EP 11
「夜明けの街」
その夜、デュフランの誰も、眠らなかった。
坑道の入り口には篝火が焚かれ、毛布をかぶった家族たちが、ただじっと、闇の奥を見つめていた。リーフもその中にいた。リボンを解いた髪が、夜風にさらさらと揺れている。
——変化は、真夜中に来た。
「お、おい! 誰か来るぞ! 中からだ!」
衛兵の声に、人だかりが弾かれたように立ち上がった。闇の奥から、ふらつく足音。布を巻いた靴。煤だらけの顔、顔、顔——
「ロイドだ! うちのロイドだよ!!」
「あんた……! あんたぁ……!!」
七つの影が光の中へ転がり出るたび、悲鳴のような歓声が上がり、家族が折り重なって抱きついた。三日ぶりの再会に、坑道口は涙でぐしゃぐしゃになった。
その一番うしろ。若い鉱夫を背負った、がっしりした男が、よろめきながら篝火の輪に入ってきた。
リーフの足が、勝手に動いた。
「——パパぁーーーー!!」
「っ! リーフ……!」
ツーリは背の若者を仲間に預けると、両膝をついて、突っ込んでくる小さな体を、真正面から受け止めた。
「ばか野郎……っ、なんでお前がここにいるんだ……あんな山を越えて……ばか野郎……っ」
「パパこそっ……帰ってこないから……っ、心配、したんだから……っ、うわああああん……!」
言葉は、もう続かなかった。父娘はただ、互いの無事を確かめるように、強く強く抱きしめ合った。
ひとしきり泣いて、リーフは父の腕の中から、はっと顔を上げた。視線が、出てきた人々の間を、二度、三度、往復する。
「……パパ。ダダさんは? ダダさんは、どこ……?」
ツーリの顔が、歪んだ。
「……下だ。下に、残った。デカブツが上がってくる前に、自分が止めるっつって……俺たちを、先に逃がした」
「そん、な……」
その時だった。
ゴ……ゴゴゴ……!!
大地が、唸った。
足元の地面が震え、篝火の炎が揺れる。人々が悲鳴を上げてしゃがみ込む。震動は、地の底の、遥か深くから来ていた。
そして——皆が、聞いた。
「グオオオオオオ……ンン……」
岩盤を、土を、何百メートルもの大地を貫いて、くぐもった咆哮が、夜のデュフランに響き渡ったのだ。
「な……んだ、今の……」
「ド、ドラゴン……? 地竜でも出たってのか……?」
「あの坊主は……あの子は、あんなのと、一人で……」
誰も、もう何も言えなかった。地鳴りは何度も続いた。そのたびに人々は身を寄せ合い、祈り、坑道の闇を見つめた。
やがて——夜明けが近づいた頃。
ひときわ大きな、世界の底が抜けたような轟音が響いて。
それきり。
何の音も、しなくなった。
沈黙は、残酷だった。
四半刻。半刻。一刻。坑道は、何も返さない。空が白み始め、篝火が弱々しくなっていく。
誰かが、すすり泣きを始めた。衛兵が、帽子を取った。ギルドの職員が、重い足取りで記録板に手を伸ばし——
「やめてください」
リーフの声が、朝の冷気を裂いた。
少女は涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、坑道の入り口の真ん前に、仁王立ちしていた。
「ダダさんは、帰るって言いました。必ずみんな連れて帰るって。……あの人はっ、約束したことは、ぜったい、ぜったい守るんです! 私、知ってるんです! だから——」
少女は息を吸い込み、闇の奥へ、ありったけ叫んだ。
「ダダさーーーーん!! 朝ごはん、できてますよーーーー!!」
しん、と。
人々が、あっけにとられてリーフを見た。なんでよりによって朝ごはん——誰もがそう思った、その時。
闇の奥から。
ぺた。……ぺた。……ぺた。
小さな、小さな足音が、聞こえてきた。
「……ほんとですか? 僕、おなか、ぺっこぺこなんですけど……」
朝日が、坑道の入り口に差し込んだ。
光の中に現れたのは、全身ずぶ濡れで、泥と煤にまみれて、寝癖だけは元気な——小さな少年だった。
「あ、リーフ。ツーリさんも。みんなも。——ただいま帰りました! 救助、全部完了です!」
一秒の静寂。
直後、坑道口が、爆発した。
「「「うおおおおおおおおおおっっ!!!」」」
歓声。歓声。歓声。衛兵が槍を放り投げて叫び、鉱夫たちが抱き合い、誰かが朝から酒樽を開けた。ツーリは大股で歩み寄ると、泥だらけの少年を、米俵みたいに高々と担ぎ上げた。
「この、ばか坊主がああっ!! 心配させやがって!! よく帰った!! よくぞ帰った!!」
「わ、わわっ、ツーリさん、高い、高いです!」
「ダダさんのっ、ばかぁ……!」
下ろされた途端、今度はリーフが胸に突っ込んできて、ぽかぽかと叩きながら、わんわん泣いた。ダダは困った顔で笑って、その頭を、いつものように、ぽんぽんと撫でた。
手首では、泥だらけになった赤いリボンが、朝日を浴びて、確かに還ってきていた。
騒ぎが少し落ち着いた頃、ギルド支部の職員が、震える手で記録を取った。
「ワ、ワームの女王……全長二十メートル超……単独討伐……。最深部に産卵巣……立ち入り封鎖を進言、と。それから——」
「はい。香炉を持った男がいました」
ダダの声が、すっと真剣になる。職員も、周りの大人たちも、息を呑んで聞いた。狂走香という薬。壊されたオークと、壊されたワームたち。眠っていた女王を、わざと狂わせて——逃げた男。
「……つまり、今回の騒ぎは天災じゃなく、人災だと。本部に、緊急報告を上げます」職員の顔は蒼白だった。「それと、坊主……いや、ダダ殿。討伐の証明に、素材の確認を。女王の魔石は回収してるか? あれほどの個体なら、ギルドで金貨数千枚は堅い、超一級品だが」
「あ、魔石は——」
ダダの手が、懐の上で、ぴたりと止まった。
「…………持って帰ります。リーダーに、見せないとなので」
「う、売らんのか!? 金貨数千枚だぞ!?」
「はい! 大事に持って帰ります!」
にっこにこの笑顔だった。職員は釈然としない顔で「変わった坊主だ……」と書類に向き直り、誰も、その懐がさっきから少年のお腹の音に合わせて見つめられていることには、気づかなかった。
その夜。ツーリの家の食卓は、戦場だった。
「ほら食え食え! 肉もパンもまだまだあるぞ!」
「リーフのスープ、おいしいです! おかわりください!」
「もう五杯目ですよ!? ……はい、どうぞ!」
約束の「ごはんの権利」は、満額で行使された。笑い声の絶えない、温かい夜だった。
——その夜更け。
寝静まった家の書斎で、ツーリは一人、机に向かっていた。
引き出しの奥から取り出したのは、一枚の身分札。鈍く光る白金の板には、とぐろを巻く蛇と天秤の紋——大陸に住む者なら、商いに縁のない者でさえ知っている、ゴルド商会の紋章が刻まれていた。札の肩書きは、ただの鉱夫のものでは、なかった。
ツーリは魔導通信石を手に取ると、深く、息を吐いた。
「……会長に、繋いでくれ。ああ、夜分なのはわかってる。だがな——最優先で報告すべき『金の卵』を見つけた、っつったら、あの人は飛び起きるさ」
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