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悪役令嬢の罠

1. 白狐の微笑み、聖なる脅迫

グラン・エルバ帝国の迎賓館『白銀宮』の晩餐会場は、一見すると大陸の平和を祝う華やかな光に満ちていた。

しかし、その空気は細い氷の針が何万本も交錯しているかのように、呼吸することすら躊躇われるほどの緊迫感に支配されていた。

「――お初にお目にかかります、アルカディア公爵令嬢。いえ、今は帝国の『最高経済顧問』であらせられるルミエラ様、とお呼びすべきでしょうか」

長く白い神官衣をまとい、絹のような銀髪を揺らしながら優雅に一礼したのは、聖シュトウヴァル教国の全権大使、ジャン・ルクレール枢機卿だった。

『神聖廷の白狐』の異名を持つその男は、細められた琥珀色の瞳の奥に一切の本心を隠し、まるで聖母のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。だが、その背後に漂うのは、数々の国を内政干渉によって内部崩壊させてきた、冷徹な外交官のオーラだった。

「ご丁寧に恐れ入ります、ルクレール枢機卿。他国の不名誉な元令嬢である私など、神に仕える高潔な貴方様のお目に留まるような存在ではございませんわ」

ルミエラは、シャンパンゴールドのタイトなイブニングドレスの裾をわずかに引き、完璧な「社交界の仮面」を被って微笑み返した。

彼女の隣には、黒い軍服をまとい、片手でワイングラスを弄ぶギルバート皇太子が、まるで獲物を品定めする肉食獣のような冷たい視線をジャンに注いでいる。

「ハハ、謙遜を。ルミナス王国でのあの『婚約破棄騒動』、そしてその直後に王国が迎えた急激な経済崩壊の顛末……すべて神聖廷にも届いておりますよ。ただ……」

ジャンは一度言葉を切り、扇を広げるように優雅な動作で、ルミエラの顔を覗き込んだ。

「神の教えにおいて、女性の本分は『寛容と従順』。どれほど優秀であろうとも、かつての婚約者を執拗に追い詰め、国を破滅に導くような『苛烈さ』は、大陸の信徒たちにとって、少々……『悪魔的』に映るのではないかと、老婆心ながら心配しておりましてね。教国としては、そのような道徳的瑕疵かしを抱える令嬢を、帝国が国政の中心に据えること自体、大陸の秩序に対する『挑戦』と受け取らざるを得ないのです」

ジャンの言葉は、どこまでも柔らかく、そして容赦のない「聖なる脅迫」だった。

「悪役令嬢」というレッテルを再びルミエラに貼り付け、それを理由に帝国の関税同盟、あるいは最先端の魔導技術の開示を迫る――。それが、教国が用意した最初の揺さぶりだった。

周囲にいた帝国の若手貴族たちが、ジャンの放った言葉の重さに、小さく息を呑む。

だが、ルミエラは、その挑発を待っていたと言わんばかりに、くすくすと鈴を転がすような声で笑った。

「あら、枢機卿。神の教え、そして道徳、ですか。……実に、素晴らしい概念おもちゃですわね」

2. 聖職者の化けの皮を剥ぐ

ルミエラは、手にしていたワイングラスを給仕のトレイに置くと、一歩、ジャンへと近づいた。

彼女の燃えるような赤髪が、シャンデリアの光を浴びて、まるで挑戦的な炎のように輝く。

「ですが、ルクレール枢機卿。その『道徳』という言葉で、聖シュトウヴァル教国がここ3年間、西方の信徒たちからどれほどの『神聖寄付金』を強制徴収されていたか、ご存知かしら?」

「……何のことでしょうか、ルミエラ様。寄付はすべて、神への純粋な信仰に基づくものです」

ジャンの微笑みが、ほんの一ミリだけ硬直する。ルミエラは構わず、懐から一枚の、薄く発光する魔導スクロールを取り出した。

「教国が公表している本年度の宗教予算書――私、馬車の中での暇つぶしに、過去5年分のデータと照らし合わせて『逆演算バックスタンプ』させていただきましたの。そういたしましたら、あら不思議。信徒の皆様から集めたはずの『貧民救済費』の約**35%**が、なぜか大陸南部の、ある『秘密の金鉱山への投資』へと流れている形跡が見つかりましたわ」

「な、にい……っ!?」

ジャンの琥珀色の瞳が、初めて鋭く見開かれた。

「その金鉱山を運営しているのは、確か……ルクレール枢機卿、あなたのご実家であるルクレール侯爵家が100%出資しているダミー商会、でしたわね? ――神の教えを盾に平民から毟り取ったお金で、ご自身の私腹を肥やす。これのどこが『寛容と従順』、そして『高潔な道徳』なのかしら? 教国の神様は、ずいぶんと金の無心がお好きなようですのね」

「貴様……! 国家の最高機密を、どこから……!」

ジャンはついに微笑みの仮面をかなぐり捨て、低く、地を這うような声でルミエラを睨みつけた。

「どこから、ではございませんわ。数字というものは、どれほど神聖なインクで隠そうとも、必ず『辻褄の合わない空白』という名の足跡を残すものです。あなた方のやっていることは、ただの『宗教という名の不当搾取ビジネス』。そのビジネスモデルの脆弱性を、私が今ここで、この晩餐会に出席している大陸中の全通信魔導具に向けて公開して差し上げてもよろしいのよ?」

