EP 2
お金ってなんですか?
「ぼうけんしゃ、ってなんですか?」
きょとんと首を傾げるダダに、ダイヤは待ってましたとばかりに指を立てた。九本の尾が、商談開始の合図のように優雅に揺れる。
「いいかい、よくお聞き。冒険者ってのはね、困ってる人の依頼を受けて、魔物を退治したり、護衛をしたり、薬草を採ったりして——そのお礼に報酬を貰う。そういう連中のことさ」
「へぇー」
「実力をつけてランクが上がれば、国から直々に依頼が来ることもある! 英雄って呼ばれて、歴史に名前が残ることだってあるんだよ! どうだい、ワクワクしないかい!?」
「へぇー」
二度目の「へぇー」は、一度目とまったく同じ温度だった。手応え、ゼロ。
(く……っ、名誉が響かないタイプか! なら……!)
ダイヤは作戦を切り替えた。懐から革袋を取り出し、じゃらりと中身を手のひらに広げてみせる。金色の円盤が、陽の光をきらりと弾いた。
「ならコレだよ、コレ! お金! お・か・ね! 冒険者はね、たーっぷり稼げるのさ! 金貨一枚あれば宿に泊まって美味い飯がたらふく食える! 百枚あれば家が建つ! 夢が広がるだろう!?」
ダダは金貨をじっと見つめた。それから、つまみ上げて、陽に透かして、軽く齧った。
「齧るんじゃないよ!?」
「……硬いですね。これ、食べられるんですか?」
「食えないよ!」
「じゃあ、なんで集めるんですか?」
「色んなものと交換できるからだよ! 飯とか、服とか、家とか!」
「へぇー。じゃあ、いらないです」
「なんでだい!?」
「だって僕、ごはんは草原で獲れますし、服はこれがありますし、おうちもあります」
少年は獣皮の服を、えっへんと叩いてみせた。完璧な論理だった。完璧すぎて、ダイヤは反論の言葉が出てこなかった。生まれてこのかた金勘定で負けたことのない九尾族が、十歳児に経済の根本を問われて沈黙している。
(だめだこの子、貨幣経済の外側に住んでる……!)
ダイヤは額を押さえ、深呼吸をひとつ。そして、最後の手札を切った。
「……わかった。じゃあこれだけ言うよ。冒険者になればね——人助けが、たくさんできる」
ぴくり、と寝癖が反応した。
「街にはね、困ってる人がうじゃうじゃいるんだ。魔物に怯えてる人、迷子の子供、病気の家族に薬を届けたい人。冒険者ってのは、その全部を助けられる仕事なのさ」
「! そうなんですか!?」
ダダの目が、ぱあっと輝いた。さっきまでの「へぇー」が嘘のように、少年は身を乗り出してくる。
「人助けが、たくさん……! 冒険者って、なんて素晴らしいものなんですね!」
その輝きは、直視できないほど眩しかった。ダイヤは思わず目を細め、胸の奥がまた、きゅうっと痛むのを感じた。
(ぐっ……眩しい……。アタシはこの純粋な子を、金儲けの看板に使おうとしてるんだよねぇ……心が……心が痛い……!)
