第1章第10話
凛ちゃんたちを失ってから、俺たちは無言で歩き続けた。
両親を失った彩芽ちゃんは、泣き疲れて陽咲の腕の中で寝ている。
道中、遭遇した感染者たちは詩織があっさり倒してくれたため、想定より早くここまで来ることができた。
みんな明らかに普通の人間ではない詩織のことを怖がるかと思ったが、すでに味方と認定されていたみたいで、怖がるよりも頼もしい仲間として受け入れられたみたいだ。
目的地であるホームセンターの物流センターがある最寄りのインターチェンジに辿り着いたものの、そこまではまだ距離がある。
高速道路を降りた俺たちは、ひとまず夜まで身を隠せる建物がないか探していた。
「恭伸さん。あそこなんか良いんじゃありませんか?」
俺の隣を歩いている九条さんが、一棟のマンションを指差した。
「良さそうだね。行ってみようか」
「……あの、凛さんのことは恭伸さんのせいではありませんから。あまり落ち込まないでください」
どうやら無意識のうちに顔に出てしまっていたようだ。
しかし、中学生に心配されるとはな。
まあ、卒業式は行われなかったが、厳密にはもう中学生ではないか……とはいえまだ子供だ。
大人が足を引っ張る訳にはいかない。
悲しむのは後だ。
何より今は陽咲を守るために、無理にでも気持ちを切り替えなきゃな……。
「大丈夫だよ。九条さん。心配してくれてありがとう」
俺は努めて明るく営業スマイルを浮かべて、九条さんをじっと見つめた。
「い、いえ、あの、そんなにじっと見つめないでください」
九条さんが顔を真っ赤にして照れている。
「あ、ごめんごめん」
「あ、あの、よろしかったら莉子って呼んで下さい」
「わかったよ。莉子ちゃん」
「ふふ、嬉しいです」
莉子ちゃんはとても嬉しそうに微笑みを浮かべていた。
綺麗な日本人形のような和風美人だが、笑うとまだあどけなさが残る十五歳の女の子だな。
「抜け駆けはずるいよ。莉子」
悪戯っぽい笑顔を浮かべて、鈴原さんが後ろから声を掛けてきた。
「そ、そんなんじゃないですから」
莉子ちゃんの顔が再び林檎のように真っ赤になった。
「恭伸さん。私のことも小麦って呼んで下さいね」
そう言うと、小麦ちゃんはウインクをした。
はっきり言って、この子は他の子とは次元が違う、大人っぽい雰囲気を醸し出している。
背も高く、スレンダーで本当にこの前まで中学生だったのかと疑うレベルだ。
でも、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ気がした。
そんな会話を交わしているうちに、俺たちはマンションのエントランス前へと着いた。
十階建てくらいの建物だろうか。
エントランスに足を踏み入れようと思った時、頭上から声を掛けられた。
「おい、何してるんだ! ここは俺たちのマンションだぞ! 入って来るんじゃない!」
見上げると、二階のベランダに三十代後半くらいの男がこちらを睨み下ろしている。
どうやら、先客がいたようだ。
「あの、一日だけいいんです。中で泊まらせてくれませんかね?」
「ダメだ! そんな大人数を入れるわけにはいかない! 飲み物や食べ物もそんなにないんだ!」
「自分たちの食料と飲料水はあるのでそちらからは頂きません。夜になったら出ていきますのでお願いします」
「食料と飲料水を持っているのか?……ちょっと待ってなさい!」
食料と聞いて、男の目の色が変わった気がした。
少し待つと、エントランスの自動ドアが開けられ、二十代後半くらいの二人の男が顔を出した。
「手に持っているスコップやバール、高枝切りバサミ、武器になりそうな物は私たちに渡してください」
「なっ、何で渡さなきゃいけないんだ! これは俺たちの物だぞ」
渋谷が嫌悪感を示して、激しく抵抗した。
「マンションの中の平和を保つためです。協力をお願いします。私たちは武器になりそうな物は持ってないですよ」
男たちは上着の中を見せると、両手を広げた。
「ここは言うことを聞いとこう」
「えっ? いいんですか? 恭伸さん」
渋谷がきょとんとした顔をしている。
「ああ、初対面の俺たちのことが信用できないのは当たり前のことだからな」
俺はみんなを制するように口元に人差し指を当てサインを送り、スコップとバール、高枝切りバサミを男たちに手渡した。
