恵はとても大きく、魔物の察知から魔力痕の追跡、魔法の解析など、様々な場面で役に立つ。
その索敵能力の高さから、低ランクの頃のイコルネには、パーティへの勧誘が後を絶たなかった。
――そこまで魔法を得意としていなかったイコルネが、どうやって魔眼を手に入れたのか?
――索敵や戦闘で魔眼を多用するイコルネに、微塵も視力が落ちた様子がないのは何故なのか?
昔からいくら聞いても答えてくれず、この話題を出すと、いつものらりくらりとかわされてしまう。
今更聞いたところで返ってくる反応が同じなのは分かりきっているので、マリアテールはもう魔眼についての疑問を口に出すことはなかった。
そんなことを知らなくても、イコルネへの信頼も尊敬も、揺らぐことはない。
「さてと……他にも色々いそうだけど、とりあえず手前からやっていくか」
緊張感のない口調でそう言ったイコルネは、行儀悪く吐き捨てた煙草を、靴で踏みつけて消す。
大きく伸びをしてから、ゆっくりとした動作で腰の双刀を抜けば、姿を現した美しい黒の刀身は光の加減で朱を映していた。
「綺麗ね……」
見惚れるマリアテールの前で柄を握り込むと、熱となった強い魔力が、刃を包み込むようにゆらりと立ち上る。
魔眼がなくても分かるほど魔力を宿した刀など、そうそうない代物だ。
ソーンの目利きは、やはり間違いないらしい。
軽く屈伸をしたイコルネに、マリアテールは「いってらっしゃい」と声をかける。
短く返事をした彼は深く息を吐くと、地面を踏み締め、一気に駆け出した。
おそらく《加速》の魔法を使っているのだろう。あっという間に小さくなった後ろ姿は、常人より遥かに速い。
だが、速度を武器として戦う自分が追いつけないほどではなく、昔から走る速さだけは、唯一イコルネに負けたことがないのを思い出してクスリと笑った。
イコルネを視界に捉えつつ、間合いに入らぬよう距離を取りながら後を追う。
遠くに見えていた黒い斑点はみるみる形を表し、ひと抱えほどの角兎へと姿を変えた。
抱き心地が良さそうなふわふわの黒い毛皮と、額から十五センチほど突き出す捻れ模様の真っ直ぐ伸びた角。
低ランク冒険者でも比較的簡単に倒せるが、群れになっていると少し厄介な魔物だ。
体の一際大きな一匹が、迫る脅威に気づき仲間へと警戒の声を上げる。
金属を擦り合わせたような警戒声が響き、草を食んでいた群れが一斉に顔を上げた。
しかし角兎たちの目がイコルネを捉えるより早く、速度を上げた彼は刀を滑らせその頭を刈り取っていく。
決して目で負えない速度ではないのに、その刀捌きは見逃したと錯覚させるほどに自然で美しい。
あまりの切れ味に頭を乗せたまま硬直している角兎は、イコルネが駆け抜ける風に煽られ、音を立てて崩れていった。




