悪役令嬢の中央銀行設立
1. 六大商会の悪あがき、金融の壁
バロック重商会が、ルミエラの提示した「先物空売り」と「地脈のM&A」によって、開始わずか24時間で完全破産に追い込まれたニュースは、ヴァンダル連合共和国の心臓部を激震させていた。
「バロックが……、あの新大陸の利権を牛耳っていたアントニオが、他国の、それもたった一人の小娘の書類一枚で完全にハメ殺されただと……!?」
共和国の首都にそびえ立つ『黄金議事堂』。
そこに集まっていたのは、共和国を実質的に支配する「セブン・チャームズ(七大商会)」の残り六つの商会の総帥たちだった。彼らは皆、大陸西部の莫大な富、鉱山、そして海上流通を独占してきた、狡猾極まりない守銭奴のエリートたちだ。
「これ以上の帝国の進出は、我が共和国の『存在意義』に関わる! 奴らが新大陸の黄金をすべて手に入れれば、次は我が国の資本そのものが食い荒らされるぞ!」
「しかし、まともに戦ってもあの『悪役令嬢』の知略の前にはバロックの二の舞だ。……ならば、奴らの動きを根底から止める『絶対的な金融の檻』を用意するまでよ」
六大商会の筆頭であり、大陸最大の保有金量を誇る『メディチ中央金庫』の総帥、ロレンツォ・メディチが、冷酷な笑みを浮かべて議卓を叩いた。
彼らが仕掛けたのは、物理的な戦争ではなく、経済の血流を完全に停止させる**【大金融封鎖(資本の兵糧攻め)】**だった。
数日後、ルミエラが総督として統治する新大陸の貿易港『ポート・ロイヤル』の経済は、突如として奇妙な「機能不全」に陥っていた。
「総督閣下、大変でございます!」
ハインリヒが、額に大量の汗を浮かべながらルミエラの執務室へと飛び込んできた。その手には、新大陸中の全商業ギルドから寄せられた悲鳴のような報告書が握られている。
「どういたしましたの、ハインリヒ男爵。私の開発した新大陸の流通ルートに、何か不具合でも?」
ルミエラは、特製の魔導ブレンドティーを優雅に口に含みながら、少しも動じることなく尋ねた。今日の彼女は、総督としての威厳を放つ、深いワインレッドのタイトドレスに身を包んでいる。
「不具合どころではありません! ヴァンダル共和国の六大商会が裏で手を回し、新大陸に流通しているすべての『金貨(現物通貨)』を、市場から一斉に買い占めて回収し始めました! 奴らは自国の圧倒的な保有金量を使い、市場の金貨を本来の価値の1.2倍の価格で強制引き揚げしているのです!」
「なるほど。市場から『物理的なカネ』を消し去ることで、私たちの経済活動をストップさせる算段ですわね」
ルミエラはフッと、唇の端を冷たく釣り上げた。
そう、六大商会の狙いはシンプルかつ残虐だった。どれほど豊かな資源があり、どれほど優秀な労働者がいようとも、それを売買するための「金貨(現物)」が市場になければ、取引は成立しない。給与も払えず、物資の購入もできず、帝国の新大陸支部は内部から干からびて自滅する。
現物通貨の独占。これこそが、資本主義の夜明け前に生きる商人たちが放った、最強のチェックメイトのはずだった。
「ハハハ! 見ただろう、ルミエラ総督!」
そこへ、ホテルの魔導通信スクリーンが突如として発光し、共和国のロレンツォ総帥の不敵な顔が投影された。
『いくら君が天才であろうとも、この世界における「価値の絶対神」は、我が共和国が握る【金】そのものだ! 君たちがどれほど足掻こうとも、金貨がなければパン一つ買えん! 明日までに、新大陸のすべての鉱山利権を我が六大商会へタダ同然で譲渡する契約書にサインしろ! さもなければ、新大陸の平民どもは全員、通貨不足によるハイパー・デフレで飢え死にすることになるぞ!』
通信の向こうで、六大商会の守銭奴たちが「勝った!」「思い知ったか、小娘!」と大爆笑を響かせる。
だが、その絶対的な脅迫を前に、ルミエラは紅茶のカップをソーサーに静かに戻すと、鈴を転がすような、だが最高に容赦のない嘲笑の声を響かせた。
「クス……、アハハハハ! 本当に、救いようのない『金の奴隷』たちですわね」
ルミエラは立ち上がり、通信画面のロレンツォを、虫ケラを見るような冷酷な瞳で見下ろした。
「ロレンツォ閣下。あなた方は、その重くて、汚くて、持ち運びにも不便な【金属の塊】に、いつまで世界が縛られていると思っていらっしゃいますの? ――明日、私がそのあなた方の自慢の『黄金の神話』を、ただの【紙クズ】に変えて差し上げますわ。せいぜい、その重い金庫の中で、自分の無知さを呪いながら窒息なさい?」
2. 世界初、中央銀行の設立と『紙幣』の降臨