そして、わざとらしく上着を脱いで何も持ってないことをアピールした。
俺の行動を見ていた渋谷たち男性陣も俺の真似をして、上着をめくって何も隠し持ってないことを見せた。
男たちは女性陣は子供ばかりと舐めていたのか、ボディチェックをしなかった。
女性陣にはこんな時のために、学校で護身用の包丁を渡していた。
「よし、入っていいぞ」
薄暗いマンションの中へと足を踏み入れた。
すると、目の前にあるエレベーターの中からさっきベランダにいた男が現れた。
「階段はバリケードを張ってあるので通れない。このエレベーターを使ってくれ」
「感染者たちはいないんですか?」
「感染者? ああ、ゾンビか、マンションの人たち全員で協力して駆除したからいない」
駆除したか……。
俺たちは二基のエレベーターに分かれて二階へ上がると、三十代から五十代くらいのバットやゴルフクラブなどの武器を持った十人以上の男たちが、左右の廊下の奥から歩いてきて完全に挟まれた。
「さて、食料と飲料水を渡してもらおうか」
先ほどベランダにいた男が近づいてきた。
「やっぱりそれが狙いだったか」
俺は面倒くさそうに頭を掻いた。
「当たり前だろ。ついでに女たちも貰おうか。へへ」
男たちは勝ち誇ったような、薄気味悪い笑みを浮かべている。
隣にいる詩織に小声で『もし、危なくなった時は陽咲たちを頼む。まあ、大丈夫だと思うけど』と告げると、詩織は小さな微笑みを浮かべた。
俺は何の抵抗もすることなく、食料と飲料水が入ったバッグを男たちに差し出し、女性陣がマンションの部屋へ連れていかれるのを眺めていた。
「お前らはマンションから早く出てけよ。ふふ」
三十代前半くらいの男二人組が、俺たちから奪ったスコップを向けて威嚇する。
「いや、そういうわけにはいかないんだよ」
俺はすぐさま、スコップの柄を掴むと、男の横っ腹にミドルキックを叩き込んだ。
男は腹を抑えて悶絶している。
「行け! お前ら!」
叫ぶもう一人の男には、渋谷たちが三人がかりで掴みかかり、一瞬で制圧した。
そうしてしばらくすると、女性陣が連れていかれたマンションの部屋から、悲鳴とともに血だらけの男たちが次々と逃げるように飛び出してきた。
護身用に女性陣の服の中に忍ばせていた包丁が、効果を発揮した。
男たちは腕や足に包丁で切られた傷はあるが、致命傷は見当たらない。
その後は簡単だった。
スコップなどの武器とリュックを奪い返すと、渋谷たち男性陣にリュックから結束バンドを取り出し、手負いの男たちを拘束するように命じた。
それから女性陣の様子を伺う。
陽咲と星野さん以外の女性陣はみんな血の付いた包丁を握りしめている。
やっぱりあの二人には無理だったか……でも、殺伐としている世界の中では優しすぎる二人が必要なのかもしれない。
そんな中、目を引いたのは一ノ瀬さんだった。
初めて会った時はあんなにおどおどしていたのに、武器を持った途端あんな堂々とした感じになるのか。
大量の返り血を浴びているので、彼女が一番大暴れしたのだろう。
あれ? 詩織がいない。
どこ行ったんだ?
「恭伸さん。とどめを刺した方がいいのではないですか?」
一ノ瀬さんが、虫けらを見るように男たちを見下している。
その言葉に男たちは、顔を蒼白にしてガタガタと震えていた。
「まあ、少し話を聞いてから決めようよ」
俺は一ノ瀬さんを宥めるように、ポンと軽く一ノ瀬さんの肩を叩いた。
拘束した男たちを廊下で尋問していたら、他の部屋にも人がいることがわかった。
部屋に入ると、何とも言えない悪臭が鼻につく。
リビングには、ぼろぼろの服を着た八人の女性たちが床に座っていた。
男たちも黒岩たちと変わらない連中だったか………さて、どうしたものか……。
俺は営業スマイルを浮かべ、もう大丈夫だということを女性たちに伝えて安心させた。
女性たちを他の部屋に避難させてから話を聞くと、男たちに力ずくで乱暴されていたらしい。
そして、食料や飲料水が底をついてきたため女性たちにはほとんど与えられてなかった。
その後は男たちをマンションの部屋に閉じ込め、中央階段にみんなでバリケードを張ると、
夜になるまで睡眠を取ることにした。
部屋に行く前に俺は、食べ物とミネラルウォーターを監禁されていた女性たちに配るように星野さんにお願いした。
マンションには部屋がたくさんあるため、久しぶりに、一人でベッドに寝ることができる。
