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第1章第2話

俺はふとおかしな事に気づいた。


詩織の周囲にはかなりの数の感染者がいるが、彼らは彼女に全く関心を示さず、まるで存在しないかのように完全にスルーしている。


なぜ感染者たちは彼女を襲わない? すでに向こう側に行ってしまったのか?──いや、考えるのは後だ。


今は陽咲を助けるのが先だ。


俺は罪悪感を押し殺した。


ここで立ち止まる訳にはいかない。


脚を止めず、ひたすら走り続けた。


すれ違いざまに一瞬だけ、彼女が俺を見て少しだけ微笑んだ気がした。


店で俺を見つめていた時の微笑みと重なり、罪悪感と恐怖で背筋が凍りついた。


この世界では詩織と俺は出会っていないはずなのに、まさか、あいつも前の世界の記憶があるのか……?


中学校の正門に着き、学校の敷地内に入ると感染者に襲われ逃げ惑う生徒や大人でごった返していた。


俺は荒い息を整えると、二階の女子トイレへ向かうため校舎の中へと足を踏み入れる。


そこは凍りつくような静寂に包まれていた。


鉄のような血の匂いが鼻につく。


そして、廊下に広がる大量の血痕。


明らかに、常軌を逸した異様な光景だ。


そんな中、廊下の壁に掛けられている金属棒が目に入った。


ん? あれはさすまたか?


俺はさすまたを手に取ると、両手で掴んで身構えた。


殴り倒すような武器にはできないが、襲われた時に距離を取る事ができる。


今はこれで十分だ。


俺は慎重に陽咲がいるはずの、二階の女子トイレへと歩みを始めた……。


中央階段を上り、二階に上がる途中の踊り場に辿り着いたその時。


上から下りてきた、口元を血で真っ赤にした男子生徒二人と鉢合わせになった。


彼らは俺に気づくと、狂った目で同時に襲いかかってきた。


俺は壁際まで下がって男子生徒を引き付ける。


寄ってきた男子生徒をさすまたのU字の部分で喉元を押さえつけ、そのまま強引に後方へと押し込むと、後から迫ってきたもう一人を巻き込んで後方に倒した。


ゆっくり立ち上がろうとする彼らの顔面に前蹴りを叩き込み、再び転がす。


態勢を整え、足音を殺して二階に向かい、壁越しに廊下の様子を窺う。


──瞬間、俺は思わず息を呑んだ。


そこにいたのは十数人の生徒たち。


全員が目を虚ろにし、口元をべっとりした血で染めながら、廊下をふらふらと彷徨っていた。


女子トイレは、階段のすぐ隣。


もう、あの日のように陽咲を失うわけにはいかない。


待ってろ陽咲。俺が絶対に助けてやるからな!!


さすまたを握る手に、ぐっと力が入った。


意を決して廊下に出ていくと、俺の存在に気づいた生徒たちがこちらに向かってきた。


俺はすかさずさすまたを構えると、生徒たちを押し込んで次々と転倒させる。


やはり、動きは鈍い。


力も普通の中学生のそれだが、痛覚がないのだろう、喉元を押し込んでも構わずグイグイと来る。


しかし、これならいける!


──そう確信した瞬間、中学生とは思えない、巨体の男子生徒が、教室の陰から突如として目の前に現れた。


口元からはダラダラと、赤黒い血が滴り落ちている。


嘘だろ! 百九十センチは余裕で超えてる! 将来の横綱かよ!?


