EP 7
「坑道の底へ」
坑道の入り口は、人だかりになっていた。
「離して! 離してください! パパが、パパが中にいるんです!」
「だーかーら! ダメだっつってんだろ、嬢ちゃん!」
リーフは衛兵の太い腕に抱き止められ、足をばたつかせていた。周りには、同じように中へ入りたくても入れない人々——取り残された鉱夫の家族たちが、すがるような目で坑道の闇を見つめている。
入り口は丸太と土嚢で半ば塞がれ、槍を持った衛兵が二人、固い顔で立っていた。坑道の奥からは、時折、地鳴りのような低い音が響いてくる。
「リーフ!」
追いついたダダが声をかけると、リーフは涙でぐしゃぐしゃの顔を向けた。
「ダダさん……っ、入れてくれないんです、誰も……誰も助けに行ってないのに……!」
「おい、坊主、この嬢ちゃんの連れか」衛兵が苦い顔で言った。「悪く思うな。入れたくても入れられねえんだ。三日前に救助隊を組んで入った。十人入って——帰ったのは四人だ。それも全員、腰を抜かしてな」
人だかりの中から、ギルドの腕章を着けた中年の男が進み出た。デュフラン支部の職員らしい。その顔には、寝ていない人間特有の濃い隈が刻まれている。
「冒険者ギルドからは、アルトゥン本部と近隣都市に緊急の討伐依頼を飛ばしてある。Bランク以上のパーティー指定だ。だが……早くても、到着は四日後になる」
「四日……」家族の誰かが、呻いた。「水もない坑道で、四日も……」
重い沈黙が、人だかりに落ちた。
その沈黙の中で、小さな手が、すっと挙がった。
「あの。僕が行きます」
全員の視線が、寝癖の少年に集まった。
「……は? 坊主、何言って」
「僕、冒険者です」
ダダは懐から、真新しいギルドカードを取り出して掲げた。職員が覗き込み——書かれた等級を見て、こめかみを押さえた。
「Eランク……訓練生じゃないか……。坊主、気持ちはわかるがな、ここは遊び場じゃ——」
「四日後だと、間に合わないかもしれないんですよね」
ダダの声は、静かだった。怒鳴りもせず、気負いもせず、ただ事実だけを並べる声だった。
「中の人たちは、今、待ってます。僕は今、ここにいます。僕は暗いところでも目が見えて、鼻も耳もすごく利きます。ワームなら、前に倒したことがあります。——行かない理由が、ひとつもないです」
「だ、ダメだダメだ! 子供を死なせたとあっちゃ、街の恥だ! おい、押さえ——」
衛兵が腕を伸ばした、その先に。
少年は、もういなかった。
「——え?」
全員が瞬きする間に、ダダは塞がれた入り口の丸太の隙間を、するりと猫のように抜けていた。闇の中から、ひょこりと寝癖頭だけが振り返る。
「ごめんなさい、勝手して! 必ずみんな連れて帰りますから!」
「あっ、こら、待——」
「ダダさん!!」
リーフの声に、寝癖頭が止まった。リーフは衛兵の腕の中から、必死に手を伸ばす。その手には、髪から解いたばかりの、すこし古びた赤いリボンが握られていた。
「これ……! パパに見せて! 私の宝物だって、パパは知ってるから……それを見たら、私が来たって、わかるから……!」
投げられたリボンを、ダダはぱしりと受け取った。手首に二重に巻いて、固く結ぶ。
「うん。——届けるね」
にこ、と笑って。
少年は、闇に消えた。
坑道の中は、墨を流したような暗黒だった。
壁の魔導灯はすべて砕かれている。常人なら、自分の手のひらすら見えない。
だがダダの瞳は、わずかに残る空気の揺らぎと熱を捉え、闇の中に通路の輪郭を浮かび上がらせていた。耳は岩の奥を流れる地下水の音を拾い、鼻は空気の通り道を読む。彼にとって坑道の闇は、月のない夜の森と、大して変わらなかった。
(足跡……鉱夫さんたちの靴。ここで走って……ここで、転んでる。引きずった跡——これは、ワームの這った痕だ)
指先で地面に触れる。粘液の乾き具合。半日は経っていない。
奥へ進むほど、空気は重く、匂いは濃くなった。鉱石と土の匂いに、魔物の体液の生臭さが混ざる。そして時折、思い出したように——あの甘い、焦げた匂いが、ふっと鼻先をかすめた。
(匂いの流れは、下からだ。ずっと、下……)
その時。
ダダの耳が、ぴくりと動いた。
——カン。……カン、カン。……カン。
岩越しの、遠い、遠い音。金属で岩を叩く音だ。それも、でたらめじゃない。三回。間を置いて、二回。また三回。律動がある。
(……合図だ! 生きてる! 誰かが、岩を叩いて合図してる!)
ダダの顔が、ぱっと輝いた。方向は——下層。音を頼りに、彼は傾斜した坑道を駆け下り始めた。
——ズ、と。
足の裏に、嫌な振動が伝わったのは、その直後だった。
(来る——右の壁!)
跳んだ。一瞬前までダダがいた空間に、岩盤を突き破って、巨大な顎が飛び出した。
びっしりと牙の並んだ、円形の口。粘液に濡れた灰色の巨体が、坑道の闇でぬらりと光る。全長五メートルの大穴掘り——ワームだ。
「ジャアアアアアッッ!!」
威嚇音を上げ、巨体が鎌首をもたげる。ダダは逃げなかった。すうっと息を吸い込み、喉の奥を、ある一点の高さに絞り込む。
「キィイイイイイイイイッッ——!!」
人の耳には不快なだけの、突き抜ける高周波。だが、音と振動を頼りに地中を生きるワームにとって、それは脳を直接掻き回される悪夢だった。
「ジャ……ジャアッ……!?」
巨体が痙攣し、のたうつ。ダダは転がっていた頭ほどの岩を片手で掴むと、無防備に晒された頭部へ、全身のばねで叩き込んだ。
鈍い破砕音。一撃。
巨体が崩れ落ちるのを確かめて、ダダは息を整えた。倒し方は、体が覚えている。問題は——
(……このワーム、浅すぎる)
ワームは本来、もっと深い地脈に棲む魔物だ。鉱夫が掘り当てて事故になることはあっても、群れで浅い坑道まで上がってくることは、まず、ない。
まるで何かに、追い立てられたみたいに。あるいは——呼ばれたみたいに。
ダダは骸のそばに屈み、鼻を近づけた。粘液の生臭さの奥、頭部のあたりに、やっぱり、あった。甘い、焦げた匂い。
そして、立ち上がりかけた彼の目が、坑道の分岐の片隅で、止まった。
岩陰に、燃え尽きて間もない松明が一本、転がっていた。
鉱夫の使う獣脂の松明じゃない。もっと上等な、油の匂い。足跡——大人の、頑丈なブーツ。それが一組、鉱夫たちの合図が響く方向とは逆へ、より深い、闇の底へと続いている。
「……先客が、いるんだ」
赤いリボンを巻いた手首を、ダダはぎゅっと握りしめた。
カン、カン……と、岩の彼方で、命の合図がまだ鳴っている。
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