殺生
殺生という言葉だけは、何度見ても思考が止まるのではなく始まってしまうから嫌になるし、嫌になるという言い方も正しくない、嫌なら見なければいいだけなのに見てしまうし、見れば終わると思っていたものが終わらず、終わらないからまた見て、そのたびに「命を奪うこと」という、誰もが疑いもしない説明が頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えるのだが、その説明は何度繰り返しても「殺」という字にしか触れておらず、「生」という字には一度も触れていないことだけが妙に引っ掛かり、引っ掛かるというより喉に刺さった骨のように飲み込めず吐き出せず、だったら最初から「殺」だけでよかったはずなのに、どうして「生」が残っているのか、その一文字が残っている理由を誰も考えず、考えないまま理解したと言い、理解したと言えば安心し、安心した瞬間に思考を閉じてしまうのだから、私は理解という言葉を信用できず、「殺生」を理解したと言う。
人間もまた信用できず、信用できないというより、その人間は最初から「殺生」を見ておらず、「殺」という見えやすい字だけを拾って満足しているだけで、「生」という見えないほうを捨てたことにすら気付いていないのに、それでもなお知っている顔をしてこの言葉を語る、その軽さだけは何度考えても受け入れられず、受け入れようとするたびに「生」という字だけが私の思考の中へ戻ってきて、まだ終わっていない、まだそこじゃない、まだ考えろと囁き続けるから、結局私は「殺生」という言葉を考えているのではなく、「生」という一文字から逃げられないだけなのかもしれない。




