第6話 旅のはじまり
イリスとカルロスは、エイブラハムと別れると高原を進んだ。
しばらくして街道に出ると、商団や旅人とすれ違った。十五歳の少女と、遊牧民の身軽な格好をした十六歳の少年を、彼らはもの珍しそうに見ていた。
イリスは顔を見られまいとうつむき、長い髪で顔を隠すようにして歩いた。カルロスは大して気にした様子もなく飄々と街道を進む。
日が傾くと、カルロスは野宿の支度をはじめた。慣れた様子でテントを張り、枝を集め、火をおこそうとした。なにもできずに見ていたイリスは、慌てて言った。
「私がやる!」
イリスが積んだ枝に手をかざすと、白い煙が立ち上り、枝が燃えはじめた。
カルロスが「へぇ」と感心の声を上げた。
「それいいな。便利だ」
イリスは少しだけ役に立てたことに、胸を撫で下ろし、口元に笑みを浮かべた。
その夜、イリスはなかなか眠れなかった。風が木々を撫でる度にびくりと体を震わせ、遠くで獣の咆哮が聞こえれば飛び上がった。
隣で寝ているカルロスは、ぴくりともせず、気持ちよさそうに寝息を立てている。
自慢げに言っていただけあって、カルロスの剣の腕は一流だった。森の合間を通る道では獣とも何度か出会った。獣が草を踏む音が聞こえ、イリスが構えた頃には、カルロスは剣を抜き、叩き斬っている。その無駄のない動きは、惚れ惚れとするほどだ。カルロスはそのまま一連の流れのように獣をさばくこともあった。それは、その日の食事になる。
そんな旅が一週間も経つ頃には、イリスも野営に慣れはじめていた。
秋の夜は、だんだんと肌寒くなりつつある。外套で身を包んでイリスは座り、火花を立てて燃える枝を見ていた。その視線を少しだけ上げ、焚き木の向こう側に座るカルロスを見た。炎に照らされ、怪しく光る剣を磨いているカルロスは、どこか楽しそうに見えた。
この一週間でイリスはある結論に辿り着いていた。
カルロスは人ではない。――獣だ。人離れした俊敏な動き、洞察力、野宿の知識がそう感じさせた。
イリスひとりでは、ここまでくることさえ叶わなかったかもしれない。森で魔術の訓練をしていたとはいえ、自然の中での生活の知識はない。疎まれていたとはいえ、城での生活は許されていた。食事も、衣服も、寝る場所もちゃんと与えられていたのだ。それがいかにありがたいことなのか、身を持って感じていた。そして、カルロスが一緒にいてくれることへのありがたみも。
カルロスはイリスの視線に気づいて、顔を上げた。
「どうした? ぼーっとして。眠いのか?」
なにも言わないイリスに、カルロスは笑みを浮かべた。
「疲れたか?」
イリスは膝に腕を置き、そこに顔を半分埋めた。
「……少しだけ」
「そうか。あと三日もすれば、迷いの森につくはずだ」
「カルロスは行ったことあるの?」
「近くまでは。入ったことはない。だから、少し楽しみだ」
カルロスは年相応の笑顔を見せた。次の瞬間には、剣に視線を戻し、手入れをした剣を見定めるように眺めている。いつもの大人びた顔に戻っていた。
翌日から天気が崩れはじめた。どんよりとした厚い雲が空を覆い、昼には小雨が降りはじめた。
イリスとカルロスは、通りかかった宿場町で茶屋に入った。二人は外套を脱ぎ、雨粒を振り払った。それから席に座り、暖かいお茶を頼んだ。
店員は子供の二人連れを訝しげに見ていたが、うなずいて店の奥へと戻っていった。
イリスは窓から雨の降る外を見た。カルロスもそれに倣う。
「これは本降りになるな。やっかいだ」
「この辺りじゃ、雨なんて珍しくもなんともないよ。晴れの日の方が珍しいくらいさ」
カルロスの呟きに答えたのは、お茶を持ってきた女性だった。女性はテーブルにお茶を置き、窓の外を見た。
「まぁ、客足がよくていいけどね」
女性はまた店の奥に戻っていった。
「参ったな」
カルロスが再び外を見ると、窓を叩く雨脚はさらに強まっていた。
しばらくして、商人らしき男性が、雨から逃れるように店内に入ってきた。カウンターで酒を飲んでいた男性を見て、「久しぶりだな」と声をかけ、顔を綻ばせながら歩み寄った。どうやら知人のようだ。
商人の男性が「最近はどうだ?」と尋ねると、カウンターの男性は「まぁまぁだな」と答え、そのまま他愛ない話をはじめた。
商人の男性が思い立ったように言った。
「そういえば、俺はクルトから戻ってきたところなんだが」
その言葉に、イリスは目だけで商人の男性を見た。
「なんでも王女が行方不明らしい」
「あのいかれた姫か?」
「ああ、そうだ。衛兵が探し回っている。蜂の巣をつついたような大騒ぎさ。商いもしづらくてかなわない」
ため息混じりに言った商人に対し、もうひとりの男性は赤い顔で笑っている。
イリスは顔を背けるように窓の外を見た。
「案外、この辺りにいたりしてな」
赤い顔の男性が、冗談交じりにそう言うと、イリスはびくりと身を震わせた。
「……レイダ、そろそろ行こうか」
カルロスはイリスを偽名で呼んだ。人がいるところでイリスをレイダと呼ぶのは、二人の暗黙の了解だった。
カルロスはテーブルに代金を置き、イリスの手を引いて店を出た。
カウンターに座る男性たちは、その頃にはまた違う話題に花を咲かせていた。
雨の中を黙って歩くイリスは、うつむいたままだ。
「イリス、うつむくな。お前がうつむく理由はない。それに、今のイリスを見て、王女だと気づくやつはいないさ」
イリスはゆっくりと顔を上げた。そこには緑の瞳を細めて微笑むカルロスがいた。




