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第1章9話

一階の冷凍室にあった冷凍ピザをレンジで温めて、星野さんとリビングで一緒に分け合って食べた。


「何か泥棒しているみたいで罪悪感がありますね」


向かいのソファに腰かけている、星野さんが少し困ったような複雑な微笑みを浮かべていた。


「あのまま置いといても、賞味期限が切れてゴミになるだけですから」


「でも、やっぱり悪いです。ふふ」


そうだ、せっかくの二人きりだ。


星野さんに、詩織のことを話す良いチャンスかもしれない。


「星野さん。実は大事な話があるんです」


「だ、大事な話ですか?」  


星野さんの声が少し上ずり、肩が跳ね上がった。


その顔が、熟したリンゴのように真っ赤になっていく。


なぜか、じっと俺を見る瞳が潤んでいる気がする。


「実は詩織のことなんですが」


「詩織さんのことですか……」


一転して、星野さんの視線が一気に凍りついた。


一瞬で、夏から冬になったかと思うほどの温度差だ。


何か悪いことを言ったのだろうか? 俺は戸惑いながらも意を決して切り出した。


「多分、詩織は感染者です」


「え? 本当ですか?」


星野さんは驚いて目を丸くする。


俺は慌てて、詩織の持つ異常な身体能力のこと、それでも今のところは何の害はないことを必死に説明した。


「そうですか……彼女から感染することはないのですかね?」


「ずっとべったりくっつかれてましたが、少なくとも俺は感染していないです」


「何か特殊なタイプなのかも知れませんね。そもそも今回の件はわからないことだらけですし」


「とにかく、今は詩織の力が必要なので、このことはまだ二人だけの秘密でお願いします」


「は、はい、わかりました。二人だけの秘密……ですね。ふふふ」


星野さんは嬉しそうに微笑むと、いつもの優しい穏やかな顔をしている。


彼女が何か大きな勘違いをしている気もしたが、追及するのはやめておいた。


二人で雑談をしながら見張りを終えた後、太田さんと雪村先生に後を託し、俺も束の間の安息についた。


──それから数時間後。


すっかり辺りは暗くなり、外に出て感染者が寝ているか確認する。


路上で雑魚寝をしている感染者を確認すると、俺たちは再び物流センターへと向けて移動を始めた。


満月に照らされる中を数時間歩き続け、ようやく高速道路のインターチェンジへと辿り着いた。


その後、高速道路を慎重に歩いていると、放置された観光バスを見つけたので中で休むことにした。


高速道路に乗り捨てられた車の大渋滞の中、観光バスに身を寄せ、わずかな休憩時間を取っている。


トイレ付きの車両だったのが、せめてもの救いだった。


途中で凛ちゃんが落ちていた空き缶を踏みつけて派手に音を立てた時は肝を冷やしたが、何とかここまで来ることができた。


近くに感染者の姿はなく、周囲は不気味なほどの静寂に包まれている。


今まで高速道路で遭遇した感染者が少なかったのが幸いし、みんなもさほど動揺することなく順調に進んでいる。


あの異常な身体能力の、新種もあれ以来見ていない。


あの個体だけが、特殊だったのならいいのだが。


休憩を終えた俺たちは、今日の寝床を探すため再び歩き始めた。


そろそろみんなの疲労が限界に達しつつある頃、前方に僅かな光とサービスエリアの看板が見えてきた。


希望を持ちつつ歩みを進めたが、そこに近づいた俺たちは、愕然とした。


明かりに照らされるサービスエリアの敷地内には、大勢の感染者が所狭しと横たわり、深い眠りについていた。


百人? いや、それ以上はいるな? あの数が一斉に襲って来たら完全にマズい。


ここはパスだ。


世の中、そうそう上手くいかないな。


俺たちは歩みを続けると、今度はパーキングエリアの看板が視界に飛び込んできた。


恐る恐る近づいていくと、幸運にも小さなパーキングエリアの敷地内には感染者の姿は見えない。


だが、まだ油断はできない。


建物の中に、感染者が潜んでるかもしれない。


手頃な休憩施設が目に入ったので向かっていくと、壊れているのか自動ドアが開いていた。


明かりが消えていたため、ペンライトの光を頼りに施設内へと静かに足を踏み入れる。


中にいた数名の感染者を俺と太田さんと山手線コンビで手早く片付けると、入り口やガラス張りの部分に頑丈なバリケードを築いた。


いざというとき裏側のドアから逃げるスペースを確保し、俺たちはバックヤードの頑丈そうな倉庫を寝床にすることにした。


最初の見張りは山手線コンビが担当してくれたので、俺は身体を休めるため眠りについた。


次の見張りは今回も俺と星野さんコンビで担当、詩織は今日も陽咲にピッタリと付き添ってくれている。


