第1章第3話
叫ぼうとしたが、俺は叫ぶより先に、身体が本能的に動いていた。
陽咲の肩に、血塗られた手があと数センチで届く──そのすんでのところで、俺は背後から男の襟首を掴み、力任せに後ろへと引き剥がした。
豪快に地面へ転がった男の頭部へ逃がさず一歩踏み込み、思いっきり男の頭に金属バットを打ち下ろした。
男はピクリとも動かなくなった。
陽咲はすぐさま俺の傍に駆け寄ると、抱きついてきた。
気持ちを落ち着かせ呼吸を整えると、俺はまだ震えている陽咲の頭を優しく撫でた。
俺の命に代えても、お前だけは絶対に守る。
凛ちゃんも小走りでやってきて、抱きついてきたので頭を軽く撫でた。
周囲を警戒したが、倒れた感染者たちは微動だにしない。
目の前の感染者たちは、何とか退けることができた。
俺は陽咲と凛ちゃんを体から離し、息絶えた彼らに静かに手を合わせると、中年男性と若い女性に深々と頭を下げた。
「妹たちを守ってくれて、ありがとうございました」
「いえいえ、気にしないでください。私は用務員をやっている太田茂と申します」
太田さんは落ち着いた雰囲気で、優しい笑みを浮かべている。
「私は養護教諭をしている星野唯愛です。桜井恭伸さん……ですよね? 一度お会いしていますよね?」
端正な顔立ちをしていてとても綺麗だが、どこか聖母のような優しい雰囲気を醸し出している。
以前、一度会った事があるので覚えている。
「ええ、陽咲の兄の桜井です。陽咲が大怪我した時にはお世話になりました」
「大怪我って、軽い捻挫ですけどね。ふふ」
星野さんは豊満な胸元にそっと手を添え、苦笑いを浮かべていた。
「あの時はお兄ちゃんが『大丈夫か! 陽咲ぁぁぁ!!』って泣き叫びながら保健室に来るんだもん、本当に恥ずかしかったよ」
「あれのせいで、お兄さんは保健室の人たちやうちのクラスのちょっとした有名人になったんだよね」
そうなの? 初耳なんだけど?
「保健室へ入りましょう」
星野さんが保健室のドアを三回ノックする。
「もう大丈夫よ。開けてくれる」
星野さんがそう言うと、ゆっくりと保健室のドアが開いた。
星野さんに促され保健室に入ると、怯えた顔をした生徒たちが身を寄せていた。
俺と陽咲、凛ちゃんに太田さんと星野さんを加えた五人。
それに元からいた男子生徒四人と女子生徒一人の計五人。
合わせて全員で十人だ。
すると、一人の女子生徒が陽咲と凛ちゃんに駆け寄ってきた。
「桜井先輩! 尾花先輩!」
「紗莉渚ちゃん。無事だったんだね。良かったぁ」
陽咲は紗莉渚ちゃんを優しく抱き寄せていた。
凛ちゃんも紗莉渚ちゃんの背中を宥めるように軽く擦っている。
卓球部の後輩の瑞原紗莉渚ちゃんだ。
陽咲の試合を見に行った時に何度か顔を合わせたことがある。
陽咲と凛ちゃんは三年間卓球部だった。
「どこか怪我はないですか? 随分と服がボロボロですけど」
星野さんが、心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
えっ? 今まで気にする暇がなかったが、自分の姿をよく見たらスーツがあちこち破けていた。
おまけにスーツにも、返り血がベッタリ付いて汚れている。
「こんな姿ですが、怪我はないです」
俺は星野さんを見つめると、営業スマイルで微笑む。
前の世界の癖で、女性相手だとついついやってしまう。
「そ、それなら良かったです」
彼女は少し頬を染め、視線を泳がせた。
「お兄ちゃん。お尻も破けてるよ」
陽咲が、口元を押さえてクスクスと笑う。
他の人たちにも笑みがこぼれ、少し場が和んだ。
「奥にシャワールームがあるので手や顔を洗うのに使ってください。貸出用のジャージがあるので持って来ますね」
星野さんが備品戸棚からタオルとジャージを取り出し、手渡してくれた。
「ありがとうございます」
俺は促されるがままシャワールームで手や顔の汚れを洗い流すと、着ていたスーツをビニール袋に捨て、ジャージへと着替えた。
今の俺の実年齢は、前の世界より若返っているとはいえ、二十五歳だ。
まさか、この歳で中学校のジャージを着ることになるとは。
しかし、俺の身長は百八十センチ以上あるのだが、サイズは合うのかな? まあ、最近の中学生は大きい子も多いしな。
いざ着てみたら明らかにサイズが小さい……完全に手首と足首が露出して、七分丈みたいになってるんだが……。
みんなの元へ戻ると、室内の視線が一斉に俺へと集中した。
何だ、この生温かい目は……。
「パッツンパッツンじゃん。お兄ちゃん」
陽咲は明らかにおどけた顔して、ケラケラと笑っている。
「わあ、小学生の男の子みたいで可愛いです」
ぱあっと明るい笑顔を見せる凛ちゃん。
それは褒め言葉と捉えていいのかな?……凛ちゃん……。
「すみません。やっぱり小さいですよね。一番大きなサイズなんですが……」
星野さんが、本当に申し訳無さそうな顔をしていて心が痛い。
他の連中も、さっきまでの絶望的な顔はどこへやら、クスクスと肩を揺らして笑うのを堪えている。
まあ、場の空気が和むのはいいことなんだが、なんか納得いかない。
大体、さっきまで地獄絵図だったのに、この温度差はなんだ……。