翌朝。ポート・ロイヤルの中央広場には、通貨不足によって取引が止まり、不安に駆られた数万人の平民や商人が殺到していた。
「おい、本当に金貨がねえぞ!」「これじゃあ今日の飯も買えねえ! 帝国は俺たちを見捨てるのか!?」
暴動寸前の群衆の前に、総督服を纏ったルミエラが、ギルバート皇太子と共に姿を現した。
ギルバートは黒い軍服の外套を翻し、その圧倒的な「死神」の覇気で広場を一瞬にして静まり返らせる。
「静粛に、新大陸の民よ。我が最愛の婚約者であり、この地の総督であるルミエラが、お前たちに『新たなる世界の神のロジック』を授ける」
ギルバートの合図とともに、広場の中心にそびえ立つ、かつてのバロック商会の巨大なビルに、新たなる黄金の看板が掲げられた。
【グラン・エルバ帝国・新大陸中央銀行】
「皆様、お聞きなさい」
ルミエラの凛とした声が、魔導拡声器を通じて広場全体、そして通信魔導具を通じて大陸全土へと響き渡る。
「ヴァンダル共和国の愚者どもが、金貨を独占して皆様を脅かそうとしていますけれど……そんなもの、1ミリも恐れる必要はございませんわ。本日より、我が中央銀行は、世界で初めての**【帝国公認紙幣】**を発行いたします!」
ルミエラが指先でパチンと合図を出すと、銀行の窓口から、精巧な魔導印刷技術によって刷り上げられた、美しく発光する「一枚の紙切れ」が平民たちに配られた。そこには、帝国の紋章と、ルミエラ自身のサインが刻印されている。
「な……、なんだこれは!? ただの紙じゃねえか! こんなもので、飯が買えるわけが……」
一人の商人が戸惑いの声を上げる。
「買えますわ。なぜなら、その紙幣は、我が中央銀行が『金貨1枚分の価値を100%保証(金本位制)』した、絶対の信用を持つ通貨だからです。さらに、本日より新大陸のすべての税、すべての公共流通、すべてのアルカディア公爵家の取引は、この『紙幣』でのみ決済を認めますわ」
紙幣の発行。そしてそれに基づき、ルミエラが持ち込んだ近代金融の最大チート――**『信用創造』**が、ここで牙を剥いた。
「ハインリヒ男爵、現時点での我が銀行の『準備金』は?」
「はっ! 先日、バロック商会から毟り取った金貨460万枚が、すべて金庫に眠っております!」
「素晴らしいわ。ならば……その460万枚の現金を元手に、市場に対してその『5倍』……すなわち、**【金貨2,300万枚分】**の紙幣を、今すぐ市場に融資(信用創造)して流通させなさい!」
信用創造。それは、手元にある現金の数倍の貨幣を、銀行の「信用」によって法的に生み出し、市場へ一気に流し込むという、旧時代の商人たちには想像すらつかない神の領域の錬金術だった。
「ば、馬鹿な……! 紙を刷るだけで、カネが、カネが無限に増えていく……!?」
市場に集まった数理魔術師たちが、ルミエラが提示した『近代銀行の数理モデル』を見た瞬間、その凄まじいロジックの美しさと恐怖に、腰を抜かしてその場に崩れ落ちた。
「現物通貨の流通速度が10だとするなら、我が紙幣の流通速度は500を超えますわ。軽くて、安全で、額面を自由に変えられる。……さあ、新大陸の民よ! 持ち運びすら不便な重い金貨などすべて共和国のバカどもにくれてやり、この最先端の『帝国紙幣』で、これまでの10倍の経済を回しなさい!」
ルミエラの宣言とともに、新大陸の全ギルド、全平民が一斉に中央銀行へと押し寄せ、手元の僅かな金貨を紙幣へと両替。市場には、一瞬にして数千万枚分の「帝国紙幣」が溢れ返り、止まっていた経済の血流が、これまでの数倍の爆発的な速度で回り始めたのだった。
3. 黄金の神話の崩壊、六大商会の破滅
その数日後。ヴァンダル連合共和国の『黄金議事堂』は、文字通り「死の静寂」に包まれていた。
「おい……、どういうことだ……。なぜ、新大陸から『金貨が足りなくて干からびた』という悲鳴が聞こえてこないんだ……!?」
ロレンツォ総帥が、血走った目で通信リポートを睨みつける。
「そ、それが……! 帝国の悪役令嬢が、新大陸で『紙のお札』を発行し始めまして……! 今や新大陸の平民も商人も、誰も我が国の金貨など使っておらず、すべてその『帝国紙幣』で完璧に経済を回しております!」
「はあ!? 紙切れだと!? そんなもの、ただのゴミだろう!」
「ゴミではありません! 帝国中央銀行が価値を保証しているため、むしろ『金貨より軽くて安全だ』と、市場では金貨より高い価値で取引されています! その結果……我が六大商会が全財産を叩いて買い占めた数百万枚の金貨が、新大陸で『一切使えない、ただの重いだけの金属の塊』と化してしまいました……!」