この二日間、ロクに休みもせず移動続きだったのでみんな疲れているのだろう、倉庫内は小さな寝息が聞こえてくるだけで静まり返っている。


外がすっかり明るくなった昼間、俺と星野さんは横並びで椅子に座り、バリケードの隙間から外の様子を眺めていた。


「先ほどのサービスエリアと違って感染者はいないみたいですね」


星野さんがホッとした顔をしている。


「そうですね。あちらのサービスエリアは明かりが点いてましたし、微かにBGMも流れてましたから、明かりと音に引き寄せられて集まって来たのかも知れませんね」


やはり明かりと音は気を付けないといけないな。


「なるほど。ここは誰かがわざと電気を消したんですかね? でも、よく気づきましたね」


星野さんが頬に手を当て小首を傾げる。


「色々と観察してしまうのが癖なもんで。はははっ」


まあ、元ホストとしての職業病かもしれない。


「桜井さんって頼りがいがありますよね。とても助かってます。ふふ」


「そうですかね? 星野さんにも色々と助けてもらってますが、特に笑顔にはいつも癒されてます」


その聖母のような微笑みを見るたびに、殺伐としている心の中がホッとする。 


「そ、そうですかね? ありがとうございます」


星野さんは耳まで真っ赤にして照れている。


その時、急にゾクリと背中に悪寒を感じたので振り返ると、詩織が虚ろな目でこちらをじっと見つめたまま、ゆらゆらと立っていた。


俺が咄嗟にプロの営業スマイルを浮かべると、彼女は何事もなかったようにゆらりと倉庫の闇へと戻っていった。


冷や汗をかきつつ見張りを終えると、夜の帳が下り、辺りは静寂の闇へと包まれた。


俺たちはパーキングエリアを後にすると、相変わらず乗り捨てられた車で渋滞している高速道路を歩き出した。


歩いている途中、人間か感染者かわからない頭を潰された遺体があちこちに転がっていた。


何か嫌な予感が拭えないまま歩いていると、女性のような、しかし、獣じみた呻き声が聞こえてきた。


俺はみんなにここに残るよう促し、一人で様子を見に行くことにした。


スコップを握りしめ慎重に足を進めると、俺はその光景に言葉を失った。


あの時の備蓄倉庫で遭遇した新種と同じ、筋肉が異常に発達した男女の個体が車の陰で獣のように交わっていたのだ。


マジかよっ? 本能でやってるだけなのか? それとも子供を作ろうとしてるのか? もしこれで繁殖まで始めたとしたら、この先どんどん増え続けていくことになるな……。


感染者たちは行為を終えると、そのまま横になり、死んだように眠りについた。


俺は寝ているやつらを刺激しないよう、静かにその場を離れた。


みんなの元に戻り、新種がいることを説明すると、今まで以上に音を消して、神経を研ぎ澄ませて歩みを進める。


そして、寝ているやつらの傍を通りすぎる時に──先ほどまで美里さんに抱っこされて寝ていたはずの彩芽ちゃんが、突然目を覚まし泣き出した。


すると、新種の感染者たちが、眠りから目を覚まし立ち上がった。


みんなで一斉に車の陰に隠れたが、彩芽ちゃんが泣き止んでくれずやつらに気付かれた。


マズい!!


俺はすぐさまやつらに近づき、自分に気を引かせるため、乗り捨てられた車をスコップで叩いて音を立て、派手にアピールした。


男が俺に狙いを定めると、物凄いスピードで迫ってきた。


身構える間もなく、咄嗟にスウェーで拳を回避する。


ゴオッ!


空振りした風切り音が普通ではない。


だが、すぐに迎撃の拳が鼻先に近づく。


再び、間一髪で避けたが、今度は膝蹴りが飛んできた。


バックステップが間に合わないと判断した俺は、手にしたスコップで膝をフルスイングで追撃したが──膝蹴りの衝撃に耐えきれずそのままスコップは吹っ飛んだ。


俺が慌ててスコップを拾いに行こうとした時、女が動き出したのが視界に入った。


女は泣いてる彩芽ちゃんに気付き、ゆっくりと近づいていく。


祐一さんと美里さんが彩芽ちゃんを庇うように覆いかぶさるが、首を掴まれ二人はそのまま力任せにぶん投げられると、車のフレームに頭部と胸部を激しく打ち付け、身体が痙攣したのち動かなくなった。


ヤバい! 詩織は何してる? 


詩織に目をやると、陽咲を守るように前に立ち、飛び出そうとする彼女を押し留めている。


ちっ! 俺が行くしかない。


その時、近くにいた太田さんと渋谷と目黒がこちらに駆け付け、男の頭や体にスコップを叩きつけた──が、男はビクともせず、強引に腕で振り払い三人を吹っ飛ばした。


男は意識がなく、ぐったりしている渋谷の胸ぐらを鷲掴みにすると、ゴミのように後方へと放り投げた。


渋谷の身体は宙を舞い、後ろに停まっていた車の屋根の上に落ちた。


すぐさま男は立ち上がろうとしている太田さんと目黒の方に向かうと、首を鷲掴みにして持ち上げ、そのまま停まっている車のボンネットに叩きつけた。


ガシャン!


