悪役令嬢の国際通貨同盟
1. 牙を剥く海賊貴族、最後の狂気
「――こうなれば、刺し違えてでも帝国の新大陸拠点を血の海に沈めてくれるわ!!」
ヴァンダル連合共和国の最果て、荒波が牙を剥く孤島に築かれた要塞。
そこに集まっていたのは、ルミエラの中央銀行設立によって全財産を「重いだけのゴミ金属」に変えられ、社会的破産へと追い込まれた六大商会の生き残りと、彼らが最後の隠し財産で雇い入れた、新大陸最凶の武装私設艦隊――通称『海賊貴族』の首領、バルバロッサ男爵だった。
「ロレンツォの奴らは数字のゲームで小娘に負けたようだが、俺たち『海の狼』は違う。どれほど小賢しい銀行を作ろうとも、大砲の弾と鋼鉄の艦隊でその頭脳ごと粉砕してしまえばそれまでよ!」
バルバロッサは、金糸の刺繍が施された禍々しい海賊コートを翻し、卓上に広げられた新大陸の海図にナイフを突き立てた。
彼らが仕掛けたのは、経済の裏をかくハメ技ではない。総勢300隻を超える魔導装甲艦による、新大陸最大港『ポート・ロイヤル』の**【物理的完全海上封鎖と無差別艦砲射撃】**という、破れかぶれの軍事奇襲だった。
「総督閣下、大変でございます! 敵の連合海賊艦隊300隻が、ポート・ロイヤルの沖合わずか20海里にまで迫っております! 奴らは我が帝国の魔導戦艦の射程外から、新大陸の沿岸部にある民間貿易船を一斉に臨検・撃沈し、ポート・ロイヤルの物流を完全に遮断し始めました!」
ハインリヒが、息を切らせて総督執務室へと駆け込んできた。
窓の外を見れば、美しかったエメラルドグリーンの海の地平線が、敵艦隊が吐き出す黒い魔導煙によって禍々しく染まりつつある。
「射程外からの完全封鎖、ですか。バカの癖に、軍事的な兵站の嫌がらせだけは一人前ですわね」
ルミエラは、総督の漆黒の提督服の袖口を優雅に整えながら、フッと冷たい微笑みを浮かべた。彼女の隣には、聖剣の柄に手をかけ、極夜の瞳に「帝国の死神」としての本気の殺気を宿したギルバート皇太子が立っている。
「どうする、ルミエラ。私の直属である帝国第一艦隊を動かせば、あの程度の海賊どもは3日で海の藻屑にできるが……。新大陸の開拓が始まったばかりのこの海域で大艦隊戦をやれば、海の生態系(魔導地脈)が荒れ、今後の海上貿易に深刻なラグが発生するぞ」
「あら、ギルバート殿下。そんな野蛮でコストのかかる戦い方、私の『数理』が許しませんわ」
ルミエラは立ち上がり、デスクの上の海図を一瞥すると、手にした黄金の魔導ペンを空間に向けて鮮やかに走らせた。
「敵は300隻もの艦隊を維持するために、多国籍の傭兵や魔導技術者をカネでかき集めていますわね。……なら、その彼らの忠誠心の源である『お財布』を、私のロジックで直接ハッキングして差し上げますわ。――ハインリヒ、新大陸の全周辺小国、および原住民ギルドの代表者たちを、今すぐ臨時の『魔導通信会議』に繋ぎなさい!」
2. 『国際通貨同盟』という名の不可視の支配
数分後。総督執務室の空中投影スクリーンには、新大陸の周辺に存在する『ガルディア新領』『フェルゼン開拓区』、そしてルミエラを追放したあの無能国家ルミナス王国の『新大陸出張所』に至るまで、十数ヶ国の代表者たちの青ざめた顔が映し出されていた。
『ルミエラ総督! 共和国の海賊艦隊が迫っているというのは本当ですか!?』
『我が国の貿易船も拿捕されました! 帝国が守ってくれないのなら、私たちは共和国に屈するしか……!』
パニックに陥る代表者たちを、ルミエラは冷徹な一瞥だけで静まり返らせた。
「皆様、お静かに。私から、本日この場に集まった皆様の国政を、未来永劫『豊か』にする、最高に魅力的な提案(罠)がございますわ」
ルミエラは不敵に微笑むと、黄金のペンで一本の、巨大な『数字の円環』をスクロール上に展開した。
「本日をもって、我がグラン・エルバ帝国・新大陸中央銀行を中心に、皆様の全国家の貨幣価値を完全に固定・統一する**【国際通貨同盟】**を発足いたします!」
国際通貨同盟。そしてブロック経済。それは、異なる国家間の通貨の交換レートをルミエラの発行する『帝国紙幣』に完全に固定し、同盟国内の関税を**0%**にするという、異次元の包括的経済同盟だった。
『つ、通貨の統一……!? そんなことをすれば、我が国の財政主権が帝国に握られてしまう……!』
