EP 14
「クラン、ランクアップ」
ダダが目を覚ましたのは、丸一日と少しが過ぎた、翌々日の朝だった。
「……ん……おはようございます……」
寝室の扉のそばで、椅子に腰掛けたまま腕を組んでいたダイヤが、ぴくりと反応した。目の下には、うっすら隈ができている。どうやら、ずっとそこにいたらしい。
「……起きたかい」
「あれ、ダイヤさん。なんでお部屋に……あ」
ダダの視線が、空っぽの枕元に落ちた。藍色の燐光は、もう、欠片もない。きれいさっぱり馴染みきった証拠だった。
「…………あ」
少年の顔が、見る間に気まずくなっていく。寝癖頭が、しゅん、と垂れた。
「……ごめんなさい、ダイヤさん。あの魔石……金貨数千枚だって、言ってたのに……僕、食べちゃいました……」
「うん。知ってる。見たからね」
ダイヤは、淡々と言った。怒鳴りもしない。その静けさが、かえって居心地が悪い。ダダは布団の端を握って、ますます小さくなった。
「……あの。怒って、ますよね」
「怒ってるよ」
「……はい」
「金貨数千枚を、一晩で胃に流し込まれてだよ? 九尾族の魂が три回くらい昇天したよ。アタシの算盤、煙吹いて壊れたかと思ったね」
ダイヤは大きくため息をつくと、立ち上がって、ベッドの縁に腰掛けた。九本の尾が、ぱさりと床に垂れる。
「……でもね、ダダ。アタシが本当に聞きたいのは、そこじゃないんだ」
彼女は、まっすぐにダダを見た。商談のときの、値踏みする目じゃない。もっと素の、剥き出しの目だった。
「あんた、あれを食べて——丸一日、目を覚まさなかった。揺すっても、叩いても、ぴくりともしないんだ。アタシはね、あんたがそのまま二度と起きないんじゃないかって……一晩中、ここで、生きてるか死んでるか、確かめてたんだよ」
「…………」
「魔石を食う冒険者なんて、聞いたことがない。種族も知らない。その力が何なのかも、アタシにはさっぱりわからない。——でも、それはいいんだ。あんたの秘密は、あんたのもんだ。無理に話せとは言わない」
ダイヤは、ダダの寝癖頭に、ぽんと手を置いた。
「ただ、ひとつだけ約束しな。——そういう危ないことをするときは、アタシに、ちゃんと言いな」
ダダは、目を見開いた。
「ダイヤ、さん……」
「アタシはギルドマスターだ。クランの仲間が、一人で部屋にこもって、生きるか死ぬかの綱渡りをしてるのを、何も知らずに隣で寝てるなんて——そんなの、まっぴらごめんなんだよ。次に何かするときは、せめて誰かがそばにいる。それが条件だ。守れるね?」
少年の目が、じわりと潤んだ。
母を亡くしてから、ずっと一人だった。一人で狩り、一人で食べ、一人で寝込んで、一人で馴染ませてきた。誰かに「そばにいる」と言われたのは——たぶん、母上が天に行ってから、初めてだった。
「……はい。守ります。ぜったい、守ります」
「よし。男に二言はないよ」
ダイヤは、にっと笑った。それから、ぐしゃぐしゃとダダの頭を撫で回して、立ち上がる。
「さあ、辛気くさい話はおしまい! 顔洗って飯食いな。今日はね、めでたい日なんだから」
「めでたい日?」
「決まってるだろう。——昇格申請だよ!」
アルトゥンの冒険者ギルド本部は、その日、朝から妙にざわついていた。
「おい、聞いたか。デュフランの鉱山、単独で片付けたガキがいるって」
「ワームの女王だろ? Bランクパーティーが討伐依頼受けて向かったら、もう終わってたって話だぜ。証拠の素材もないから半信半疑だったが——ゴルド商会が正式に認定したらしい」
「ゴルドが? ……マジかよ」
ホールに、ダイヤとダダが姿を見せると、ざわめきが、すっと静まった。視線が、いっせいに、寝癖の少年に集まる。値踏み、好奇、疑い、嘲り——あらゆる種類の目が。