ルミエラは、魔導スクロールを指先で弄びながら、ジャンの目の前に突きつけた。

ジャンは額から脂汗を流し、一歩、また一歩と後退りした。

ルミエラが放ったのは、単なるスキャンダルではない。教国の経済の心臓部を、一瞬にして停止させる「ロジックの爆弾」だった。

「くく……、ハハハハハ! 見事だ、ルミエラ! まさに完璧なチェックメイトだな!」

背後から、ギルバートの豪快な笑い声が響いた。

彼はジャンを冷たく見下し、その圧倒的な覇気で会場全体を威圧した。

「ルクレール枢機卿。教国の『道徳』とやらの正体が、ただのマネーロンダリングだったとはな。我が帝国を脅迫しようとした代償は、高くつくぞ? 明日までに、帝国との『新規関税協定(帝国側が100%有利な内容)』にサインするか、それとも……教国の破滅のデータを世界にバラ撒かれるか。選ぶ時間は、5秒だけあげよう」

ギルバートは、かつてルミエラがエドワードを追い詰めた時と全く同じ、冷酷無比なロジックによる包囲網を、今度は教国に対して敷いたのだ。

3. 共犯者たちの蜜月

「――5秒、経ったな」

ジャンの顔から、完全に血の気が引いていた。

彼はガタガタと震える手で、ギルバートが差し出した「帝国の絶対的有利」を記した魔導書状に、サインをせざるを得なかった。

教国が誇る『神聖廷の白狐』は、ルミエラという「悪役令嬢」の爪によって、その毛皮を完全に剥ぎ取られ、ただの無様な負け犬として、夜会の会場から這うように退場していった。

「――お疲れ様でしたわ、ギルバート殿下。これで西方の関税利権は、すべて我が帝国のもの、ですわね」

人が去ったバルコニーで、ルミエラは冷たい夜風を浴びながら、満足げに微笑んだ。

「ああ、君のおかげで、帝国は一歩も兵を動かすことなく、教国の経済圏を事実上の支配下に置いた。君は本当に……私の最高の幸運の女神であり、世界で最も美しい悪魔だ」

ギルバートは、ルミエラの腰を優しく、だが壊れ物を扱うかのような愛おしさを込めて抱き寄せた。彼の漆黒の髪がルミエラの頬に触れ、甘く、危険な大人の香りが鼻腔をくすぐる。

「女神だなんて、買い被りすぎですわ。私はただ、自分を虐げた世界に、私の『数理』で相応のツケを支払わせているだけに過ぎませんもの」

「なら、そのツケ払いのゲーム、一生私の隣で続けよう。君の頭脳が必要なのは、この世界で私だけだ」

ギルバートはルミエラの唇に、深く、独占欲を隠そうともしない、熱いキスを落とした。

ルミエラもまた、彼の広い胸に身を預けながら、その甘い共犯関係に、心地よさを感じていた。エドワードのようなバカな男とは違う、自分の価値を100%理解し、それ以上の愛で満たしてくれる、本物の「ヒーロー」。

二人の天才による、世界を相手にした「本当の無双」は、これからさらに加速していく。

4. 炭鉱の底の、終わらない絶望

その同じ時刻、ルミナス王国の『ガルバ地熱炭鉱』。

「ハァ……、ハァ……! 冷たい……、身体が、動かない……」

エドワードは、看守たちから投げ与えられた、カビの生えた硬いパンを泥の中に落とし、それを這いつくばって拾い上げていた。

彼の指は、年中無休の重労働によってボロボロに裂け、かつての王太子の面影はどこにもない。

「おい、エドワード。聞いたかよ」

隣で同じように泥まみれになって炭鉱の石を運んでいた、元側近のロバートが、死んだような目で呟いた。

「何、をだ……?」

「俺たちをここに追放したルミエラ様……。今や、あの世界最強のグラン・エルバ帝国の『最高経済顧問』になって、今日の外交戦で、あの巨大な『聖シュトウヴァル教国』を、たった一人で経済破滅に追い込んだらしいぞ……」

「……え?」

エドワードの手から、硬いパンがポロリとこぼれ落ちた。

「帝国の皇太子殿下に、めちゃくちゃ愛されて、毎夜最高級のドレスを着て、世界の中心で笑ってるってよ。……俺たち、本当に、とんでもない『神の領域の怪物』を、悪役令嬢なんて呼んで怒らせちまったんだな……」

ロバートは力なく笑い、そのままツルハシを握って暗い穴の奥へと消えていった。

エドワードは、炭鉱の底の冷たい泥の上に、ただただ呆然と座り込んでいた。

彼の目から、涙が溢れ、煤で汚れた頬を白く汚していく。

「ルミエラ……、ルミエラ……! 俺が悪かった、俺がバカだったんだ! だからお願いだ、ここから出してくれ……! ルミエラァァァーーー!!」

エドワードの絶叫は、年中吹き荒れる炭鉱の冷たい地熱の嵐にかき消され、誰に届くこともなく、ただ暗闇の底へと沈んでいった。

彼らが捨てた「本物の天才」は、もう二度と、彼らのいる泥の底を振り返ることはないのだ。

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