第53話 終わりとはじまり
一か月の船旅を経て、ルーベンスからは馬車で妖精の国へ向かった。春もはじまり、暖かな馬車の中、黒猫はおとなしくイリスの膝に収まっている。
妖精王はイリスたちを笑顔で出迎えた。黒猫はイリスの腕から飛び降り、苦笑を浮かべた妖精王が抱え上げた。
「まったく、世話のかかる子だね、お前は」
黒猫は笑顔で妖精王を見上げた。
「とっても楽しかったよ」
しっぽを振り、悪びれた様子もなくそう言う黒猫に、妖精王は黄金の瞳を細めた。それから、イリスたちに視線を向けた。
「君たちには褒美を与えないとね。なにがいいかな」
悩んだ末に、妖精王は黄金の杖を振るった。イリスたちの手の中に、金の装飾に水色の石がはめ込まれたブローチが現れた。
「それは遠く離れていても会話ができる魔道具。握り、話しかければいい」
ホセが試しに握り、話しかけると、それぞれの石からホセの声が聞こえてきた。
「すげー」
ホセが握ったままいうものだから、エコーのようにホセの声が木霊し、イリスはくすりと笑った。イリスは、妖精王にお辞儀をする。
「貴重な品をいただき、感謝いたします」
妖精王はうなずいた。
「今後、困ったことがあったら、わたしを頼るといい。力になろう」
黒猫はしっぽを振り、イリスを見た。
「ばいばい、イリス。またね」
「また妖精の国を勝手に抜け出さないでくださいね。探すのは大変なんですから」
「わかった!」
黒猫がそう軽い調子で答えたので、本当に分かっているのか不安になる。イリスは苦笑し、うなずいた。
妖精の国からルーベンスへ戻り、馬車は首都クルトにある白亜の城の前で止まった。
馬車から降りたフィオナはイリスたちを振り返った。
「あたしはこのまま迷いの森に帰るよ。ホセとカルロスは?」
ホセは港を指差した。
「オレもアルド王国に戻る。また船旅だ」
「俺も叔父たちの後を追うよ。今は東のあたりを旅しているころかな……」
カルロスは腕を組みながらそう言った。
イリスはそんな三人に微笑みを向けた。
「またね、みんな」
ホセがそれに軽く手を上げた。
「ああ、またな」
フィオナはにっこりと笑った。
「また会いにくるよ」
カルロスは手を差し出し、その上にイリス、ホセ、フィオナは手を乗せた。カルロスは笑みを浮かべた。
「また集まろう。秋のお茶会で」
そうして、それぞれいるべき場所へ戻っていく。イリスは三人を見送り、城へと入っていった。
その日の夜。
イリスは父である国王のカーティスと母である王妃のアデラと夕食を取っていた。話題は旅の話だった。
カーティスはイリスに言った。
「これでひと段落だな」
イリスは微笑んだ。
「そうね、時の妖精も妖精の国に戻ったし、もう問題は起こさないでしょう」
アデラは安心したように微笑んだ。カーティスはステーキを一口食べた。
「ならば、お前の婚約の話も進めなければ。秋には十八。成人だ。ユアン王子も十九歳。いい頃合いだろう」
それにイリスは食事の手を止めて、カーティスを見た。薄い茶色の瞳は揺れている。カーティスはそんなイリスに微笑んだ。
「なんだ、イリス。そんな顔をして」
イリスは悩んだ末に、意を決した。
「……好きな人がいるの」
それにカーティスは驚いた顔をした。
「それは誰だ?」
「カルロス」
イリスはそう言って、カーティスを窺うように見た。難しい顔をしているカーティスにイリスは内心ため息をつく。
「カルロスか……。もう恋人同士なのか?」
イリスはそれに首を横に振り、ネックレスにそっと手を添えた。
「違うわ。私がいずれカルロスと、ずっと一緒にいられたらいいなと思っているだけ」