男子生徒のギラギラした血走る瞳は、完全に俺にロックオンされていた。


巨体の男子生徒を思い切りさすまたで押し込むが、全く後ろへ下がってくれず、重戦車ばりに突進してくる。


さすまたが彼のとてつもない力でしなり、結合部がミシミシと嫌な音を立ててグラつき始めた。


チッ。だったらこれならどうだ


俺はバックステップしながら、さすまたを一気に引くと、すかさず真横へと跳んで身を交わした。


男子生徒は、そのまま勢いよく前のめりになり、派手に倒れ込んだ。


やっぱり、知能は低くなってるみたいだな、ただ突進してくるだけだ。


その隙に、何とか陽咲たちが逃げ込んだはずの女子トイレに辿り着いた。


女子トイレの中を見渡せば、一つだけドアが閉まっている個室があった。


俺は扉の前に詰め寄り、小声で呼び掛ける。


「陽咲。そこにいるのか?」


「お兄ちゃん?」


「ああ、そうだ」


個室のドアがゆっくりと開くと、瞳に大粒の涙を浮かべた陽咲が飛び出してきた。


「お兄ちゃん……っ」


陽咲は声を押し殺して泣きながら、俺に抱きついてきた。


「陽咲……良かった。無事で」


陽咲の背後から、見慣れたショートボブの小柄な女の子──いつも一緒にいる親友の尾花凛(おばな・りん)が現れた。


「おにぃさぁん……っ」


凛ちゃんは涙目を浮かべながら、まるでコアラのように俺にしがみついてきた。


「二人とも無事で良かったよ」


俺はさすまたを壁に立てかけると、震える二人の肩を優しく抱き寄せた。


はあ、訳がわからない状況だが……とりあえず陽咲が無事で本当に良かった。


落ち着いたのを見届けると、俺は体を二人からすっと離した。


いつまでもここにいるのはマズい。


やつらに気づかれたら厄介だ。


さっさとここから脱出しないとな。


「階段で一階に下りるよ。二人とも俺の後ろをぴったりとついて来て」


二人とも大きく頷くと、俺たちは女子トイレを後にした。


廊下に出ると、さすまたで襲いかかる生徒たちを押し返しつつ階段へと向かった。


これで最後だ。


最後の生徒を力任せに押し込んだその瞬間──手元でバキッと嫌な手応えと金属音が響いた。


もう限界か!


嫌な予感を抱きつつも、床に転がる生徒たちを尻目に、俺たちは一気に一階へと駆け下りる。


手元に視線を落とすと、さすまたの柄が完全に無残にひん曲がっていた。


これでは使い物にならないので、俺はさすまたを足元の床にそっと置いた。


周囲を注意深く見渡していると、外からパニックになった大人たちの怒号が聞こえた。


声がした正面玄関へと慎重に向かい様子を窺うと、凶暴化した生徒たちがいつの間にか十数人集まっている。


大人たちの悲鳴に引き寄せられたのか?


子供を心配した保護者や避難してきた地域の人たちが、ぞろぞろと校舎に入ってこようとしていた。


「おい! 君たち! 先生方はどこにいるかわかるか!?」


大人たちが正面玄関に入ってきた瞬間──血塗られた生徒たちが一斉に襲いかかっていく。


助けに入ろうと体が動きかけたが、武器もないのに二人を守りながら戦うのは無謀だ。


くそっ、もう遅い……!


もう手遅れだと判断した俺は、陽咲たちを連れて事務室に隠れることにした。


悲鳴が響き渡る惨劇から目を背け、俺はどさくさに紛れて目の前の事務室に二人を滑り込ませ、内側から鍵をかけた。


二人とも体が、小刻みに震えていた。


外の悲鳴を聞き流し、息を殺しながら短く会話を交わした。


「いったい何があったんだ?」


俺は隣に座っている陽咲に尋ねた。


「……教室に、急に男の子が入ってきて、近くの子に噛みついたの……先生が止めに入ったんだけど、先生も噛まれちゃって……そしたら噛まれた子が、また別の子に……もう、何が何だか分からなくて……」


「そうか。大変だったな」


俺は事務室内に、何か武器になりそうな物はないか探し始めた。


すると、運がいいことにロッカーの隙間に金属バットが立てかけてあったのが見えた。


俺はバットをサッと手に取った。


護身用か忘れ物かはわからないが、これはかなりの武器になる。


出入り口付近に、消火器が置いてあるのも見つけた。


武器はこれでいくか!