受付カウンターの前に進み出たダイヤは、その視線を全部、九本の尾で払いのけるように胸を張った。
「クラン『クレッセントワルツ』、ギルドマスターのダイヤだ。所属冒険者ダダの、ランク再査定を申請する。——根拠は、これさ」
ばさり、とカウンターに広げられたのは、デュフラン支部の正式な討伐証明書と、ゴルド商会の認定状。白金の蛇と天秤の紋が、ホールの灯りを弾いた。
カウンターの奥から出てきたのは、ギルド長らしき、片眼鏡の老エルフだった。書類に目を通し、長い眉を、ぴくりと上げる。
「……単独。女王種。産卵巣の発見と封鎖進言。狂走香に関する証言。……ふむ」
エルフの澄んだ目が、カウンター越しに、じっとダダを見下ろした。
「坊や。ひとつだけ聞こう。——なぜ、女王の魔石を、ギルドに供出しなかった。あれほどの素材、金貨数千枚にはなった。提出すれば、貢献度はさらに跳ね上がったものを」
ホールが、しんと静まる。誰もが、その答えを待った。金に目が眩んで隠したか、と疑う目もあった。
ダダは、少し困った顔で、それでもまっすぐに答えた。
「……あの女王さまは、悪い人に壊されて、苦しんでいました。最後に、自分の子供たちのことを、心配していました。だから——お金にするのは、違う気がして」
「ほう」
「ちゃんと、僕が引き受けました。それでいいかなって。……だめ、でしたか?」
老エルフは、しばらく無言で少年を見つめた。
それから、ふっと、口元を緩めた。長い長い時を生きた者だけが持つ、静かな笑みだった。
「——いいや。けっこう。実にけっこうだ」
片眼鏡の奥の目が、わずかに細められる。
「強さは、測れる。貢献も、数えられる。だが、討った命への作法は、数字には表れん。それを持つ者は……長く生きてきたが、そう多くは見ておらんよ」
エルフは羽根ペンを取ると、書類に、流れるようなサインを走らせた。
「クラン『クレッセントワルツ』所属、ダダ。Eランクより——三階級特進。Cランクと認定する」
ホールが、どよめいた。
「Cランクだと!? 訓練生上がりが、いきなり!?」
「特進、三階級……前代未聞だぞ……」
「待て待て、クラン自体の格付けも上がるってことか? あの、九尾の道楽クランが……?」
ざわめきの中、ダイヤは、こみ上げる笑いを噛み殺すのに必死だった。九本の尾が、隠しようもなく、ぶんぶん揺れている。
(Cランク……Cランクだよ……! ゴルドの後ろ盾に、Cランク冒険者……! うちのクランの格付けも、これでDからCに……いや、この勢いなら、すぐにB……!)
野心の算盤が、軽快な音を立てて回る。
「ダイヤさん、Cランクって、すごいんですか?」
「すごいなんてもんじゃないよ! あんた、英雄への階段の三段目に、いきなり片足乗っけたんだからね!」
「! じゃあ、もっとたくさん人助けできますか?」
「……ああ。できるとも。たーっぷり、できるよ」
ダイヤは、笑った。野心と、それから、ほんの少しの——誇らしさで。
ホールの隅。
その一部始終を、柱の陰から眺めている、小柄な人影があった。
フードを目深に被り、口元だけが覗いている。その口が、もぐもぐと、何か小さなものを噛んでいた。——飴玉だった。ことり、と頬の内側で飴を転がしながら、フードの奥の目が、楽しげに細められる。
「……三階級特進、ねえ。Eランクの坊やが」
それは、鈴を転がすような、若い女の声だった。
「ゴルド商会の身内で、ワームの女王を単独討伐。しかも、魔石を食べちゃう、っと」
くす、と。
「——でら、面白いじゃない」
人影は、ポケットからもうひとつ飴玉を取り出すと、軽い足取りで、ホールの喧騒に紛れて消えた。
その耳が、フードの中で——ぴょこん、と。長く、揺れた気がした。
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