「な……、なぁっ……!!」
ロレンツォの頭の中に、冷たい氷水が浴びせられた。
彼らは、市場の金貨を「本来の1.2倍の価格」という大損をしてまで買い占めたのだ。新大陸の経済を人質に取るための人質(金貨)が、ルミエラの一吹きによって、ただの「金庫のスペースを圧迫するだけの重いゴミ」に変えられた。
さらに、ルミエラの容赦のない「追い打ち(チェックメイト)」が、共和国の心臓部に突き刺さる。
「と、総帥! 大変でございます! 我が国の商会が金貨を買い占めるために発行した『短期約束手形』の決済期日が、本日正午となっております! ですが、我が国の全資金は金貨の現物として新大陸の金庫に眠っており、帝国紙幣との両替を拒否されているため、今、手元に『今すぐ動かせる流動資産』が1リーブルもございません!」
「なに……っ!?」
「決済ができません! このままでは、我がヴァンダル共和国の六大商会……本日正午をもって、全ギルドが連鎖的に**【テクニカル・デフォルト(不渡り処分による完全破産)】**いたします!!」
「ア、アァ……、アバ、アババババ……!!!」
ロレンツォは頭を抱え、口から泡を吹いて、そのまま大理石の床へと無様にひっくり返った。
資本の力、保有金量で世界を支配してきたはずのヴァンダル連合共和国は、ルミエラという本物の天才が持ち込んだ『中央銀行』と『信用創造』という近代金融の鉄槌の前に、開始わずか数日で、自らが集めた黄金の重さに押し潰され、名実ともに完全に社会的にハメ殺されたのだった。
4. 漆黒の夜、女帝の完全独占
その夜。ポート・ロイヤルの最高級ホテルの最上階、月明かりが美しく降り注ぐVIPバルコニー。
ルミエラは、新大陸の全金融利権を手中に収めた満足感に浸りながら、最高級のシャンパンを傾けていた。
「――お見事だ、ルミエラ。敵の最大の武器である『ゴールド』そのものを、ただの重いゴミクズに変えてしまうとはな。君のその知略は、もはや神の領域を超えて、世界の法則そのものを書き換えているぞ」
背後から、低く大人の色気を孕んだ声と共に、ルミエラの細い腰をグッと強く、独占欲を隠そうともせずに抱きしめたのは、ギルバート皇太子だった。彼の漆黒の髪がルミエラの首筋をくすぐり、情熱的な体温がドレス越しに伝わってくる。
「殿下、驚かさないでくださる? それに、これはただの経済の基本ですわ。金属の現物に縛られているようでは、これからの大航海時代の爆発的な経済の速度には追いつけませんもの」
ルミエラは顔を少し傾け、ギルバートの端正な顔を間近で見つめ返し、妖艶に微笑んだ。
「これで、ヴァンダル共和国の六大商会もすべて我が帝国の金融傘下(奴隷)に入りましたわ。旧大陸の武力、そして新大陸の全金融資本……名実ともに、世界は私たちのものですわね、ギルバート殿下?」
「ああ、そうだ。だが、世界がどれほど拡大しようとも、私の最大の領土は、目の前にいるこの世界で最も美しく、最も残酷な『我が女帝』、君だけだ」
ギルバートは狂おしいほどの愛おしさを目に宿すと、ルミエラの手からシャンパングラスを奪い取り、そのまま彼女の唇に、深く、熱く、独占欲を全て叩き込むような情熱的なキスを落とした。
ルミエラもまた、彼の広い胸に身を預けながら、その心地よい共犯関係の熱に、身を委ねていくのだった。
5. 炭鉱の底の、終わらない監獄
その同じ時刻。
新大陸で世界初の中央銀行が設立され、ルミエラが「世界のすべての富の創造主」となったというニュースは、旧大陸の最果て、ルミナス王国の『ガルバ地熱炭鉱』の泥の底にも、容赦なくもたらされていた。
「ハァ……、ハァ……! 寒い……、指が、もう動かない……」
エドワードは、年中無休の過酷な労働によって完全に爪が剥がれ落ちた両手で、ツルハシを力なく岩肌に打ち下ろしていた。かつての王太子としての栄華など、ここには1ミリも存在しない。あるのは、冷たい泥と、看守の鞭の音だけだ。
「おい、エドワード……。また、画面に、あの人が映ってるぞ……」
隣で同じように窶れ果てて泥を運んでいた元側近のカイルが、精神を完全に崩壊させた虚ろな目で、壁の古ぼけた魔導受信機を指差した。
そこには、新大陸の全金融を支配し、白銀のティラアを頭上に戴き、ギルバート皇太子と腕を組んで大歓声の平民たちを見下ろすルミエラの、神々しいまでの姿が映し出されていた。彼女が発行した紙幣の総額は金貨2,300万枚分。ルミナス王国が100年かかっても逆立ちしても届かない、世界の神の輝きだった。
「ルミエラ……。紙の、お札……? 金貨を、ゴミに変えた……?」