正面玄関から逃げるのはダメだな。


北側の廊下は感染者で溢れている。


……なら、南側から渡り廊下に出て外に抜けるしかないか。


「二人とも、俺が消火器であいつらを引き付けるから、その隙に南側のルートを突っ切って渡り廊下の方に向かえ。安全そうな場所があったらそこで隠れて待っててくれ」

 

「お兄ちゃん……私、怖いよ」


「お兄さん……私も怖いです」


二人とも今にも泣きそうな顔をしている。


「大丈夫だ。俺もすぐ追いかけるから」


不安そうな顔をしてたが、二人とも頷いてくれた。


俺は金属バットをベルトに深く差し込んで固定すると、出入口の消火器を両手で抱え上げた。


事務室の扉をそっと開ける。


陽咲と凛ちゃんが南の廊下に走るのを確認すると、俺は正面玄関側の感染者の群れにに向かって消火器のピンクの粉末を勢いよく一気に噴出させた。


視界を遮りつつ音で引き付けた。


感染者たちが音と煙の向こうから、一斉に手探りで這い寄るように押し寄せてきた。


空になった消火器を感染者たちの方にぶんなげると、ベルトに差し込んでいた金属バットを抜いた。


そして、感染者の側頭部を思い切りフルスイングで撃ち抜く。


──ゴッ!


硬いものに当たった感触が手に残った。


感染者はそのままバタッと倒れると、ピクリとも動かない。


効いた……! 映画のゾンビと同じで、頭部への打撃が有効らしい。


その後も迫る感染者の頭を金属バットで次々と破壊していくと、俺は頃合い見て陽咲たちを追った。


感染者が見えなくなるまで逃げると、壁の凹みに身を潜めた。


追撃がないことを確認し、慎重に廊下を進む。


あと少しで渡り廊下──そう安堵した視界に目を疑う光景が飛び込んできた。


震えて立ち尽くしている、陽咲と凛ちゃんの姿だった。


その前で、血塗られた教師たちの群れを必死に押し留める二人の大人がいた。


スコップを構えた作業着姿の筋骨隆々な中年男性と、モップを持ったネイビーのスーツ姿の若い女性だ。


二人とも満身創痍になりながら、陽咲たちを庇うように立ち塞がっていた。  


あれは確か用務員のおじさんと保健の先生。


俺は急いで助太刀に飛び込むと、迫る男の感染者の側頭部をフルスイングで撃ち抜いた。


──ゴッ!


鈍い感触とともに男は倒れ込み、激しく痙攣したのちにピタリと動かなくなった。


理屈はわからないが、脳に大きな損傷を与えれば倒せるのは確認済みだ。


俺は間髪いれず襲いかかってきた女の感染者を強烈な前蹴りで吹っ飛ばすと、隣の男の頭部を一閃。


さらに倒れた女の頭に、容赦なくバットを振り下ろす。


「お兄ちゃん!」


「お兄さん!」


陽咲と凛ちゃんの声にチラッと振り替えると、二人は安堵した表情を浮かべていた。


その後も俺は次々と感染者の頭をめがけて、金属バットでフルスイングしていった。

 

中年男性がスコップで感染者を叩き伏せ、女性もモップで間合いを詰める感染者を押し離す。


彼らの援護もあり、俺は次々と感染者を排除していった。


──だが、陽咲を守ることに意識を奪われすぎていた。


全ての感染者を倒し終えたと思った瞬間──死角から這い出してきた一体の感染者が、ゆっくりと、確実に陽咲たちへと足を進めていた。


俺の位置からは距離がある。


今から踏み込んでも間に合うかどうかギリギリだ。


──マズい、ふたりとも走って逃げろ!!

読んでくださりありがとうございました

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