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もう猫かぶるの疲れたので素でいきますわ  作者: 秋月 もみじ


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第7話 私の問題だから、巻き込みたくない


『貴殿の度重なる素行不良について、退学勧告を検討中である旨、通達する』


教授室で渡された紙を見て、前世のデジャブを感じた。停学処分の通知と、やってることが同じだ。書式も似ている。偉い人間は、世界が違っても同じような紙を書く。


ヘルムート教授の部屋はインクと古い紙の匂いがした。棚に礼法の教本が並んでいる。背表紙が揃いすぎていて、読んだ形跡がない。飾りだろう。


「公爵令嬢が食堂で生徒を威嚇し、武術場では令嬢にあるまじき蹴り技を披露し、廊下で大声を出す。退学勧告に十分な素行不良の累積です」


教授の声は平らだった。灰色の目が、私ではなく書類を見ている。


前世で何度か呼ばれた校長室を思い出す。あの時の私は、何も言い返さなかった。校則を読んでいなかったから。


今は違う。


「退学の要件を確認させてください」


教授の羽根ペンが止まった。


「学則第四十二条。退学勧告は素行不良記録が五件以上累積した場合に検討される。私の記録は何件ですか」


教授が一瞬、目を細めた。


「……五件です」


「内容を教えていただけますか」


教授が書類をめくった。指先がわずかに震えている。この人は、聞き返されることを想定していなかった。


「食堂での威嚇行為、武術場での不適切な技の使用、廊下での大声、授業中の態度不良、そして――」


「授業中の態度不良?」


覚えがない。


「いつの授業ですか」


教授が口を閉じた。書類に目を落として、何かを探すような仕草をした。見つからなかったのか、ページを二度めくって、戻した。


「……記録にあります」


日付も内容も言えない記録。


この通達は、おかしい。


図書室の窓際の席に座っていたら、レオンが来た。


風紀委員の腕章をつけている。手に書類の束を持っていた。


「少し時間をください」


向かいの椅子を引いて座った。書類を広げた。日付の入った表が二枚。


「教授の素行不良記録を調べました。学園長の許可を取って、風紀委員の閲覧権限で」


許可を取っている。手続きを踏む人だ。


「記録上は五件。ただし、三件の日付に問題がある」


レオンの指が表を辿った。


「この日付、リゼットは武術授業の試合中だった。食堂にはいない。この日付は学園祭の準備日で、授業自体が午前で終わっている。態度不良を記録する授業がない」


二件は本物。三件は日付が合わない。つまり、水増し。


「それと」


レオンがもう一枚、紙を出した。折り畳まれた便箋。見覚えのない筆跡。丁寧で、角が立っていて、慣れた手だ。


「教授のデスクの引き出しにありました。学園長の許可のもとで調査した際に発見しています」


便箋の文面が見えた。


『退学に必要な素行不良記録を至急整えてください。お父様のご恩をお忘れではありませんわね?』


署名はない。でも「お父様」という書き方で、差出人は限られる。教授がヴァレリア侯爵家に借金があるなら。


メリッサ嬢。


胸の底が冷えた。怒りではない。もっと静かなもの。ああ、そういうことか、という感覚。表で「可哀想なリゼット様」と同情してみせた人が、裏で教授に指示書を送っていた。


レオンが書類を揃えて、私を見た。


「懲罰委員会に提出できる証拠です。教授の記録の矛盾と、この指示書。風紀委員として正規の手続きで入手しています」


正しい。レオンのやったことは全部正しい。手続きを踏んで、証拠を揃えて、報告している。


だから余計に、申し訳なかった。


「レオン」


「はい」


「ありがとう。でも、これは私の問題だから」


レオンの表情が、ほんの少し動いた。


「巻き込みたくないの。あなたを」


言ってから、自分の言葉に驚いた。巻き込みたくない。その言い方は、この人のことを大事に思っていると認めているようなものだ。


でも訂正しなかった。


レオンは黙っていた。書類を束ねて、鞄に戻した。何か言いかけて、飲み込んだ。立ち上がって、椅子を元の位置に戻した。


図書室を出る直前、廊下から声が聞こえた。


「レオン。お前が殿下に楯突いたって噂、実家にも届いてるぞ」


騎士科の同僚だった。巡回の腕章をつけた、先日ルート変更を指摘した男子。


「ブレンナー家の坊ちゃんが王太子殿下に逆らった、って。兄上の耳にも入ってるんじゃないか」


レオンは足を止めなかった。


「忠告は受け取る」


それだけ言って、角を曲がっていった。


兄上。


レオンが「ブレンナーだと兄を思い出す」と言った時の、あの声を思い出した。


寮に戻る頃には雨が降っていた。


傘を持っていなかった。外套のフードを被って走ったけれど、肩から先はずぶ濡れだ。靴の中に水が入っている。足を踏み出すたびに、くちゅ、と音がする。


共有スペースの扉を開けた。


暖炉に火が入っていた。


誰もいない。夕食の時間帯だから、皆食堂に行っているのだろう。


暖炉の前に椅子が一脚、引き出されていた。座面にクッションが置いてある。小さなテーブルの上に、湯気の立つカップ。茶だ。まだ温かい。ついさっき淹れられたものだ。


椅子に座った。暖炉の熱が、濡れた外套から湿気を引き出していく。茶を一口飲んだ。甘い。蜂蜜が入っている。


テーブルの端に、小さな容器が置いてあった。


蓋を開けた。


あの軟膏と同じ匂いがした。


巡回時間を変えた人。西棟に来ていた人。私が寮に戻る時間を知っている人。


暖炉の火がはぜた。小さな火花が一つ、灰に落ちた。


茶を飲みきった。カップの底に蜂蜜が残っていた。


部屋に戻って、制服を着替えた。濡れた靴を窓際に並べた。


机の上にさっきの通達が置いてある。


『退学勧告を検討中』


前世なら、仲間を集めて殴り込みに行っていた。校長室の扉を蹴り開けて、「何が素行不良だふざけんな」と。


でも今は令嬢だ。元ヤンの令嬢。拳じゃなくて、頭で殴る。


引き出しから学則の冊子を引っ張り出した。入学時にもらったきり読んでいなかったやつ。埃を払った。分厚い。


前世で校則の抜け穴を探すのは得意だった。三年間で八個見つけた。先生に「お前の法律の知識は大学生並みだ」と言われたことがある。褒められたのか呆れられたのか、未だにわからない。


ページをめくる。手が荒れていて、紙の端が引っかかった。


軟膏を指先に塗った。あの匂いがした。


自分で解決する。


レオンが集めてくれた証拠は使わせてもらう。でも、戦うのは私だ。


お父様にも言った。自分の力で解決すると。


前世の私は、一人で喧嘩を始めて、一人で終わらせていた。でもいつも背中には仲間がいた。


今も、いるのかもしれない。暖炉の前に椅子を引いて、黙って茶を淹れてくれる人が。


――でもだからこそ、巻き込みたくないんだ。


学則の三十七ページに付箋を貼った。退学要件の条文。ここから崩す。

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