第63話 戦争の気配①
「何? 失敗しただと?」
リース王国城の王の執務室で、肉付きのいい肥えた男性が腹立たしそうに言った。国王であるアンドリュー・リースだ。
報告している細身の男性は青い顔で、小さくなっている。
アンドリューは舌打ちした。
「小娘ひとりさらえぬとは。こんなことならさっさと騎士団を動かせばよかった」
「しかし、そんなことをすれば、国際問題に発展します。外聞が……」
アンドリューは机を叩き、細身の男性は体を震わせ、黙った。
「小娘を捕まえ、必ずわしのもとに連れてこい」
細身の男性は怯えた様子で頭を下げ、部屋を出ていった。
翌日。
イリスたちは早朝に馬車に乗り込み、サリス学園を出た。揺れる馬車の中でイリスの表情は固い。
フィオナはそんなイリスに視線を向けた。
「結局、リチャードは見つからなかったね」
カルロスはくつろいだ様子でうなずいた。
「逃げたんだろう。王女をさらおうとしたんだ。捕まれば、罪は重い」
「逃げ足の速いやつだな。オレといい勝負だ」
ホセは感心したように言った。
リース王国とルーベンス王国の国境を通過しようとしたとき、国境警備に当たっていた兵士が御者に声をかけた。
「その紋章、ルーベンスの馬車だな。イリス王女殿下が乗る馬車か?」
御者は困ったような顔で首を横に振った。
「いいえ。わたしはルーベンスへ帰るところで、馬車にはどなたも乗っておりません」
兵士は顔を険しくし、座席の方へと回り、扉を開けた。他にも集まってきた兵士と共にそこを覗くと、御者の言った通り、誰もいなかった。
兵士はバツが悪そうに、御者へと顔を向けた。
「失礼した。いっていい」
御者は帽子をとって会釈した。
一方、イリスたちは徒歩で国境を越えようとしていた。
兵士に身分証を求められ、イリスは差し出す。それを見た、兵士はうなずき、イリスたちを通した。
関所が見えなくなり、ホセは身分証をまじまじと見た。
「よくできているな、この偽造の身分証」
「サリス学園を出る前日の夜、寮の部屋のドアの下から差し込まれたんだよ」
フィオナがそう言うと、カルロスはイリスを見た。
「これも『思わぬ味方』のしわざか?」
「たぶんね」
イリスがそう答えると、カルロスは真剣な顔で尋ねた。
「正体は教えてくれないのか?」
「言えない」
イリスがそう答えると、カルロスは首を横に傾げ、小さくため息をついた。
ホセは頭のうしろで手を組んだ。
「なんで偽の身分証で関所を越えないといけないんだ? 行きは自分たちの身分証で通ったじゃないか」
「事情が変わったのよ」
イリスは鬼気迫った雰囲気だ。カルロスは肩を掴んだ。
「お前は『思わぬ味方』から何を聞いた?」
「リース王国が、ルーベンスに戦争を仕掛けようとしているかもしれない」
カルロスはイリスを見る緑の瞳を見張った。
国境から一番近い街で、御者と落ち合った。御者はイリスの姿を見てほっとした表情を見せた。
「ご無事で何よりです。イリス王女殿下のおっしゃったとおり、関所で止められました。イリス王女殿下が乗っているか確認しているようでした」
それにイリスたちは顔を見合わせた。ホセはほっと胸を撫で下ろしている。
「危うく捕まるところだった?」
フィオナはうなずき、イリスを見た。
「イリスが『思わぬ味方』から情報を得ていなかったら、危なかった……」
イリスもうなずき、御者に顔を向けた。
「急いで城に戻るわ」
御者はうなずき、馬車のドアを開けた。
城に戻ったイリスは、出迎えた侍女に息つく間もなく言った。
「じいを応接室に呼んでちょうだい」
侍女は「かしこまりました」と、頭を下げて去っていく。
イリスは応接室でライオネルを待った。カルロス、ホセ、フィオナはイリスが座るソファーのうしろに立っている。
しばらくしてライオネルが入室してきた。
「お帰りなさいませ、姫様」
「じい、さっそくだけど、まずは森の魔女は?」
ライオネルはソファーに腰かけた。
「森の魔女は解析を終え、今は自宅の方で薬づくりに当たってくださっています」
それにイリスはわずかに口元に笑みを浮かべた。
「解析が終わったのね!」
「ええ。思ったより簡易な魔法だったとおっしゃっていました」
しかし、それにフィオナが口を挟んだ。
「喜ぶのはまだ早いよ。薬を一から作るんだ。まだ時間がかかると見た方がいい」
イリスはフィオナを振り返り、肩を落とした。
今度はライオネルが尋ねた。
「姫様の方はどうでしたか? なにか掴めましたか?」
「掴めたけど、犯人である学生は死んでしまった。わかっているのは、妖精教の信徒だったこと。あと、私をさらおうとしたのも妖精教の信徒だった」
ライオネルは茶色の瞳を大きく開き、わずかに腰を浮かせた。
「さらわれそうになったのですか?」
「ええ。妖精教の宗主が私に会いたい、その理由でね」
ライオネルは白いあごひげを撫でた。
「妖精教……。リース王国の主要な宗教ですな」
「おそらく襲撃事件の裏には、妖精教が絡んでいる」
イリスの言葉にライオネルは唸った。
「次はどうなさるおつもりですか? 妖精教本部に乗り込むとか言い出さないでくださいよ」
それにカルロス、ホセ、フィオナはぎょっとした。イリスなら言い出しかねない。
イリスは笑った。
「じいったら、さすがにそれは難しいでしょう」
ライオネル、カルロス、ホセ、フィオナは見るからにほっとした様子だ。
イリスは全員のそんな様子に気づいていないのか、話を変えた。
「リース王国の動向について、なにか知っている?」
それにライオネルは顔色を変えた。
「どこでそれを? わたしもつい最近、報告を聞いたばかりです。姫様を呼び戻そうとしたところ、姫様から帰国の手紙を受け取り、ほっとしておりました」
イリスは少し考えてから言った。
「じいも接触したのね?」
「はい。陛下が石化しているため、わたしに。姿を見たのは、はじめてでしたが、存在は知っておりました。まさか姫様のもとにも?」
イリスはうなずいた。
「お父様不在の今、リース王国との開戦は避けたいけれど、難しいわね……」
「まだリース王国からの宣戦布告はございませんが、騎士団長には戦の可能性を伝え、内々に準備をさせています。しかし、リース王国は数年前から計画を立てている様子。準備の差で不利です」
イリスは重いため息をつき、顔を手で覆った。
「今は、お父様とお母様の石化を解くことを優先したいのに……」
しばらくイリスはそのままで、やっと上げた顔には覚悟の色が見えた。
「アルド王国に援軍の依頼をしましょう」