「しかし、あの連中はどうしちゃったんだろうな?」
俺は保健の先生に尋ねた。
「多分、何らかの感染症かと思われます。噛まれると感染するみたいで……」
「まるでゾンビ映画の世界ですね」
「ええ、噛みつかれると、数十秒もせずに変貌してしまうみたいで……でも、脳を破壊すれば動かなくなるみたいです」
「なるほど……本当にゾンビみたいですね」
「とりあえず、ここで助けを待つしかないですね。通報しようと思ったのですが、警察も救急も全然電話が繋がらなくて……」
気丈に笑顔を見せるが、彼女の足がほんの少し震えているのを俺は見逃さなかった。
生徒の手前、不安な気持ちを隠しているのだろう。
さすがプロの養護教諭だな。
「でも、ここ大丈夫ですかね?」
保健室のドアは頑丈そうだが、窓とかそのままでは少々心許ない気がする。
「スチールドアなので、ドアは大丈夫だと思いますが」
俺は改めて保健室の中を見渡すと、窓はカーテンやシーツで覆われ中を覗かれないようにしている。
バリケードも作っておいた方がいいかもな。
みんなに手伝ってもらおう。
俺は保健室内を見渡すと、みんなに声を掛けた。
「とりあえず、ここで救助を待つとしても、ドアや窓を壊されると危険なので、バリケードを作りましょう」
「そうですね。その方が安心ですね」
星野さんは納得した様子で大きく頷いた。
「男性陣は、俺と一緒にキャビネットや大型ロッカーをドアの前に運ぶのを手伝ってくれ。女性陣は、窓にガムテープを米の字に貼ってくれ」
俺が簡単な指示を出すと、みんなが一斉に動き出した。
大型ロッカーを運ぼうとしていると、太田さんが手伝ってくれた。
もし、落として大きな音を出したら、感染者が寄って来てしまうかもしれない。
俺たちは慎重にロッカーを運んだ。
「桜井のお兄さん、俺たちあのロッカーを運びますね」
ベリーショートとソフトモヒカンの、体格のいい、いかにも運動部といった風貌の二人組が名乗り出てきた。
「ああ、それは窓があるところへ運んでくれ」
「はい、自分は渋谷龍太郎です」
ベリーショートの男子は、礼儀正しく頭を下げた。
「俺は目黒佑希です」
渋谷に続いてソフトモヒカンの男子が、ペコリと頭を下げた。
すると、いかにも陰キャですって感じのナチュラルショートの二人組も続いてやって来た。
「あ、あの、僕たちはキャビネットを運びます。僕は不知火蓮です」
「ぼ、僕は西園寺悠真です」
不知火は痩せていて、西園寺はポッチャリしている。
しかし、二人とも無駄に名前がカッコいいな。
ふと女性陣に目をやると、ガムテープを貼るのに苦戦していた。
いかんせん星野さん以外は小柄な子ばかりだ。
高いところが届いてない。
「渋谷と目黒。こっちはもういいから女性陣を手伝ってやってくれ」
「「了解です」」
俺は二人に女性陣の手伝いをするよう促した。
残りのロッカーは俺と太田さんで運び、キャビネットは不知火と西園寺に任せた。
全員で力を合わせて作業し、やがて頑丈なバリケードは完成した。
やがてやってくる夜に備えて、今のうちに遮光カーテンの隙間をクリップで留めた。
ふう、これでひとまずは安心だろう。
星野さんから貰ったタオルで汗を拭っていると、凛ちゃんがいそいそと丸椅子を一脚抱えて持ってきてくれた。
「お兄さん。座ってください」
俺は有り難く腰を下ろした──次の瞬間。
気がつけば凛ちゃんが、俺の膝の上にちょこんと座った。
「凛ちゃん! なんでお兄ちゃんの膝の上に座るの!」
それを見た陽咲が、声を殺し物凄い剣幕で食ってかかる。
「陽咲。大きな声出しちゃダメだよ。あいつらが寄ってきちゃうよ。それに……椅子がもうないんだし仕方ないでしょ?」
「あっちにいっぱい積み重なってるのは何! それにソファだって空いてるじゃない!」
「お兄さんの膝の上がいいんだもん。いいよね? お兄さん?」
「まあ、別に構わないが……」
陽咲が般若のような顔で凛ちゃんを睨みつけているが、凛ちゃんはどこ吹く風で、俺の膝の上で猫のようにご機嫌にしている。
観念したのか、陽咲は俺の隣に丸椅子を持ってきて渋々といった様子で腰掛けた。
そんな光景を星野さんが、微笑ましく見つめていた。
その後、俺たちは保健室でじっと身を潜めて、静かに助けが来るのを待っていた。
ふと陽咲を見ると、嬉しそうな顔をしてスマホを眺めていた。
「どうしたんだ? 陽咲」
俺は陽咲に向かって囁いた。
「友達にメッセージ送ったんだけど……返信が来なくて……でも、今見たら返信が来てたの……四階の防災備品倉庫に避難してるって」
「通信状態が悪いから遅延したんだろ、無事で良かったな」
「うん、本当に良かった」
陽咲は心配そうにスマホの画面を見つめている。
「莉子から返信が来たの?」
膝の上に乗っている凛ちゃんが、陽咲に尋ねた。
「うん、愛海ちゃんと小麦ちゃんと一緒に、四階の防災備品倉庫に避難してるって」
「そうなんだ。良かったぁ」
凛ちゃんはホッとしたようで、安堵の表情をしている。
たまに遠くから感染者の唸り声が聞こえてくるたびに、膝の上の凛ちゃんが体を小刻みに震わせていた。
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