ルミナス王国の出張官吏が怯えながら声を上げる。
「主権、ですか? あら、勘違いしないでくださる? あなた方の国は、すでに我が帝国の発行した紙幣がなければ、明日のパン一切れすら輸入できない『実質的な経済奴隷』ですわよ?」
ルミエラの言葉は、どこまでも柔らかく、そして残酷な事実だった。
先日の戦争、そしてバロック商会の解体を経て、新大陸の物流の9割はすでにルミエラの中央銀行が支配している。今、この同盟への参加を拒否すれば、その国は新大陸のすべての流通網から「永久にパージ(経済的孤立)」され、一晩で国家破産を迎えることになるのだ。
『う……、くそ……!』
『承諾、いたします……。我が国も、国際通貨同盟に参加します……!』
周辺国の王や代表者たちが、涙を流しながら、ルミエラの提示した「帝国の絶対的支配」を意味する同盟書状に、魔術刻印を押し始めた。
これにより、新大陸の全域に流通するおカネは、ルミエラが刷り上げる『帝国紙幣』ただ一つへと完全に統合された。世界の経済の血流が、ルミエラの指先一つに支配された歴史的瞬間だった。
「――よし、これで盤面は整いましたわ」
ルミエラはパチンと指を鳴らすと、ペン先をポート・ロイヤル沖に迫る敵の300隻の海賊艦隊へと向けた。
「ハインリヒ男爵。今すぐ、新大陸全域の商業ギルドに対し、国際通貨同盟の『第一号法令』を発令なさい。――【本日より、ヴァンダル共和国の通貨、および彼らが発行するすべての約束手形の『帝国紙幣への両替率』を、従来の1万分の1……すなわち、完全なる【ゼロ(無価値)】とする】と!」
3. 1秒の狂いもない完全買収
その同じ時刻。ポート・ロイヤル沖合15海里を進軍していた、共和国のフラッグシップ艦『オロチ号』の甲板。
「ハハハ! 野郎ども、突撃用意だ! 帝国のビルが見えてきたぞ! 砲弾を限界まで装填しろ!」
バルバロッサ男爵が、聖剣を抜き放ちながら咆哮する。
しかし、その瞬間、艦隊に所属するすべての魔導通信具が一斉に発光し、ルミエラが世界に向けて発令した『国際通貨同盟・第一号法令』のニュースが流れ込んだ。
「……あ? おい、何だこのニュースは。共和国の通貨の両替率が、ゼロになった……?」
大砲に魔力を込めていた傭兵の一人が、手元に置かれた給与袋(共和国金貨)を見つめ、首を傾げた。
次の瞬間、全艦隊の傭兵、魔導技術者、そして操舵手たちの手元にある「通信魔導財布」の残高の数字が、凄まじい速度でカウントダウンを始め、一瞬にしてすべて【0.00】へと書き換えられた。
彼らが命を懸けて戦う代償として、共和国の守銭奴たちから支払われていた莫大なカネ(データ)が、ルミエラの一吹きによって、文字通り「存在しない数字」に変えられたのだ。
「おい……! 俺たちの給与が、消えたぞ!?」
「共和国の手形が、ただのパピルスのゴミ切れになったってことか!? じゃあ、俺たちは一体何のために、命を懸けて帝国の大艦隊と戦うんだ!?」
艦隊の各所で、一瞬にして凄まじい動揺と怒号が沸き起こる。
傭兵たちは皆、カネのために動くビジネスマンだ。そのカネがゼロになった瞬間、彼らがバルバロッサや共和国のために命を流す理由は、1ミリも残されていなかった。
「な、何を騒いでいる、野郎ども! 敵の総督府を落とせば、そこに眠る金貨を略奪すればいいだろうが!」
バルバロッサが顔を真っ赤にして怒鳴るが、時すでに遅かった。
そこへ、ルミエラの凛とした声が、敵艦隊の全魔導通信を「強制ジャック」して響き渡った。
『ヴァンダル艦隊の、優秀な傭兵および魔導技術者の皆様。ごきげんよう』
スピーカーから流れる悪役令嬢の声は、あまりにも慈悲深く、そして最高に甘美な悪魔の誘いだった。
『あなた方が信じていた共和国は、たった今、我が国際通貨同盟によって、世界中の経済から完全にパージされ、消滅いたしました。あなた方の手元にある手形はただのゴミですわ。……ですが、もしあなた方が今その場で反転し、その首謀者であるバルバロッサと六大商会の生き残りを捕縛して我が帝国に投降するならば……。先ほど我が銀行が刷り上げたばかりの、価値が100%保証された【帝国紙幣・金貨500枚分】を、皆様の全員の口座へ、今すぐその場で着金(ボーナス融資)して差し上げますわ』
『着金……だと!?』
