第2話 大仏君、神戸へ行く。
私、大和撫子は、奈良市にあるごく普通の高校に通う一年生。
だけど、一つだけ普通じゃないことがあります。
「じゃあ、廬舎那。この計算の答えは?」
「先生。すべてのものは、いずれ無に帰するのです」
「いや、答えはゼロちゃうぞ」
私のクラスには、大仏がいます。
名前は廬舎那仏像君。私と同じ高校一年生。
体は普通の高校生。でも、顔だけは完全に奈良の大仏なんです。
「廬舎那、お前ほんまに数学苦手やな」
「ええ。百八までは数えられるのですが……」
「煩悩の数が限界なん!?」
どうやって高校まで進学できたのでしょうか?
「でも、廬舎那君って日本史は得意だよね?」
「はい。ただ、世界史は少々苦手でして」
「え? なんでなん?」
「宗教観が違いすぎて、なかなか理解が追いつかないのです」
「そこは勉強として割り切れや!」
大仏君にも、異文化への理解は難しいようです。
◇ ◇ ◇
今日は校外学習で神戸に来ております。
午前中は先生の引率で神戸の街を見学しました。奈良とは違う都会の景色に、私も少し浮かれてしまいます。
「奈良と比べると、えらい都会やな」
隣を歩いていたクラスメイトが、周囲を見回しながら言いました。
「そうだね。廬舎那君は神戸とか来たりするん?」
「いえ。普段は皆様が奈良まで会いに来てくださるので」
「観光名所側の返答やめろ」
そのため、電車の乗り換えは苦手らしいです。
「私も大阪までは行くことあるけど、神戸まで来るのは初めてかも」
「奈良からだと遠いもんな」
「ところで、神戸には異国の文化が数多く残っているそうですね」
廬舎那君が、興味深そうに街並みを眺めながら言いました。
「そうだね。北野異人館とか有名だよ」
「ぜひ、見学してみたいものです」
「へえ、廬舎那君も興味あるんだ?」
「はい。以前、世界史の授業で話題になったこともございますので」
「校外学習で苦手克服しようとしてる!?」
どうやら、廬舎那君は校外学習に人一倍やる気を出しているみたいです。
◇ ◇ ◇
午後になり、待ちに待った自由時間がやってきました。
先生から午後五時に三ノ宮駅へ集合するように言われ、みんなそれぞれ行きたいところへ向かいます。
「廬舎那君は、やっぱり北野異人館に行くん?」
「はい。異文化交流に勤しもうと思います」
「そんな大層なことじゃないと思うけど……。私も行ったことがないから、一緒に行ってもいい?」
「もちろんです。ご一緒できれば、私も心強いです」
大仏にも、心細いということがあるみたいです。
こうして私たちは、北野異人館へ向かうことになりました。
坂道を歩いていくと、やがておしゃれな洋風の建物が見えてきました。
色鮮やかな外壁に、大きな窓。奈良のお寺とはまったく違う雰囲気です。
「わあ……! 廬舎那君、すごいね!」
「ええ。大変立派な建築物です」
「奈良のお寺とは全然違うね」
「そうですね。屋根の形状も、窓の造りも、実に興味深い」
廬舎那君は建物を見上げながら、じっくりと観察しています。
「廬舎那君、建物に詳しいんだね」
「ええ。私も建物の中で長く過ごしておりますので」
「……廬舎那君、それって住んでたんじゃなくて、安置されてたんじゃないかな?」
世界史克服の道は遠そうです。
それでも、素敵な洋風の建物に私もすっかり見とれてしまいました。
廬舎那君はというと、私以上に熱心に建物を眺めています。
「廬舎那君、楽しい?」
「ええ。知らない文化に触れるというのは、実に素晴らしいことですね」
「ふふっ。よかった」
いつも教室で合掌している廬舎那君が、今日は少しだけ普通の高校生に見えました。
……顔は大仏のままですが。
そんなことを考えながら歩いていると、どこからか小さな泣き声が聞こえてきました。
「……あれ?」
道の端に、小さな男の子が一人で立っています。
目に涙をいっぱいためて、周りをきょろきょろと見回していました。
「廬舎那君、あの子……」
「ええ。少々、困っておられるようですね」
私は男の子に近づき、目線を合わせるようにしゃがみ込みました。
「どうしたの? 迷子になっちゃったの?」
「お母さんとはぐれちゃって……どこにいるのかわからなくて……」
男の子の顔が、みるみるうちにくしゃくしゃになっていきます。
「うわぁぁぁん!」
とうとう大声で泣き始めてしまいました。
「撫子さん……」
「ええ!? 私、何もしてないよ!」
「いえ。そういう意味ではございません」
廬舎那君はゆっくりと男の子の前にしゃがみ込みました。
「お母様とはぐれてしまったのですね」
「……うん」
「それは、さぞ心細かったことでしょう」
「……ぐすっ」
「ですが、ご安心ください。私たちも一緒に考えます」
廬舎那君の穏やかな声に、男の子は少しずつ泣きやんでいきました。
そして、涙を拭いながら廬舎那君の顔をじっと見つめます。
「……あれ?」
「どうされました?」
「……だいぶつさん?」
「はい。よくそう呼ばれます」
否定しないんだ……。
「だいぶつさんも、まいご?」
「ええ。人生という長い旅路では、誰しも道に迷うものです」
「……?」
「廬舎那君、今は本当の迷子の話だよ?」
「これは失礼いたしました」
男の子はきょとんとしたあと、小さく笑いました。
どうやら、少しだけ落ち着いたみたいです。
「お母さんが見つかるまで、お姉さんたちと一緒にいようね」
「うん。ありがとう」
私たちは近くのお店の方に事情を伝え、お母さんを探す手助けをお願いしました。
男の子が不安にならないよう、私たちもそばについて待つことにします。
……あれ?
