第6話 大仏君と期末試験
私、大和撫子は、奈良市にあるごく普通の高校に通う一年生。
だけど、一つだけ普通じゃないことがあります。
「廬舎那。テスト近いけど勉強してる?」
「毎日が人生という名のテストでございます」
「いや、今聞いてるんは期末テストの話や」
「……そちらは、もはや神仏に祈るのみでございます」
「勉強してへんって素直に言わんかい!」
私のクラスには、大仏がいます。
名前は廬舎那仏像君。私と同じ高校一年生。
体は普通の高校生。でも、顔だけは完全に奈良の大仏なんです。
◇ ◇ ◇
そろそろ夏休み前の期末試験が近づいています。
クラスのみんなも、少しずつ勉強を始めています。
私は中間試験でそこそこの結果だったので、今回も頑張りたいと思っています。
廬舎那君はというと……。
相変わらず、写経をしています。
「廬舎那、写経なんかしてないで勉強しろよ。また数学と世界史で赤点取るぞ」
「……それもまた、自然の摂理でございます」
「いやいや、変えられる未来やって!」
前回の中間試験では、数学と世界史で赤点を取ったらしいです。
しかも、両教科とも赤点だったのは廬舎那君だけだったような……。
……ある意味、学年で唯一無二の存在です。
「でも、日本史は満点だったよね! すごいなぁ。私、日本史苦手やから」
「大和に数学と世界史教えてもらったら? 中間テストで両方八十点以上取ってたし」
「確かに! 私も日本史教えてもらえるから、一石二鳥やし!」
すると、廬舎那君は静かに筆を置きました。
「そうですね……。大和さん」
「ん?」
「どうか私を、数学と世界史の苦しみからお救いいただければと思います」
「なんかお願いが重い……」
廬舎那君は、深々と頭を下げました。
……なんだか、とんでもないお願いを引き受けてしまった気がします。
大仏を赤点から救う。
……私にそんな御利益、あるのでしょうか。
赤点を回避できなかったら、罰が当たりそうです……。
◇ ◇ ◇
放課後。
廬舎那君と二人で教室に残り、試験勉強をすることになりました。
「廬舎那君、まずはこの問題を解いてみよう!」
「承知いたしました」
私はノートに問題を書きました。
**x²-5x+6=0**
「これ、解ける?」
「……」
廬舎那君は、じっとノートを見つめています。
「どうしたん?」
「この『x』という存在が、どうにも理解できません」
「そこから!?」
……中間試験は、どのように乗り越えたのでしょうか。
「えっとね。まずは因数分解するんだよ」
私はノートに続きを書きます。
**(x-2)(x-3)=0**
「こうすると、xは2か3になるんだよ」
「なるほど。つまり、答えは二つあるのですね」
「そうそう!」
「人生の道も、必ずしも一つではないということでございますね」
「数学の話に戻ってきて!」
どうして数学の問題から人生の話になるのでしょうか。
……先が思いやられます。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、次は世界史ね。仏教を開いた人物は?」
「ゴータマ・シッダールタでございます」
「正解! じゃあ、仏教が生まれた地域は?」
「古代インドでございます」
「すごい! 世界史もできるやん!」
「お褒めいただき、恐縮です」
廬舎那君は、いつも通り穏やかな表情です。
……さっきの数学とは大違いです。
「じゃあ、ちょっと別の時代の問題ね。フランス革命が始まった年は?」
「……」
「廬舎那君?」
「……フランスを漢字で書くと『仏』という字がありますが」
「うん?」
「仏教の教えは、フランスにも届いていたのでしょうか」
「今はフランス革命の話やで!?」
……どうやら、世界史というより仏教史が得意みたいです。
ちなみに、フランス革命が始まったのは1789年です。
廬舎那君にも教えてあげました。
「なるほど。大変勉強になります」
「覚えておいてね!」
「ええ。仏教とは関係がないようですが、しっかり覚えておきます」
「関係なくても覚えて!」