切なそうにそう言ったイリスを、アデラは慈しむように見つめていた。それに対し、カーティスは腕を組み、顔をしかめている。
「お前の伴侶になるということは、今の生活をカルロスに捨てさせるということ。自由を奪う。それでも、お前はカルロスと一緒になりたいのか?」
その言葉に、イリスは顔を伏せた。カーティスの言う通りで、イリスはうなずくことも、首を横に振ることもできない。
カーティスは小さくため息をついた。
「イリス、お前はいずれわたしの跡を継ぎ、女王となる。それにふさわしい伴侶を選ばねば、お前も相手も不幸になる。心の整理をつける時間をやろう。もう少し考えなさい」
アデラはイリスのそばに寄り、何も言わずに肩を抱いた。
その日の夜。
イリスはバルコニーで空を見上げていた。
――お父様の言うことは、理解できる。私はカルロスを不幸にしたいわけじゃない。
イリスはこぼれ落ちそうな涙を堪えていた。
カルロスは叔父であるアレックスたちを見つけ、合流した。仲間たちは戻ってきたカルロスに「おかえり」と声をかけ、カルロスは軽く手を上げてそれに答えていた。アレックスのテントを覗くと、横になっていたアレックスは顔を上げた。
「帰ってきたのか。おかえり」
「ああ、ただいま」
カルロスはアレックスの前に胡坐をかいた。
「叔父さん、話がある」
「なんだ? あらたまって」
アレックスは首を横に傾げ、真剣な表情のカルロスを見た。
「俺、ルーベンスで騎士になる」
「……まずは、理由を聞こうか」
そうアレックスに言われ、カルロスは躊躇いを見せた。
「叶えたいことのためだ」
「それじゃあ、わからん。詳しく話せ」
カルロスはオレンジの頭を掻いた。
「……イリスと一緒になりたい。そのために俺ができることは、騎士となり、功績を上げ、陛下にお認めいただくことだけだ」
アレックスは天井を見上げ、茶色の髪をかき上げた。
「お前、それは無謀だろう」
「わかっている。イリスも、もうすぐ十八になる。ユアン王子との正式な婚約もそろそろだろう」
カルロスの言葉にアレックスは苦笑した。
「そこまでわかっていて騎士になるのか? 『イリス王女殿下が結婚したから騎士を辞めます』ってわけにもいかないだろう。つらくなるのは、お前じゃないのか?」
カルロスはぐっと言葉に詰まったが、絞り出すように言った。
「それでも、指をくわえてイリスがユアン王子と一緒になるのを見ていたくない……」
アレックスが笑ったので、カルロスは赤い顔で睨んだ。アレックスは涙を拭った。
「強敵に挑もうとする姿勢は嫌いじゃない。イリス王女殿下の伴侶になるということは、未来のルーベンス王国女王をお支えする重責を担うということだ。お前にその覚悟はあるのか?」
カルロスは力強くうなずいた。
「覚悟は決めた。俺の全てをかけてイリスを守る」
アレックスはカルロスのオレンジの頭を撫でた。
「ちょっと青臭いが、ひとりの女を愛する男だな。それで、イリス王女殿下は何て言っている?」
カルロスは首を横に傾げた。
「イリスにはまだ何も言っていない」
「はぁ? 恋人同士で将来の話をしているわけではないのか?」
うなずくカルロスにアレックスは顔に手を当てた。
「お前、まさかイリス王女殿下にまだ気持ちを伝えてないのか?」
「できない約束はしたくない。俺が認められたら、イリスに言う」
真面目な顔で言うカルロスに、アレックスは苦笑した。
「カルロス、お前のそういうところは、兄さんそっくりだ」
それにカルロスは嬉しそうな顔をした。
カルロスは馬で草原を駆け、ルーベンスへと戻っている最中だった。
突然、妖精王からもらった胸のブローチから声がした。
「……けて! 助けて!」
それはイリスの声だった。




