第5話 旅立ち
イリスはテントを出て、カルロスの一歩うしろを歩いていた。カルロスの背を睨んでいる。
「『俺には関係ない』って言っていたくせに」
「関係はないが、長の命令だからな。遊牧民にとって長は王様だ」
「いつから私がイリスだと気づいていたの?」
「最初から」
さらっと言ったカルロスに、イリスの怒りが頂点に達した。
「じゃあ、なに? 私がレイダって名乗って、内心笑っていたんだ?」
カルロスが困り顔で振り返った。
「なんでそうなるんだよ」
「だって、カルロスは言わなかった」
「俺はイリスだと気づいたが、ダニエラたちは気づいていなかった。イリスだって知られたくなかったんだろう?」
「そうだけど……」
イリスは不満げにカルロスを見たが、カルロスはまた前を向いて歩きだした。
「それよりもイリスだろ。俺はすぐに気づいたのに」
イリスが訝しげにカルロスの背中を見た。
「どういうこと?」
「昔、会ったことがあるだろう。お茶会で」
イリスは眉間にしわを寄せ、首をわずかに横に傾げた。カルロスのオレンジの頭を見てはっとした。あの少年も瞳はカルロスと同じ緑色だった。
「……あっ! もしかして、あのときの遊牧民の男の子? わかるわけない。カルロスは名前を教えてくれなかったし、それに今のカルロスと全く違う。あの子は、女の子みたいに可愛かった!」
カルロスは苦笑した。
「悪かったな。可愛げがなくなっていて」
「どうして言わなかったの?」
「……イリスが忘れているから、言い出しにくかった」
カルロスは言いづらそうに小声で言った。イリスはきょとんとしてから笑った。
「やっと笑ったな」
カルロスは嬉しそうに微笑んだ。
イリスたちはエイブラハムのものより小さいテントに入った。カルロスはテントの隅に置かれた箱を開け、中を漁りはじめた。イリスはそのうしろでテントの中を眺めていた。
「あんまりじろじろ見るなよ」
「カルロスのテント?」
「そう。男は十歳になると、テントをもらえる」
「ご両親は?」
「小さいころに死んだ」
イリスはカルロスに視線を向けた。カルロスはこちらを見ることなく箱の中を漁っている。
「ごめん……」
カルロスがこちらを困ったような顔で見た。
「謝るなよ。もう昔のことだ。俺にはじいさんもいるし、仲間もいる。みんな家族のようなものだ。――あった、あった」
カルロスは支度を進めていく。
「イリスは一度、城に戻るか?」
イリスは瞳に戸惑いの色を浮かべた。
きっと今頃、イリスを探しているだろう。父や母は心配しているだろうか。
だが、旅に出ると伝えたところで許してもらえるとは思えない。それが、時が止まった原因を探す旅だとしたら尚更だ。今度こそ部屋から一歩も出してもらえなくなるかもしれない。
――このタイミングを逃したら、次はいつになるかわからない。
イリスは覚悟を決めた。
「……戻らない。このまま行く」
「いいのか? もう会えないかもしれないぞ」
カルロスはまっすぐな緑の瞳で言った。それに、イリスの気持ちがほんの少しだけ揺らいだ。
「……なら、手紙を書くわ。誰かに届けてもらうことはできる?」
「ああ。紙とペンはどこにしまったか……。あった」
カルロスが紙とペンとインクを渡し、イリスは箱の上で手紙を書きだした。
「カルロス」
テントの外からダニエラの声がして、イリスはびくりと肩を震わせた。お茶会では気まずい別れ方をした。恐らく正体もばれている。
カルロスはそんなイリスを一瞥してから言った。
「待って。今、出る」
カルロスはテントの外に出た。
「なに?」
「よかった。カルロス、戻っていたのね。実はレイダのことで……」
イリスはテントの中で息を潜めていた。偽名が聞こえ、ダニエラが尋ねてきたのは、やはり自分のことだと体を強張らせた。ダニエラは声を押さえたようで、会話の内容は聞こえてこない。
しばらくしてカルロスが戻ってきた。ダニエラとコニーも一緒だ。イリスは青い顔で怯えたように二人を見た。すると、ダニエラはイリスに駆け寄り、抱きついた。
「ああ、よかった。無事だったのね!」
イリスは驚いた顔を浮かべ、ダニエラを見た。瞳に涙を溜めている。コニーを見ると、ほっとしたような顔だ。
「……どうして?」
「衛兵がレイダを追いかけて行ったから心配していたの。まさか、レイダが王女殿下だったなんて……」
イリスがびくりと肩を震わせた。あれだけ取り乱し、衛兵が『イリス王女殿下』と呼べば、気づかないはずはない。苦笑を浮かべた。
「私がいかれた姫で驚いた?」
ダニエラはきょとんとした。
「それは人が言っていることでしょう? レイダがイリス王女殿下だとしたら、その噂は間違っていると思う。わたしが知っているレイダは、いかれてなんかいないもの。――それで、これからどうするの?」
イリスが顔を上げた先では、ダニエラが微笑んでいる。
ダニエラの問いに答えたのは、カルロスだった。
「イリスは俺と旅に出る。時が止まった原因を探しに行くんだ」
「イリス王女殿下が言っていることは、本当なのね……」
「うちのじいさんもそう言っている。なら、俺は信じるだけだ」
「衛兵が街の方まで、イリス王女殿下を探しはじめている。そのうち、街の外の捜索もはじまるはずよ。その前に、出た方がいいわ」
カルロスはうなずいてから立った。
「イリスの手紙はじいさんに渡そう。時間がない。行こう」
イリスがうなずくと、ダニエラはまたイリスをぎゅっと抱きしめた。
「気をつけて、イリス王女殿下」
「イリスって呼んで。また街に戻ったら、りんごを取りに行こう」
「ええ、イリス。楽しみにしているわ」
ダニエラから離れると、今度はコニーが抱きついてきた。
「イリス、いってらっしゃい」
「いってきます、コニー」
イリスとカルロスは足早にテントをあとにし、旅立つ前に、もう一度エイブラハムのテントに顔を出した。カルロスが口を開く前にエイブラハムが言った。
「もう行くのか?」
「ああ。衛兵がイリスを探している。――これを。イリスから国王への手紙だ」
「たしかに受け取りました。必ず陛下にお渡ししましょう」
エイブラハムは手紙を掲げた。そして、傍らにある革袋を手に取った。
「少ないが、路銀です」
「ありがとうございます」
イリスは受け取り、エイブラハムの手を取って頬に当てた。
「エイブラハム様、あなたのおかげで、私は救われました」
「畏れ多い。わしはすべてをあなたに任せてしまう愚かな老人です。どうか、生きて戻ってきてください」
「はい」
こうして、イリスの時を取り戻す旅は、はじまった――。