……世界史の道のりも、なかなか険しそうです。
◇ ◇ ◇
「じゃあ、次は私の番! 廬舎那君、日本史教えて!」
「承知いたしました。まずは、どの時代から始めましょうか」
「平安時代かな」
「では、平安京への遷都からお話しいたしましょう」
「よろしく!」
「その前に、なぜ奈良の平城京から都を移す必要があったのかをご説明いたします」
「うんうん」
「そのためには、奈良時代の政治と仏教勢力について理解していただく必要がございます」
「……うん?」
「では、まず仏教伝来から」
「どこまで戻るん!?」
「ご安心ください。インドまでは遡りませんので」
「そこまで戻る可能性もあったん!?」
……平安時代の勉強をするはずだったのですが。
気づけば、奈良時代を通り越して飛鳥時代まで戻っていました。
でも、廬舎那君の説明はとても丁寧で、分かりやすいです。
いつもは私が教える側でしたが、日本史になると立場が完全に逆転してしまいました。
おかげで、このあたりの時代にかなり詳しくなった気がします。
……平安時代まで、なかなか辿り着けませんでしたけど。
◇ ◇ ◇
それから試験当日まで、私たちは放課後に何度か勉強会を開きました。
数学では公式を覚え、世界史では仏教以外の歴史も勉強しました。
もちろん、私も日本史を教えてもらいました。
そして、いよいよ期末試験当日です。
廬舎那君は、テスト用紙が配られるたびに静かに合掌しています。
……大仏が神頼みしています。
ここまで勉強したのですから、少しは自分の力を信じてほしいものです。
私も負けていられません。
勉強会の成果を発揮できるよう、精いっぱい試験に臨みました。
◇ ◇ ◇
数日後。
すべての答案が返却されました。
気になる廬舎那君の結果は……。
数学、42点。
世界史、39点。
日本史、100点。
……相変わらず、点数の差がすごいです。
「廬舎那君! 数学、赤点回避できたやん!」
「ええ。大和さんのおかげでございます」
「よかったね!」
「ありがとうございます」
廬舎那君は、いつもと変わらない穏やかな表情で頷きました。
「でも、世界史は惜しかったね……」
「そうですね。ですが、前回より十五点も上がりました」
「うんうん!」
「大和さんのおかげで、数学の赤点も回避できました。本当にありがとうございました」
廬舎那君は、私に向かって深々と頭を下げました。
「ううん! 廬舎那君が頑張ったからだよ!」
「いえ。大和さんが丁寧に教えてくださったおかげです」
「そんなことないよ! それに、私も日本史教えてもらったし!」
ちなみに、私の日本史は前回より二十点も上がりました。
……平安時代を勉強するはずが、仏教伝来まで遡った甲斐があったようです。
「私もありがとう、廬舎那君!」
「お役に立てたのであれば、何よりでございます」
お互いに教え合った成果が出て、嬉しくなりました。
ただ、一つだけ問題が残っています。
「世界史、あと一点だったのにね……」
「ええ。最後の一点には、どうしても手が届きませんでした」
「惜しかったね……。でも、次はきっと大丈夫だよ!」
「ありがとうございます。ところで、大和さん」
「ん? どうしたん?」
「世界史の補習は、いつから始まるのでしょうか」
「えっ?」
「赤点を取った者は、夏休みに補習があると伺いました」
「あっ……」
そうでした。
もうすぐ待ちに待った夏休みですが、赤点を取った生徒には補習が待っています。
「廬舎那君、夏休みなのに学校来なあかんやん!」
「ええ。これもまた、修行の一環でございます」
「また修行にしてる……」
「ですが、一つ気がかりなことがございます」
「何?」
「補習の時間は、写経をしてもよろしいのでしょうか」
「勉強に集中して!!」
……どうして、そこまで写経にこだわるのでしょうか。
私のクラスには、大仏がいます。
数学の赤点からは見事に解き放たれましたが、世界史の苦しみからは、まだ解放されていないようです。
……どうやら廬舎那君の修行は、夏休みも続くようです。




