第49話 フィードラー王国⑥
イリスはカルロスに支えられ、揺れた感覚の中で青い顔を上げた。人々の視線は倒れたカタリナに向けられ、デヴィッドはカタリナを揺さぶり、声をかけているようだ。
サイモンが余裕をなくした顔でカタリナに向かって駆けだした。イリスたちもそれに続いた。サイモンはカタリナの横に膝をつき、声をかけた。
「母上!」
イリスもサイモンの後ろからカタリナの様子を見た。血色のない顔で、意識を失っているようだ。呼びかけに反応はない。
フィオナがサイモンの隣に膝をついた。
「ちょっと診させて!」
フィオナはカタリナの手を取り、目を瞑った。
サイモンはフィオナに尋ねた。
「君は医療知識があるのか?」
「少しね。薬を作ったりする。医者は王妃殿下についてなんて言っている?」
「過労だろうと。それにしては、衰弱がひどく、休んでもよくならなくて、医者も首をひねっていた」
フィオナは黄金の瞳を開いた。
「だろうね。これは魔力を消耗しすぎて、命が削られている状態。――サイモン殿下、黒猫について隠していたね?」
フィオナは鋭い視線をサイモンに向け、サイモンは思わずつばを飲み込んだ。
「今回のこと、黒猫とどう関係がある……?」
「ここでは話せない。だけど、すぐに黒猫と王妃殿下を切り離さないと、死んでしまう。王妃殿下の部屋まで案内して」
サイモンはフィオナのただならぬ様子に、ゆっくりとうなずいた。
「母上の部屋に案内すればいいのだな?」
「そうだよ。急いで」
駆けだしたサイモンの後にイリスたちは続いた。会場を出て、静かな廊下を駆けていく。行き着いたカタリナの部屋をサイモンが開いた。
イリスは整えられた室内を眺め、ベッドで驚いたように顔を上げている黒猫を見つけた。
「時の妖精……」
イリスはそう言いながら黒猫に近寄ると、黒猫は起き上がり、伸びをした。
「わぁ、イリスだぁ!」
緊張感のない可愛らしい子供の声。その声は幼いころに助けた黒猫と同じだった。夢だと思っていたあの記憶は、間違いなく現実だったのだ。
イリスは黒猫を抱きあげた。
「お願い。今すぐ時を元に戻して」
黒猫は赤と青のオッドアイの瞳をイリスに向けた。
「どうして? みんな喜んでいるよ?」
「王妃殿下が魔法を維持しきれなくて、先ほど倒れられたの。このままでは死んでしまう」
黒猫は悲しそうな顔で首を横に傾げた。
「カタリナ、死んじゃう?」
フィオナはイリスの横から顔を覗かせた。
「そうだよ。だいぶ命が削られていた。時間の問題だ」
黒猫はイリスの顔を見上げた。
「イリスは時を元に戻してほしい?」
「過去に縋りたい気持ちもわかる。それでも、今を生きないといけない。そうでしょう? サイモン王子殿下」
事の成り行きを静かに見ていたサイモンは、緑の瞳を伏せた。
「イリスさんの言う通りだ。俺たちは過去を受け入れ、先へ進まなければいけない。生きている母を犠牲にして、このような形で国を復興させるのは、間違っている」
黒猫はじっとサイモンを見つめた。
「カタリナの願いは強いものだ。魔法を解いたら絶望しちゃうよ。それでもいいの?」
サイモンはそれに緑の瞳を揺らした。
「母上はそこまでこの国の復興を願っていたのか。俺がその願いを叶え、この国を復興させてみせる。だから、母上を解放し、時を元に戻してくれ」
黒猫はオッドアイの瞳を細めた。
「わかった」
その言葉と同時に、イリスは世界が歪んだのを感じた。それに耐えるように固く目を瞑り、誰かが支えてくれたのを感じた。
歪みが落ち着き、イリスがゆっくりと瞳を開けると、カルロスの腕の中だった。
焼けた黒い土地に立ち、城どころか街が消えていた。会場に大勢いた人たちも消え、そこには呆気にとられ、辺りを見渡している数人と、蹲るようにして泣いているカタリナがいた。
サイモンがカタリナのそばに駆け寄り、肩を抱いた。
「母上……」
「すべて消えてしまった……。わたくしが望んだものすべて……」