「? ダイヤさん、また心が痛いんですか? 陽薬草、要りますか?」
「効かないんだよ、この痛みにはね……!」
ともあれ、交渉は成立した。ダダは荷物をまとめる必要すらなく——「今着ているもので全部です」——その場でくるりと空を振り仰ぐと、両手を口に当てて叫んだ。
「母上ーー!! ダダは今日から、ダイヤさんと一緒に『ぼうけんしゃ』になります!! これでもっと、たーくさん人助けができます!! 天から見ていてくださいねーー!!」
草原に、少年の声が響き渡る。
ダイヤは胸を押さえてしゃがみ込んだ。
「うぐっ……とんでもない原石を拾っちまった……。こうなったら腹を括るよ。アタシがこの子を、大切に、ぜったい幸せにするしかないじゃないか……!」
「? ダイヤさん、プロポーズみたいなこと言ってますよ」
「言ってないよ!」
辺境都市アルトゥン。
国境地帯に根を張る交易の街は、ダダがそれまで見たどんな景色とも違っていた。
「うわぁ……! 人がいっぱいだ!」
石畳の大通りを、あらゆる種族が行き交っている。荷を担いだ熊耳族の大男。耳の長い旅装のエルフ。店先で値切り倒す猫耳族のおばちゃん。岩の角を生やした巨大な牛型魔獣——ロックバイソンが、客を満載した箱車をのっしのっしと牽いていく。
「ダイヤさん、あの牛、おうちを引っ張ってます!」
「ありゃ乗合バスだよ。銅貨三枚で隣街まで運んでくれる」
「あっ、あの人、石に向かって喋ってます! お話できない石なのに!」
「魔導通信石。遠くの相手と話せる道具さ。ドワーフ製で、目玉が飛び出るほど高い」
「石とお話……すごい……都会、すごい……」
いちいち目を丸くするダダを連れて、ダイヤはまず冒険者ギルドの門をくぐった。酒と汗と羊皮紙の匂いが充満するホールで、登録手続きを進める。
「登録には身分証と、魔導通信石と、振込先の銀行口座が必要です」
「ぜんぶ無いです」
「ぜんぶアタシが立て替えるよ……経費がかさむねぇ……」
ぶつくさ言いながらも、ダイヤの手際は見事なものだった。書類が整い、最後にダダは水晶の置かれた台へ案内される。
「では新規登録者さん、この測定球に手を乗せてください。闘気と魔力の量を測って、初期ランクの参考にしますので。まあ、お子さんですし、Eランクの訓練生からですけどね」
受付の青年は欠伸まじりにそう言った。ダダが、ぺたりと水晶に手を乗せる。
水晶は、うんともすんとも光らなかった。
「あれ? 故障かな……すみません、もう一回——」
ダダがもう一度触れた瞬間。
ピシリ。
水晶の内側に、蜘蛛の巣のような罅が走った。光らないまま、罅だけが静かに広がっていく。
「…………」
受付の青年は無言で水晶を引っ込めると、棚から予備を出し、それも罅が入ったところで、にっこり笑った。
「故障ですね! 闘気値・魔力値ともに測定不能……じゃなくて、ゼロ! ゼロってことで処理しときます! はい、Eランクおめでとうございます!」
「やったー! ありがとうございます!」
無邪気に喜ぶダダの後ろで、ダイヤだけが、引っ込められていく罅だらけの水晶を目で追っていた。
(……闘気でも魔力でもない『何か』は、測定球には映らない。ってことかい。……ふふ。いいねぇ、いいよ。あんたの値段、まだまだ吊り上がるよ……!)
その足で、ダイヤは大通りから少し外れた一角に、小さな空き店舗を借りた。
埃っぽい室内を二人で掃除し、ダイヤが徹夜でデザインした看板を表に掲げる。三日月の下で踊るような、優美な紋章。
「よし! 本日ここに、冒険者クラン『クレッセントワルツ』の旗揚げだよ! 目指すは大陸一! 依頼をばんばん解決して、たーっぷり稼ぐよ!」
「はい! たーくさん人助けします!」
「……まあ、あんたはそれでいいよ」
——しかし、現実は甘くなかった。
三日経っても、扉は開かなかった。
七日経っても、開かなかった。
「……おっかしいねぇ……立地は悪くないはずなんだけどねぇ……」
ダイヤは机に突っ伏していた。九本の尾も、床にべったりと萎れている。新参クランに依頼を出す物好きはいない。ギルドの掲示板の依頼は、実績のあるクランが根こそぎ持っていく。わかってはいたが、家賃と飯代だけが羽の生えたように飛んでいく現実は、九尾族の心を確実に削っていた。
「ダイヤさん、元気出してください。はい、月見大根の漬物です」
「ありがとうよ……って、あんた台所で漬物作ってたのかい……。冒険者クランから漬物の匂いさせてどうすんだい……」
「美味しいのに」
ぽりぽり。事務所に、漬物を齧る音だけが響く。
——その時だった。
バンッ!!
扉が、蹴破られるような勢いで開いた。
飛び込んできたのは、土埃にまみれた小さな少女だった。簡素な服はところどころ破れ、頬には擦り傷、肩で大きく息をしている。
「お……お願い、します……っ」
少女は震える声を絞り出した。
「私を……デュフランの街まで……パパの、ところへ……っ」
そこまで言うと、少女の膝が、かくんと折れた。
「っと!」
倒れ込む小さな体を、ダダが滑り込むように抱き留める。少女は意識を手放す寸前、最後の力で少年の袖を握りしめた。
その手は、氷のように冷たかった。
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