EP 12
「蛇の目の値踏み」
翌朝、デュフランの空に、船が来た。
「な、なんだありゃあ!?」
「飛行船だ……! 都会でしか見れんっていう、あの!」
白塗りの船体に、これでもかと金箔で描かれた、とぐろを巻く蛇と天秤の紋章。街の上空をぐるりと一周したそれは、広場に長い影を落として、ゆっくりと舫いを降ろした。
タラップを降りてきたのは、一人の男だった。
真っ白なスーツ。首には指の太さほどもある金の鎖が三重。足元は艶光りする蛇革の靴で、薄い色眼鏡の奥には、縦に裂けた金色の瞳孔が光っている。五十がらみの、蛇目族の男。
「おうおう、ツーリ! 生きとったか、この果報モンが!」
「会長……! わざわざ、こんな辺境まで」
「たーけ! おみゃあさんが死にかけて、飛んでこん会長がどこにおるんだわ!」
男は豪快に笑ってツーリの肩をばしばし叩くと——ぴたり、と動きを止めた。
色眼鏡が、すっと下がる。金色の縦長の瞳孔が、ツーリの後ろにちょこんと立つ、寝癖の少年を捉えた。
「…………ほぉ~~ん」
それは、値札のない品物を見つけた商人の、長い長い吐息だった。
「ぼん。名前は」
「ダダです! 冒険者クラン『クレッセントワルツ』の、Eランクです!」
「ワシはオロチ。ゴルド商会の会長をやっとる、しがない商人だがや」
しがない、で済む男ではなかった。ゴルド商会——食料から武具、土地まで、大陸の銭という銭が一度は通ると言われる超巨大商会。その頂点が、目の前で膝を折り、少年と目の高さを合わせていた。
「ぼん。単刀直入に言うわ。——おみゃあさん、なんぼだ?」
「? なんぼ……?」
「ワシんとこに来やぁ。ゴルド商会専属の護衛。給金は年に金貨一万枚。家も飯も嫁さんも、欲しいモンはぜーんぶワシが揃えたる。どうだがや、悪い話じゃにゃあだろ?」
広場が、ざわりとどよめいた。金貨一万枚。庶民の生涯年収の倍以上が、年俸で。
ダダは、きょとんと首を傾げた。
「ええと……お金は、いらないです。硬くて食べられないので」
「…………は?」
「それに、僕はクレッセントワルツのダダなので。ダイヤさんと、大陸一のクランになるって決めてるんです。だから、ごめんなさい!」
ぺこり、と勢いよく頭を下げる。一片の迷いも、駆け引きもない即答だった。
オロチは、たっぷり五秒、固まった。
それから——色眼鏡を外し、天を仰いで、腹の底から笑い出した。
「ぶわっはっはっはっは!! 食えん食えん、銭は食えんわなぁ! 五十年商売やっとって、初めて聞いたわ、その断り文句!」
ひとしきり笑うと、蛇の目が、すぅっと細くなった。笑ってはいるのに、その奥で、何かがそろばんより速く動いている。
(——買えん。この子は、銭じゃ買えん。脅しも、女も、名誉も効かんだろう。……だがや。買えんモンほど、値が上がる。なら、どうする? 決まっとるがや。この子の選んだ場所ごと、まるっと味方にしときゃあええ)
「ツーリ。例の件、聞いたぞ。香炉の男——狂走香、だったな」
オロチの声から、笑いが消えた。
「これでウチの息がかかった現場は三件目だがや。南の倉庫街の魔獣暴走、東の街道の輸送隊襲撃、ほんで今回の鉱山。……偶然っちゅう面、しとらんわなぁ。誰ぞ知らんが、ワシの商売を、本気で潰しに来とる奴がおる」
「では会長、今回のも……」
「調べはこれからだがや。——ぼん」
蛇の目が、再びダダに向いた。今度は商人の目ではなく、もっと底の知れない、何かを託す目だった。
「おみゃあさんは、その男の顔も匂いも、声も知っとる。ワシら商人がどれだけ銭を積んでも買えん『証人』だがや。……いつかまた、あの甘ったるい匂いを嗅いだら——遠慮はいらん。ぶちのめしたれ。請求書は、まるっとゴルド商会に回しゃあええ」
「! はい!」
「ええ返事だがや」
オロチはにっと笑うと、懐から分厚い封筒と、一枚の札を取り出した。封筒には封蝋。札は、ツーリが持っていたものと同じ、白金の身分札だった。
「これをおみゃあさんとこの九尾の親分に渡したって。中身は、今回の礼金と——ゴルド商会がクレッセントワルツの後ろ盾になる、っちゅう一筆だがや。白金札は、ウチの『身内』の証。大陸中、どこの関所も街も、顔パスで通れるでよ」
「わ、ありがとうございます! ダイヤさん、喜びます!」
「喜ぶどころか、ひっくり返るわ。……ふふ、九尾の小娘が銭抱えて旗揚げした酔狂なクラン、っちゅう噂は聞いとったがや。でら面白なってきたがや、この大陸」
出発は、その日の昼だった。
街の門には、見送りの人垣ができていた。命を拾った鉱夫たちと家族、衛兵、ギルドの職員——そして、一番前に、ツーリとリーフ。
「リーフ。これ、返すね」
ダダは手首から、丁寧にリボンを解いた。泥は落としてあったが、ところどころ、戦いの跡が滲んでいた。
「お母さんの、宝物なんでしょ。汚しちゃって、ごめん」
「……ううん」
リーフは首を振り、リボンを受け取ると、大切そうに両手で包んだ。それから、代わりに小さな布袋を、ダダの手に押し付けた。ふわりと、薬草の良い香りがした。
「陽薬草と、傷に効くハーブのお守りです。私が摘んで、私が縫いました。……ダダさんは無茶ばっかりするから、肌身離さず持っててください。それで——」
少女は、まっすぐに少年を見上げた。
「私、薬師になります。今度ダダさんが怪我したとき、ちゃんと治せる人に、なりますから。だから……ぜったい、また会いに来てください。生きて、ですよ」
「うん。——約束する」
指切りを交わすと、ダダはくるりと身を翻し、山道へ向かって駆け出した。あっという間に米粒ほどになる背中へ、ツーリの大声が追いかける。
「ダダーー!! 飯はいつでも食わせたるからなーー!! 五杯までだぞーーー!!」
「十杯食べまーーーす!!」
笑い声が、山にこだました。
峠の上で、ダダは一度だけ、振り返った。
谷あいの街の煙突から、白い煙が、何本も、まっすぐに立ち昇っていた。あの朝、止まっていた煙が、戻っている。街が、ちゃんと息をしている。
「……うん。よかった」
満足げに頷いて、走り出そうとして——
ぐうううぅぅぅ~~~……。
「…………」
懐の奥で、藍色の魔石が、服越しにもわかるほど、とろとろと温かい。お腹の虫は、朝から十杯食べた事実を、綺麗さっぱり忘れた顔で鳴いていた。
「……早く帰ろう。ダイヤさんが待ってるし。……それに」
少年は、ぺちんと頬を叩いて、夕暮れの山道を蹴った。
「——早く帰らないと、我慢できなくなりそうだから」
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