部屋に入ろうとしたところで。背後から女性に声を掛けられた。
「すみません……ちょっといいですか……?」
「はい? 何ですか?」
まだ二十代前半くらいだろうか? マッシュショートが似合うかなりの美人。
監禁されていた女性の一人だ。
俺は彼女を部屋に招き入れると、リビングのソファに腰掛けた。
「寝るところだったのにすみません」
女性はペコリと頭を下げた。
「いえ、大丈夫です。何か用ですか?」
「あの私たちも仲間に入れてくれませんか? 何でもしますので」
彼女は俺の隣に座ると、首に手を回し抱きついてきた。
俺は彼女の両肩を掴むと、冷静にその体を自分から引き離した。
「そういうのはいいから」
「え? でもっ」
「仲間にはするが、もっと他のことで協力してくれると助かる」
俺は彼女の目を真剣に見つめた。
「……は、はい、わかりました」
「自己紹介がまだだったな。俺は桜井恭伸だ。よろしくな」
「私は桃川紅葉です。よろしくお願いします」
聞けば、桃川さんは大学生で、このマンションには家族で住んでいたらしい。
ちょうど、家族は出掛けて、彼女が一人でいた時にパンデミックが起こった。
最初は感染を逃れた者同士で協力していたが、次第に男たちが仕切るようになり、監禁され欲望の捌け口にされた。
黒岩たちもそうだったが、パンデミック下の極限状態とはいえ、男は何でこんなにも愚かになるのだろうか? 性欲をみたす前にやるべきことは他に山ほどあるだろう……。
「もう戻りなよ。俺の仲間に食事と飲み物を部屋に届けるようにさっき頼んどいたから、食事をしたらゆっくり休むといい」
俺は桃川さんに、部屋に戻るように促そうとした時。
「きゃー!!」
突然、女性の悲鳴が聞こえた。
急いでソファから立ち上がり廊下に出ると、陽咲と莉子ちゃんと小麦ちゃんが走ってきた。
陽咲は俺を見つけると、すぐに駆け寄り胸に飛び込んできた。
「お兄ちゃん! 食料と飲料水を持って行こうとしたら廊下に大勢の感染者がいたの!」
「何だって!? 大丈夫だったか?」
「うん、私たちは大丈夫……でも、星野先生が私を庇って……噛まれたの……ううっ」
俺が寝ていた部屋にみんなを避難させると、スコップを握りしめ感染者が出たという廊下に向かった。
廊下に向かうと、大勢の感染者が廊下に雪崩れ込んでいた。
奥にある鍵が閉められていた非常階段の扉がなぜか開いており、どうやらそこから感染者たちが流れ込んできたみたいだ。
非常階段の前には詩織が静かに佇んでいた。
何で詩織が? 詩織が開けたのか?
監禁されていた女性たちがすでに感染者になっている。
侵入してきた感染者に噛まれて、彼女たちも感染したのか。
その感染者たちに囲まれている、一人を見て俺は愕然とした。
星野さんが、感染者たちに群がられ、生肉を貪るように噛みつかれていた。
俺は慌ててスコップを感染者たちの頭部へと振り下ろし、星野さんから引き剥がした。
星野さんは虚ろな目をしているが、意識はまだある。
「……二人は大丈夫でしたか?」
「はい、陽咲と小麦ちゃんは無事です」
「……良かったぁ。桜井さん……お願いがあるんです」
「何ですか? 何でも言ってください」
俺は星野さんを優しくそっと抱きしめた。
「……私は誰かを傷つけたくありません……感染者になる前に私を殺してください……」
「……えっ?」
俺が躊躇していると、詩織がゆっくりと近づいてきた。
詩織は、俺が抱きしめている星野さんをじっと見つめている。
その時、星野さんが突然痙攣を起こし、様子がおかしくなった。
俺は慌てて体から引き離すと、彼女の目が血走っていき、よだれを垂らしだした。
そして、大きく口を開けて俺に襲いかかろうとした。
ダメだ、手が出ない……!
覚悟を決めきれない俺の横から、詩織の物凄い蹴りが飛んできた。
「星野さん……っ!?」
大声で叫ぶ俺の目の前で、彼女の頭部は詩織によって蹴り飛ばされ容赦なく破壊された。
昨日までの優しい微笑みを浮かべていた彼女の面影は、そこにはもうなかった。
彼女の笑顔に癒されることはもう二度とない……。
俺が絶望する中で、返り血に濡れた詩織が、満足そうに微笑んでいた。
何でこんなことになった……? まさか詩織が感染者を連れ込んだのか?
読んでくださりありがとうございました