ドレス姿だったカタリナは村人のような服を着て、嗚咽交じりの声が辺りに響いた。イリスたちも旅の姿に戻っていた。
黒猫を抱いたイリスがそばに寄ると、カタリナは涙でぬれた顔を上げた。
「返してちょうだい! それはわたくしのもの!」
サイモンはカタリナを落ち着かせるように背を撫でた。
「あのままでは、母上は死んでいた」
「それでもいい。わたくしは陛下とサイモン、あなたたちと一緒にいたかった!」
サイモンはそう叫んだカタリナを力強く抱きしめた。
「そんなこと言わないでください。母上が死んでしまったら、俺はひとりになってしまう……」
「サイモン……」
カタリナは、はっとしたようにサイモンを見た。サイモンは緑の瞳から涙を流している。
「お願いだから、生きることを諦めないでください……」
震えているサイモンの腕に、カタリナはそっと手を添えた。
「……ごめんなさい、サイモン。ありがとう」
カタリナはサイモンを抱きしめた。
しばらく二人は泣きながら抱き合い、サイモンは涙を拭いてから、カルロスの前に立った。
「俺は必ずフィードラー王国を復興させる。カルロス、手伝ってくれないか?」
サイモンはカルロスに手を差し出した。カルロスはその手をじっと見つめた。
「……俺には俺の故郷がある。ここではない」
サイモンはふっと笑い、差し出していた手をカルロスの肩に置いた。
「そうだったな。だが、お前が俺の弟であることは間違いない。これから先、気が向いたら、またここへ来てほしい。そして、俺が復興させた国をお前にも見せたい」
カルロスはどこか申し訳なさそうな顔をしながらうなずいた。
「はい、兄上。遠くの地からフィードラー王国の復興を応援しています」
「ああ。またいつか」
サイモンがまた手を差し出した。今度はカルロスも力強くその手を握った。
イリスたちはサイモンと別れ、歩いている途中で、焼けた土地に小さな命の芽吹きを見つけた。
――サイモン王子殿下たちは、きっと大丈夫。
イリスはそう感じて、小さく微笑んだ。
その夜。
野宿をしながら焚火を囲んでいた。
イリスは黒猫をがっちりと抱き、逃がさないように細心の注意を払っていた。黒猫は黒猫で逃げ出そうという素振りはない。黒猫はイリスを見上げた。
「どこいくの?」
イリスは黒猫に視線を合わせた。
「妖精王からあなたを探すように依頼されたの。妖精の国にお戻りください」
黒猫は目をぎゅっと瞑って嫌そうな顔をした。
「戻らないとだめ?」
フィオナは黒猫の回答に苦笑した。
「どうして妖精の国を出たの? よっぽどのことがない限り、妖精は妖精の国から出ないと聞いていたけど……」
黒猫は足で顔を掻いた。
「人間を見てみたかったんだ。会ってみたら、みんな時に関する願いをたくさん持っていた。過去に戻りたい。時が止まってほしい。未来を見てみたい」
ホセは膝を立て、そこ肘を置き、頬杖をついている。
「なんでそれを叶えてやってたんだよ?」
黒猫はホセに視線を向けた。
「喜んでくれるから」
カルロスは目を丸くした。
「それだけか?」
黒猫は笑顔でうなずいた。
「喜んでくれるの嬉しい!」
イリスたちは顔を見合わせ、フィオナは呆れたように言った。
「それに振り回されていたあたしたちの苦労……」
ホセは目頭に手を添えた。
「オレたち大陸まで渡ってきたんだぜ……」
黒猫はケラケラと笑った。
イリスは黒猫に視線を向けた。
「昔、私が助けた黒猫は、時の妖精だったのね」
「そうだよ。イリスのおかげで元気になった! ありがとう」
黒猫はイリスの頬にキスをした。イリスは微笑んだ。
「そのときに私はあなたから加護をもらったのね」
「イリスは時に関する願いを持ってなかった。だから、加護をあげたんだよ」
イリスはそれに目を丸くした。
「それだけの理由?」
「うん! イリスが大好きだから、加護あげた!」
「妖精の加護って魔女にとっては神聖なものなのに……」
フィオナは呆れた視線を黒猫に向けた。