傭兵たちの目が、ギラギラとした欲望の光で一斉に見開かれた。
「な……、何を言っている! 騙されるな! 敵の小娘の戯言だ!」
バルバロッサが悲鳴のような声を上げるが、彼の背後からは、すでに数十人の、目が完全に「帝国紙幣の輝き」に染まった身内の傭兵たちが、抜き身のナイフを手に持ってジリジリと近づいていた。
「おい、バルバロッサ。悪く思うなよ。共和国のゴミ通貨よりも、ルミエラ様の刷り上げた『帝国紙幣』の方が、何百倍も信用できるんだわ」
「待て、やめろ! 俺は男爵だぞ! 貴様ら、謀反か――ぎゃあぁぁぁーーー!!!」
激しい肉声の悲鳴と共に、オロチ号の甲板でバルバロッサが取り押さえられ、叩き伏せられた。
それと同時に、300隻の連合艦隊のすべてにおいて、傭兵たちが一斉に共和国の商人たちを裏切り、捕縛。彼らはルミエラの指先パチン一つで、戦う前に**【100%完全買収】**され、帝国の直属の私設艦隊へと生まれ変わったのだった。
大砲の弾を1発も撃つことなく、鋼鉄の装甲艦を1隻も傷つけることなく。
ただの「国際通貨の枠組み」をほんの少し弄るだけで、世界最凶の艦隊を文字通り「カネで丸ごと買い叩く」。それは、武力や戦略という概念を完全に過去の遺物へと葬り去る、ルミエラという本物の天才にしか成し得ない、究極の経済兵器の炸裂だった。
4. 極夜の夜、終わらない蜜月
「――お見事だ、ルミエラ。世界最凶の海賊艦隊を、一兵も動かさずに『自前の軍隊』に変えてしまうとはな。君の頭脳は、やはり世界で最も美しく、最も恐ろしい」
その夜、ポート・ロイヤルの最高級ホテルのVIPテラス。
敵艦隊から巻き上げた300隻の魔導装甲艦が、今や帝国の国旗を掲げて港に整然と並ぶ美しい夜景を見下ろしながら、ルミエラの細い腰をグッと強く抱きしめたのは、ギルバート皇太子だった。彼の極夜の瞳には、世界を完全にハメ殺した我が最愛の婚約者に対する、狂おしいほどの愛おしさと熱情がギラギラと渦巻いている。
「殿下、何度も言わせないでくださる? カネで集まった群衆は、カネの流れをほんの少し弄るだけで、簡単に身内を食い荒らす狼に変えられる。ただの、数理の基本ですわ」
ルミエラは顔を少し傾け、ギルバートの端正な顔を間近で見つめ返し、妖艶に微笑んだ。
「これで、新大陸の全周辺諸国、全金融資本、そして全海上武力は……名実ともに、完全に私たちのもの、ですわね?」
「ああ、そうだ。だが、世界がどれほど拡大しようとも、私の最大の領土は、目の前にいるこの世界で最も残酷で美しい『我が女帝』、君だけだ。君を満足させられる男は、この世界で私しかいない」
ギルバートは低く狂おしい笑みを漏らすと、ルミエラの細い顎を指先でクイと持ち上げ、そのまま彼女の唇に、新大陸の海の鳴動さえもかき消すほどの、深く、情熱的な独占のキスを落とした。
旧大陸を平定し、新大陸の金融と武力をも完全に手中に収めた二人の天才。彼らの前には、もう遮るものなど何一つ存在しなかった。
5. 炭鉱の底の、終わらない絶望の輪舞曲
その同じ時刻。
新大陸で国際通貨同盟が発足し、ルミエラが名実ともに「世界のすべての富と武力の絶対支配者」となったという通信ニュースは、旧大陸の最果て、ルミナス王国の『ガルバ地熱炭鉱』の泥の底にも、容赦なくもたらされていた。
「ハァ……、ハァ……! 冷たい……、もう、身体が動かない……」
エドワードは、年中無休の過酷な労働によって完全に指の骨が変形し、窶れ果てた顔で、泥の中に転がった硬いパンを拾い上げていた。かつての王太子としての栄華など、ここには1ミリも存在しない。あるのは、冷たい泥と、看守の鞭の音だけだ。
「おい、エドワード……。また、あの人のニュースだぞ……」
隣で同じように泥まみれになって死んだ魚のような目で石を運んでいた元側近のロバートが、震える指で、壁の古ぼけた魔導受信機を指差した。
そこには、新大陸の全諸国を国際通貨同盟で従え、白銀のティアラを頭上に戴き、ギルバート皇太子と腕を組んで大歓声の平民たちを見下ろすルミエラの、神々しいまでの姿が映し出されていた。彼女が動かした富と武力は、ルミナス王国が100年かかっても逆立ちしても届かない、世界の神の輝きだった。
「ルミエラ……。国際通貨、同盟……? 300隻の艦隊を、書類一枚で買い取った……?」