金属音とともに車のボディが凹み、二人の首がありえない方向に曲がっている。


あれでは即死だ……。


男は遊んでいるかのように、何度も何度も二人を車に叩きつけている。


男の関心が太田さんと目黒にいってる隙に、俺は急いで弾き飛ばされた自分のスコップを拾い彩芽ちゃんの元に走り出した。


前方で女が彩芽ちゃんのもとへと向かおうとしていると、小さな影が女を遮るように横切った。


凛ちゃんが女の前に立ちはだかり、彩芽ちゃんを守るように、小さな身体を震わせながら両手を広げている。


「凛ちゃん!?」


陽咲の絶叫が耳に響き渡った。


「「尾花さん!」」


星野さんと雪村先生が凛ちゃんの元に駆け出した。


俺も必死に、凛ちゃんの元へと全力で走ったが……。


凛ちゃんたちに近づくと女の蹴りが飛んで来たので、俺は咄嗟に後方へと転がりながら避けた。


俺はすぐに立ち上がろうとすると、女を目の前にして、涙を浮かべている凛ちゃんを見て時間が凍りつく。


ダメだ、蹴りを避けるために距離ができてしまった。


間に合わない──!!


そう思った瞬間、凛ちゃんが……!


「きゃーっ!」


という凛ちゃんの悲鳴が上がった時には、すでに遅かった。


女の感染者に頭を掴まれ、小柄な凛ちゃんの身体が宙を舞う。


そのまま高く持ち上げられた彼女は、容赦なくアスファルトの地面へと頭から叩きつけられた。


グシャッ!


脳裏にこびりつくような、嫌な潰れる音が耳に響き渡った。


「凛ちゃぁぁぁん!」


彼女の頭は見る陰もなく形を失っていた。


間に合わなかった星野さんと雪村先生が、顔を真っ青にしてその場にへたり込んでいる。


女の視線が彩芽ちゃんに向かったため、俺は慌ててスコップを女の頭に思い切り叩き込んだ。


ガンッ!


女が一瞬怯んだように見えたが、すぐさま俺を見返し薄ら笑いを浮かべた。


凛ちゃんが殺された怒りで頭が真っ白になり、女の頭に何度も何度もスコップを叩きつける。


だが、コンクリートの壁を叩いたような鈍い手応えしかなく、女はビクともしない。


俺の攻撃は全く届かない。  


無力感と焦燥ばかりが胸を焼き尽くしていく。


仇を取れなくてごめん……凛ちゃん……。


女の拳が俺に向かってくるその時だった。


詩織が物凄い勢いで飛び出してきたのが視界に入った。


ゴオッ──!!


空気を切り裂く物凄い音が響き──いつの間にか踏み込んでいた詩織が、女の頭を掴み、アスファルトに叩きつけていた。


女の頭は、凛ちゃんと同じようにぐしゃぐしゃに粉砕されていた。


詩織は振り返って微かに微笑み、俺のもとへ駆け寄り、そのまま抱え上げて後方へと跳んだ。


わけもわからず前を見れば、男の感染者が乗り捨てられた車を持上げ、俺たちが先ほどまでいた場所に振り下ろしていた。


詩織は俺をそっと下ろすと疾風のように駆け出し、男の腹へ容赦のない蹴りを叩き込む。


男は物凄い勢いで、後方に吹っ飛んで倒れた。


その隙に俺は泣いている彩芽ちゃんを抱っこすると、すかさず詩織たちから離れた。


詩織はゆっくりと男に近づくと、虫けらを潰すように拳で男の頭を貫いた。


男の頭は無惨に破壊され、完全に動きを停止した。


それを確認した詩織は俺を見つめながら、満足そうに微笑んだ。


背中に冷たいものが走った。


傍にいた鈴原さんに彩芽ちゃんを預けると、俺は祐一さんと美里さんの傍に駆け寄った。


しかし、二人の頭部と胸部の骨は完全に砕けており、すでに息絶えていた。


すると、背後から突然呻き声がしたので振り返ると、渋谷がフラフラしながら立ち上がっていた。


頭から血を流し、怪我を負っているようだが奇跡的にも命には別状はないようだ。


車のサンルーフが上手いことクッションになったのかもしれない。


それを見た星野さんと雪村先生が駆け寄り、すぐに渋谷の手当てを始めた。


綺麗なワームムーンが輝く空の下で、俺は凛ちゃんの冷たくなっていく亡き骸を抱きしめ、陽咲やみんなと共に、ただただ泣き叫んでいた。


誰も守れなかったという圧倒的な絶望と虚無感が、胸の奥を鋭く締め付けていた。


俺たちは高速道路の脇の森に凛ちゃんと目黒と太田さん、祐一さんと美里さんに軽く土をかけて弔うと、他の感染者たちが音に寄ってくる前に再び前へと歩き始めた。

読んでくださりありがとうございました

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