第3話 大仏の顔も三度まで
私、大和撫子は、奈良市にあるごく普通の高校に通う一年生。
だけど、一つだけ普通じゃないことがあります。
「廬舎那。このときの作者の気持ちは?」
「先生。他者の心を完全に理解することなど、誰にもできないのです」
「それ言い出したら国語の授業終わるわ!」
私のクラスには、大仏がいます。
名前は廬舎那仏像君。私と同じ高校一年生。
体は普通の高校生。でも、顔だけは完全に奈良の大仏なんです。
◇ ◇ ◇
休み時間、廬舎那君はいつもどおり写経に勤しんでいます。
……こんなことを日常で言うとは思いませんでした。
そんな廬舎那君に、一人の男子生徒が話しかけました。
「廬舎那、何書いてんの?」
「写経でございます」
「ちょっと見せてや」
男子生徒が机に身を乗り出した拍子に、廬舎那君の書いていた写経の紙がずれてしまいました。
「あ、悪い悪い」
廬舎那君は筆を止め、ずれた紙を静かに直します。
「……一度目です」
「え? 何が?」
「いえ。お気になさらず」
……廬舎那君が、何かを数え始めました。
それからしばらくして。
男子生徒は、今度は廬舎那君の隣で何やら絵を描き始めました。
「おい、見てみ! 大仏描いたった!」
そう言って、廬舎那君の目の前に紙を差し出します。
そこには、立派な大仏の似顔絵が描かれていました。
……意外と上手です。
けれど、廬舎那君は写経を中断させられたことが気になったのでしょうか。
「……二度目です」
「だから何のカウントやねん!? そんなことより、結構似てるやろ?」
廬舎那君は似顔絵をじっと見つめました。
「私の方が、もう少し高貴な雰囲気かと」
「そこは冷静に判断するんや!?」
……確かに、廬舎那君の方が少しだけ高貴な雰囲気かもしれません。
顔はほとんど同じですけど。
思わず笑ってしまいそうになりました。
ところが、男子生徒はそれでも懲りず、廬舎那君の周りでふざけ続けています。
そして、とうとう廬舎那君の写経の紙を床に落としてしまいました。
「あっ……!」
私は慌てて拾おうとしました。
すると、男子生徒が笑いながら言います。
「大和、別にそんなもん拾わんでもええやろ」
……そんなもん、って。
廬舎那君が一生懸命書いていたものなのに。
少しひどい言い方だと思いました。
そのときです。
廬舎那君が、静かに立ち上がりました。
「……三度目です」
男子生徒は、ぴたりと動きを止めました。
「お、おい。まさか怒ってんのか?」
「ええ。私にも、怒りという感情はございます」
「そ、そうなんや……」
いつも穏やかな廬舎那君の言葉に、男子生徒は少し怯えた様子です。
廬舎那君は少し間を置いて、静かに続けました。
「ですが――怒りに身を任せれば、さらに苦しみを生むだけです」
そう言って、廬舎那君が鞄から取り出したのは、一冊の本でした。
表紙には、こう書かれています。
『怒らない練習』
「……今から読むん!?」
「ええ。私もまだまだ未熟ということですから」
廬舎那君は席に座り、真剣な表情で本を開きました。
……そこまで即効性はないと思うけど。
すると、男子生徒が申し訳なさそうに口を開きました。
「……廬舎那、大和。さっきは悪かったな」
廬舎那君は本から顔を上げました。
「ご自身の行いを省みられたのであれば、それで十分です」
「お、おう……」
男子生徒は落ちていた写経の紙を拾い、廬舎那君の机に戻しました。
どうやら、無事に解決したようです。
……でも、一つだけ気になることがあります。
「ね、ねえ。廬舎那君……」
「はい。何でしょう、大和さん」
「ちなみに、四回目やったらどうなるん?」
廬舎那君は本から顔を上げました。
「四度目、ということになりますね」
「ただ数えてるだけなん!?」
「いえ。三度目までに心を鎮められなかった己を、深く反省しているのです」
「さっきの怒りはどこ行ったん!?」
廬舎那君は静かに合掌しました。
「怒りは、持ち続けるものではございません」
……なんだか、ちょっと格好いいことを言っています。
でも、そもそも廬舎那君がなぜ怒ったのか、私にはよく分かりませんでした。
「ねえ、廬舎那君」
「はい。何でしょう、大和さん」
「さっき、どうして怒ったの? 写経を邪魔されたから?」
廬舎那君は静かに首を横に振りました。
「いえ。紙は拾えば済むことです」
「じゃあ、どうして?」
「大和さんが、私のために手を差し伸べてくださったからです」
「……え?」
「その優しさを、軽んじてほしくなかったのです」
私は、思わず廬舎那君を見つめました。
……そんなことを考えていたんだ。
「ありがとう、廬舎那君。廬舎那君って、怒ると怖いんだね」
「いえ。まだまだ未熟な証拠です」
「でも、三度までなんだよね?」
「ええ。四度目からは、また一度目として数え直します」
「リセットされるん!?」
廬舎那君は何事もなかったかのように、再び写経を始めました。
その姿を見ていると、なんだか少しだけ胸が温かくなります。
廬舎那君は、今日も穏やかな顔をしています。
怒っているときも、笑っているときも、あまり表情は変わりません。
でも、そんな廬舎那君にも、ちゃんと喜怒哀楽があるんですね。
少しだけ、親近感がわきました。
私のクラスには、大仏がいます。
どうやら、大仏の顔も三度までのようです。
……ただし、四度目からは数え直しですが。