そういえば、廬舎那君はどこに行ったんだろう?
気がつくと、さっきまで隣にいた廬舎那君の姿がありません。
もしかして、廬舎那君まで迷子に……?
「撫子さん。こちらをどうぞ」
「わっ! 廬舎那君!」
振り返ると、廬舎那君がジュースを片手に戻ってきました。
どうやら、近くの自動販売機まで行っていたみたいです。
「よろしければ、こちらを」
廬舎那君は男の子にジュースを差し出しました。
「ありがとう! 大仏さん!」
「どういたしまして。どうぞ、ゆっくりお召し上がりください」
「大仏さんも飲む?」
「お気持ちだけいただきます」
……なんだか、お供え物みたいになってしまいました。
男の子はジュースを一口飲むと、少し寂しそうにうつむきました。
「お母さん、見つかるかな……」
「絶対に見つかるよ! 安心して!」
「そうですね。まずは会えるという気持ちを絶やさぬことです」
「そうだね……」
男の子はジュースを両手で持ったまま、廬舎那君を見上げました。
「お母さんが、すぐに見つかりますように」
そう言って、廬舎那君に向かって手を合わせました。
「あはは。本当に大仏みたいだね」
私が笑いながら言うと、廬舎那君は静かに右手を上げました。
……あれ?
まさかの、大仏のポーズです。
しかも、それを見た通行人の方まで足を止め、廬舎那君に手を合わせ始めました。
聖地みたいになってる……。
神戸の異人館街に、突如として現れた大仏。
なんとも不思議な光景です。
そんなときでした。
「太郎!」
突然、女性の声が響きました。
振り返ると、一人の女性がこちらに駆け寄ってきます。
「……お母さん!」
太郎君はぱっと顔を上げると、ジュースを握りしめたまま走り出しました。
「太郎! もう、どこに行ってたの!?」
お母さんは太郎君をぎゅっと抱きしめました。
「ごめんなさい……」
「本当に心配したんだから……!」
そう言うお母さんの目にも、涙が浮かんでいます。
よかった。
本当に、よかった。
私も思わず胸をなで下ろしました。
「お母さん! あのね、お姉ちゃんと大仏さんが守ってくれたんだよ!」
「大仏さん……?」
お母さんがこちらを振り返りました。
そして、廬舎那君の姿を見た瞬間――。
「……あら?」
少しだけ固まりました。
まあ、そうなりますよね。
「本当にありがとうございました。この子が無事で、本当によかったです」
お母さんは私たちに向かって、深々と頭を下げました。
「私たちは、ほんの少しお手伝いをしただけです。お母様が太郎君を想う気持ちが、再びお二人を引き合わせたのでしょう」
「そうですよ! 太郎君も、ちゃんとお母さんを待ってて偉かったよ!」
私がそう言うと、太郎君は少し照れくさそうに笑いました。
「何かお礼に、お茶でも……」
「せっかくのお誘いですが、お気持ちだけ受け取らせていただきます」
「太郎君と二人で、おいしいものでも食べてください!」
「本当にありがとうございました。太郎も、ちゃんとお礼を言いなさい」
「お姉ちゃん! 大仏さん! ありがとうございました!」
太郎君は、私たちに向かってぺこりと頭を下げました。
そして、廬舎那君にはもう一度、手を合わせます。
……最後まで拝まれてる。
そうして親子は、手をつないで帰っていきました。
◇ ◇ ◇
「よかったね、廬舎那君」
「ええ。無事に再会できて何よりです」
「ふふっ。今日は廬舎那君のおかげで、いい校外学習になったね」
「いえ。撫子さんが最初に声をかけてくださったからこそです」
「そ、そうかな……?」
なんだか少し照れてしまいました。
そのとき、ふとスマートフォンを取り出すと――。
「……あっ!」
「どうされました?」
「廬舎那君! もう四時四十分だよ!」
「それは……大変ですね」
「三ノ宮駅まで急がないと!」
「ですが、撫子さん」
「な、何!?」
「焦りは、心を乱す原因となります」
「今はちょっと乱して!?」
私は廬舎那君の手を引いて、駅へと急ぎました。
ところが、慣れない神戸の道に少し迷ってしまい、三ノ宮駅に着いた頃には午後五時を過ぎていました。
「お前ら遅いぞ。何してんや?」
先生が腕を組んで、私たちを待っていました。
「す、すみません。ちょっと……」
「先生。迷える者を、あるべき場所へと導いておりました」
「……は?」
「母を求める幼き魂が、帰るべき場所を見失っておりまして」
「お前ら、何の儀式してきたんや!?」
「いえ、迷子の子を助けてただけです……」
普通に説明してくれればいいのに。
事情を聞いた先生は、少し驚いたあと、私たちに「よう頑張ったな」と声をかけてくれました。
ただし、集合時間を守れなかったことについては、しっかり注意されてしまいました。
廬舎那君は、いつものように静かに手を合わせています。
反省しているのでしょうか。
それとも、何かを祈っているのでしょうか。
私には、まだよく分かりません。
でも、一つだけ確かなことがあります。
私のクラスには、大仏がいます。
今日も、誰かの心の拠り所になっていました。




