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五逆罪・十悪  作者: ルーツ


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邪見

 邪見とは、誤った考えのことだと教えられてきた。その説明は理解できた。しかし、理解できたことと納得できたことは同じではなかった。誤ることなら誰にでもある。目に映ったものを見誤ることもあれば、昨日まで正しいと思っていたことが今日になって覆ることもある。それでも人は生きている。誤りに気付き、認識を書き換え、その繰り返しの中で少しずつ昨日とは違う自分になっていく。そのようなものを十悪の一つとして数える理由だけは、どうしても見つけることができなかった。

 誤ることではないのだろうと思った。そうでなければ、人は誰もが邪見になる。しかし、誤りに気付かないことでもないように思えた。人は気付かないこともある。何年も気付かないこともある。それでも、ある日突然、ほんの些細な出来事から自分の認識が間違っていたことを知ることがある。その可能性が残されている限り、人はまだ認識を書き換えることができる。そう考えるたびに、邪見とは誤りそのものではなく、もっと別のところにあるような気がしてならなかった。

 認識とは不思議なものである。見たものをそのまま受け入れているようで、その実、見たものを過去の認識と照らし合わせながら理解している。初めて見るものですら、初めてのまま受け入れているわけではない。知っているものに似ていると考え、違いを探し、その違いをまた知っている何かに結び付ける。その繰り返しの中でしか、人は世界を理解することができない。だから認識は歩く。歩かなければ理解は生まれない。立ち止まった認識から、新しい理解が生まれることはない。

 それなのに、人は認識が歩いていると思い込みながら、同じ場所を歩き続けることがある。新しいものを見ても、それを理解するためではなく、自分が知っていることを確かめるためだけに見てしまう。違うものに出会っても、その違いを受け入れるのではなく、知っているものへ無理に当てはめてしまう。認識は動いている。本人もそう信じている。しかし歩いているのは認識ではなく、確信だけだったのかもしれないと思うことがある。

 そのことを考え始めると、邪見という言葉だけが妙に残る。誤りではない。思い込みでもない。頑固であることとも少し違う。どれも邪見の一部ではあっても、それだけでは邪見にならない。認識は歩くことでしか真実へ近付けない。それなのに、自分では歩いていると信じたまま、もう歩いていない認識がある。その状態だけは、自分自身ではなかなか気付くことができない。むしろ誰よりも考え、誰よりも疑い、誰よりも真実へ近付いていると信じられるからこそ、そこから動けなくなる。

 だから今でも、邪見とは何なのかと問われれば、私は誤った考えだとは答えられない。誤りなら書き換えられる。認識は歩き続けることができる。書き換えられなくなることでもない。その前に何かがある。その何かだけが、どうしても私の中から離れない。そして、その答えを知った者ほど、自分ではもう二度と確かめようとしなくなるのではないかと、それだけは繰り返し思うのである。

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